六月のカエル 31


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「雅野さん」
 戻ってきた信大が雅野の脇に立つと突っ立ったままの雅野の手を取った。黒いハーフコートの袖から出た信大の手は冷えかけていたが、雅野の手よりはずっと温かかった。
「家で聞こうと思っていたのですが、……友永さんがなにか言ったのですか」
 信大に手を取られてもうつむいたままの雅野だったが、信大の手は雅野の手を包み込んでぎゅっと握ってきた。
「友永さんのことは雅野さんにしてみたらいろいろ気になるでしょうが、それでも精一杯落ちついて対応してくれているじゃないですか。雅野さんががんばってくれていること、知っていますよ」
 そう言われると見てくれていたのはうれしいけれど、もっと雅野は落ち込みそうだった。今日は友永にコートを返すところでうっかりしてしまって、それは信大も知っているのにこうしてやさしく言ってくれる。
「話してくれないと伝わりませんよ。だから話してもらえませんか」
 落ちついた口調で言われて雅野は信大の胸に顔をつけてしまいそうになったが、なんとかこらえた。
「友永さんは……信大さんと……やり直したいと……」
 やっとそれだけ言うことができた。

「やり直したい? 友永さんが?」
 信大は驚いたように言って、明らかに初めて聞いたというようだった。
「友永さんがそんなことを……」
「友永さんは信大さんにはなにも言ってないのですか」 
 思い切って尋ねると信大は静かに首を振った。
「雅野さんも気がついていると思いますが、僕は研究室でも友永さんとふたりきりにはならないようにしています。いつも友永さんの部下の樋口さんが一緒か、桐凰美術館の人たちが一緒かどちらかです。だから友永さんと私的な話しをすることはないです」
 雅野もなんとなくそういう気がしていたが、言われてみれば確かにそうだった。信大は元妻と仕事をするという微妙な状況に彼なりに友永とは距離を取っている。
「だから友永さんはわたしに……」
 いろいろ言ってくるのだろうか。仕事のことだけでなく、巨乳とか言ってまるでわたしが……。

「ほかになにか?」
 信大にじっと見られていることに気がついて雅野は顔を上げた。が、「巨乳」とか、信大にとってはたまらないと言われたことは、やはり言えなかった。
 言えないというよりは不愉快にされたのは雅野だが、信大にまで不愉快なことを聞かせたくはない。
 その代わりではないが雅野は遠慮がちに口を開いた。信大も言わなければ伝わらないと言っていたではないか。
「信大さん、明日どうしても行かなければならないですか。仕事だってわかっていますけど、でも……」
 小さな声で言ったが手をつないでいる信大に聞こえないわけがない。
「行かないで……」

 馬鹿な女だと思われてもいい。わがままと思われるかもしれない。
 でも言わなければという勇気をくれたのは信大だ。それでも語尾が消えそうなほど震えてしまったが、雅野が顔を上げるとさっきと変わらず雅野を静かに見ていた信大の顔が静かにほほ笑んだ。
「僕も本当は休みが欲しいと思っていたところです。なんといっても特別展の会期も残り3日ですからここでしっかり休んでおかないと。真野先生にはまた後日会うことにします」

「…………えっ?」
 一瞬、信大の言っていることが本当のことに思えなくて雅野は思わず聞き直した。
「でも、真野先生と約束されていたんじゃ……」
「そうですけど、先生には連絡して変更してもらうことにします」
 信大があまりに普通に言うので雅野のほうがびっくりしておたおたしてしまいそうだった。
 真野教授は国立日本美術館の館長で、しかも信大の恩師だ。先日、北之原美術館に来てくれた礼もあるはずだ。それなのに先生と会う約束を変更なんて、そんなに簡単にできるのだろうか。
 雅野の心配する顔を覗き込むようにして信大がにこりと笑った。
「べつにすっぽかすわけじゃなく、ちゃんと連絡しますから。それよりも早く帰りましょう。ここは寒くてたまらない」
「え、あ、はい」
 急に言われて雅野の手を取ったまま家への道を信大が歩きだし、雅野も引っ張られるようにして歩きだした。



 家に帰っても信大が明日の予定をキャンセルすると言ったことがまだ信じられないように感じられて雅野は少し落ち着かない気分だった。
 雅野が着替えをしてリビングに行くと信大は携帯電話で話しているところだった。信大の話し方から相手は友永ではなく真野教授らしかったが、話しているのを聞いてはいけないような気がして雅野はキッチンへ入った。

