白 椿 紅椿 6
紅 椿
目次
6
「うそを言うな。本心を言って」
ひゅっと久乃の息が小さく鳴った。
どういう意味……?
「もうどうしようもないって。助けて欲しいって言うんだ」
…………
「金じゃない。苦しくてどうしようもないって言うんだ。久乃が苦しいのは金のせいだけじゃない」
そう言えたらどんなに楽だろう。助けて欲しいって。何もかも、わたしを縛るものから解放して、と。何もかもを捨てて、逃げ出したい……。
お金などどうでもいい。すべてなくなってしまえば、いっそそのほうがいい。
「久乃がそうして欲しいというなら今すぐさらっていく。久乃と和くんを連れていく。そうしたいと、もうずっと思っている。これ以上抑えられない。久乃、言って。何もかも捨てて僕のところへ来ると。そうすればさらっていく」
礼郷の手が浴衣の紐を解く。
「言うんだ。宮原酒造などどうにでもなれと」
「それは、それは……」
肌へ礼郷の唇が触れてくる。
「礼……」
浴衣が押し広げられてあらわになった胸のふくらみが礼郷の手で押し上げられる。
「宮原酒造がある限り久乃は離れられない。もう金などどうでもいいと。助けて欲しいって。本当のことを言うんだ」
「いや……礼郷、こんな……」
「そんなにも家が大事なのか」
礼郷の手で脇腹を撫であげられてびくっと体が震える。
「言って、久乃。僕のところへ来るって」
「礼郷……」
「久乃だってそうしたいと思っているはずだ」
礼郷の唇がなぞるように久乃の首筋を降りていくと胸の頂点へ辿り着く。舌で何度も転がされて思わず久乃が身をよじると胴の下へ礼郷の腕が入り込んだ。彼の腕で固く引き寄せられている久乃の体。
「言うんだ、久乃。家など捨てると……」
「あっ……」
逃れようとしても逃れようはなく、礼郷の手が久乃の両足の間へ入り込んで敏感なところを探りあてる。体に震えの走るような愛撫。 それは待ち望んでいたものなのに……。
「久乃は僕を愛していないの?」
愛していない?
「愛している……」
これは嘘じゃない。駆け引きでもない。本心だ。
「愛している……」
「だったら言うんだ。久乃、言うんだよ」
礼郷の指が動くたびに濡れた音がする。小さな音なのに響く音。切ない戒めのように。
「あ……あ……」
礼郷の男の力で押し広げられる感覚が痺れるように伝わってくる。
礼郷はわたしに言わせようとしている……。
やさしくて残酷な礼郷。
でも、もっと残酷なわたし。
……どんなに震えても。
わたしは帰らなければならないんだ。……あの町へ……あの家へ……。
久乃の肌へつけられていく紅い花のような痕(あと)。
強く吸い上げられる痛みと同じ快感が久乃を揺らしていく。それでもゆっくりと動いている礼郷。ゆるやかに繰り返される動きにその快感へ落ち込みながら、体をひとつにして、そうすることだけが……。
「久乃……」
目を閉じてしまった久乃。体をそむけるようにしたままぐったりと手足を投げ出してしまっている。礼郷が布団から顔を離させようとしたが久乃は動かなかった。
「久乃、言ってくれ……」
久乃は目を閉じたまま動かない。
「言うんだよ……」
礼郷のつぶやきだけが繰り返される。
言うんだ……
言うんだよ……
お願いだから ……
久乃 ……
久乃が目を覚ますと礼郷はもう起きていて庭の縁側へ出て煙草を吸っていた。今まで礼郷が煙草を吸うところは見たことがなかった。彼には煙草を吸う気配もそれを感じさせる匂いもな かった。
久乃が近づいて後ろへ座っても礼郷は振り向かなかった。
「強いな、久乃は」
礼郷が庭を見たままぽつりと言った。手にした煙草の煙が立ち昇り静かな渦となって消えてゆく。煙草を持った手、それはまるで知らない人の手のような……。
「強くて、折れない。大切なことを見失わない。そういう人なんだ」
「そうね……」
「わかっているんだ」
礼郷が灰皿へ煙草を押しつけた。立ち上がると「朝食を食べよう」と言って部屋へ戻ってしまった。
朝食を終えて久乃が身支度を整えていると礼郷が久乃のいる部屋の外から声をかけた。
「久乃、僕は先に帰る。送れなくてすまない。それと……ゆうべは僕が悪かった。ごめん」
すぐに立って襖(ふすま)を開けなければ、そう思っていても久乃の体は動かなかった。
…………
礼郷の出ていく気配。戸の閉まる音。
久乃が座敷へ出てくると座卓の上にはひと目でそれとわかるものが置いてあった。座卓の上に置かれた小切手。その金額。
久乃は座卓の前へ座ると信じられないようにそれを手に取った。裏には礼郷の署名と押印。すぐに使えるように……。
久乃は小切手を胸へ押しつけるとうずくまるように声を抑えた。
自分のところへすべて捨てて来いと言った礼郷。
彼の本心は……。
礼郷の金、これを受け取れば宮原酒造は助かる。
久乃に父を救ってやれと、礼郷を苦しめている久乃の父をこれで救ってやれと……。
「強くなんかない……」
たん、と音がして涙が座卓の上へ落ちた。泣いている暇はない、そうわかっていても久乃はすぐに立ち上がることができなかった。
強く……なんかない……
強くなんか……
2009.06.15
目次 前頁 / 次頁
Copyright(c) 2009 Minari all rights reserved.
|