「先生には連絡しましたよ」
 雅野がエプロンをつけようとしていると後ろに信大の手が触れた。
「あ、はい」
「国立のほうへは明日連絡します」
 そうだよね、もう夜だし……と雅野はなんとなく後ろめたいような気持ちでエプロンのひもを結ぼうとしたが、するりと信大の手が回されて後ろから抱きしめられてしまった。
「信大さ……」
 体を半分振り向かされて、すぐに舌が絡められたキスは少し強引で雅野の声が途切れたが、信大のキスはゆっくりと続けられた。口の中を触れ合わせる音が何度も響いて雅野の頭の芯がぼうっとしてしまいそうだったが、ようやく信大の唇が離れると雅野も遠慮がちに顔を離した。雅野の濡れた唇が赤く光っていて、それを見た信大がにこりと笑った。
「僕が休みたくて休むのだからいいのです」
 静かだがはっきりと言った信大にまた引き寄せられて唇が重なった。こんなときに雅野はやはり不器用というか、心の底では明日本当に行かなくていいのだろうかという考えがぬぐいきれないでいたが、徐々にまた唇が開いていく。信大にうながされるままに居間のソファーへ連れて行かれてキスを続けられるともうなにもできなくなってしまった。
「このところ忙しかったから、すみませんね」
 ううん、と雅野は小さく首を振ったが、数日前にも信大と肌を合わせているのだから信大が謝るようなことではないのだが、それでも信大の唇が肌に触れるとふるっと震えが走った。
 信大に支えられながらソファーへ仰向けに倒されると、床へ膝をついた信大が雅野の服のボタンをはずしていく。首筋から胸へと順番に唇をつけていく信大の手が背中へ差し込まれて難なくブラジャーのホックがはずされると雅野の丸い胸が揺れながら露わになった。

「あ……」
 明るい居間の灯りに照らされている自分の胸が恥ずかしくて雅野が体を起こそうと片肘をついたが、信大は雅野のはいていた普段着のスウェットパンツもショーツもするすると下ろして足から抜いてしまった。雅野にも自分のなにもつけていない下半身が丸見えになってしまい、しかもソファーの上で隠しようもない。寒くはなかったが恥ずかしさに雅野が手で体を覆うとしたところで信大の唇が首につけられた。
「あっ、いやっ……」
 右側の首すじを強く吸われて、痛くはなかったが雅野は声を上げた。首から鎖骨の上、そして胸のふくらみへと下がっていくにつれて快感の予感に雅野の肌がざわめく。
 何度唇をつけられても慣れないし、触れられるたびにより感じてしまう胸の先端を含まれ、もう片方も指で柔らかく揉まれて胸の先端はきゅっと固く締まって信大の舌に転がされている。

 嫌と言っても本当は嫌じゃない。
 刺激が、快感が大きすぎてついていけないだけ。

 胸への愛撫を続けながら信大の片手が柔らかな茂みを撫でるようにするとびくっと雅野の体が反った。それでも信大は柔らかな手つきで雅野の足のあいだを開いて指を差し込むとすでに熱く濡れた雅野からくちゅっと濡れた音が響いた。
「熱くて……すごく濡れている……」
 胸への愛撫を続けながら言う信大の声に混じって濡れた音がしていて、それが自分の体から出ている音だとわかっていても恥ずかしくて、信大の首につかまるようにして雅野は何度も声を上げた。
 ソファーの上に横たえられて、胸も足のあいだもくまなく愛撫されて身をよじってもソファーの前の床に膝をついた信大からは逃れられない。ソファーの上で足を開いてしまって、それだけでも恥ずかしいのに信大の指が奥深くまで入って擦るたびに熱いとろみが溢れている。そのとろみと共に信大が雅野の敏感な粒を押し潰した。
「ああっ」
 ひときわ大きな声で喘ぎながら信大の指を締め付けて雅野は体を反らせた。信大の指はまだひくつく中に入ったままで、ゆるりと抜かれる感覚にまた雅野の体が震えた。

 荒い息をつきながら雅野はソファーの上で広げたままだった足をなんとか戻した。すべてが信大の下に晒されて隠しようがないのに、信大はまだ帰ってきてから上着を脱いだだけのシャツとスラックスという姿なのも雅野が一方的にされているようで恥ずかしい。
「信大さん……」
 潤んだ目で信大を見上げながら手を伸ばすと信大のスラックスの中の硬いものが触れた。そっとなでるように手を動かすとさらに硬さが増したようで雅野がファスナーを下ろそうとすると信大がふわりと笑って雅野の手を止めた。
「ここでもいいけれど、あれを取ってこないと」
 快感の余韻でぼんやりしていた雅野には信大の言う「あれ」が避妊具のことだとわかるのに少し間があったが、すぐに信大を引き寄せて顔を擦りつけた。
「そのままでいいから……」
 うわ言のように言った雅野に信大は少し顔を離した。
「いいのですか」

 いままで信大は必ず避妊していた。雅野も仕事をしているからというだけでなく結婚するまではなんとなくけじめをつけたほうがいいと思っていた。
 けれども、もう雅野の中では信大と結婚することは決まっている。これは間違いないんだからと雅野は心の中でつぶやいた。
「信大さんが嫌でなければ……」
「嫌だなんてそんなことあるわけないじゃないですか。いままで止まらなくなりそうだから我慢していたのに、雅野さんから言われたら本当に止まらないかもしれない」
 雅野の目を見ながら言った信大にぎゅっと抱きしめられて、それだけでまた体の芯が熱くなった。
「わたしも止まらないかもしれない。でも好きなの。信大さんも、信大さんに抱かれるのも好きなの。こんなこと言うなんて……変かな」
 淫乱ってもしかしてこういうことかもしれないと考えていた雅野に信大がまた笑った。
「変なんてことはない。僕も同じだ」
 そして信大のキスが降ってきた。


 それからのことは雅野はぼんやりとしか覚えていない。
 ベッドへ連れて行ってと言った雅野を信大が抱えるようにして寝室へ入ると立ったままでキスを繰り返した。キスをしながら、裸同然の雅野を愛撫をしながら信大が服を脱いだ。小さな灯りがついただけの寝室の中でも昂る信大のものははっきりと見える。信大の熱い塊に手を触れて、そして信大が雅野の乳房に手を当てるとうっとりとした息が漏れた。それがどちらの息だったか区別はつかなかったし、つける必要もなかった。

 熱く乱れていく息を絡み合わせながらお互いを愛撫していた。
 我慢できなくなった雅野のほうが先に振り向いてベッドに手をついたが、信大の手も雅野から離れなかった。胸から腰へとなでた手にもっと触れて欲しくて雅野は膝もついた。
「後ろからがいいの?」
 信大にやさしくささやかれて、いままでも後ろからしたことはあったのにと雅野は顔が赤くなったが、信大には見えていないだろう。こくりと頷くと両手をついて自分から腰をあげて足のあいだを晒した。恥ずかしいと感じたのはほんのわずかで、すぐに触れた信大の指に確かめるように潤んだ隙間を広げられて熱いものが当てられるとぐっと入ってきた。入ってくる圧力に雅野が首を振るとまだ途中なのに信大は雅野の腰に手をかけてゆっくりと抜き差しを始めた。
「あ、あ、あ」
 いっぱいに広がった入り口を往復して擦られるたびに雅野から耐え切れない声が上がった。動物のような姿勢で胸を揺らし、後ろから突かれているという恥ずかしさで雅野の体じゅうは熱く火照って苦しいくらいだ。苦しいのに快感でもっと体を反らしてしまう。そうすると奥まで信大が感じられて雅野は本能で腰を揺らした。雅野の喘ぐ声に信大の荒い息が重なっているのが聞こえて、ああ、もう……と思ったそのときに信大の腰が強く押しつけられた。体の奥のほうで熱い迸りが感じられたと思う。体じゅうに広がっていく、いままでにない快感に雅野は崩れて顔をついてしまい、息をするだけで精一杯だった。

 となりに横たわった信大が雅野の肩を抱き寄せて汗ばんだ額にそっとキスをすると信大の胸に寄り添って雅野は目を閉じていた。まだ夕食も食べてなかったが不思議に空腹も感じずに頭のてっぺんから足先まで充足感に満ち足りて動きたくなかった。
「いいですよ。今日はこのまま寝ましょう」
 雅野の考えていることがわかっているように信大が耳元で言った。信大の声はどこか楽しげで雅野は甘えて返事の代わりに鼻先を信大の胸に擦りつけた。
「大好き……」
 雅野が言うと信大も笑ったようだったが眠くてたまらなくなった雅野の目は開かれずに信大に抱かれたまま眠りに落ちていく最後の思考でぼんやりと考えていた。

 たぶん明日はきっとベッドから出られないかも……。

 雅野の予想は笑ってしまうくらいに当たっていて、翌日のほとんどをふたりでベッドで過ごしたのだった。



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