六月のカエル 25


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 目次



 休館日の朝、雅野はこのうえなく幸せな気分で目が醒めた。目が覚める前から信大の温かい体が寄り添っていると感じていたし、ぼんやりと開いたまぶたの向こうには信大の顔が見える。
「起きた?」
 うん、と頷きながら信大の胸に顔をつけてまた目を閉じてしまった。信大の温かさに包まれて毛布と羽根布団の中は夢のように心地良かった。
 目を閉じてしまった雅野に信大は少し笑ったようだったが、雅野を抱き直すとすぐに寝息をたてはじめた。寒い真冬の朝だったが、ベッドでぬくぬくと布団にくるまるふたりには寒さは外の世界のようにしか感じられない。
 結局二度寝してしまい、次に目が覚めたときにも信大はもう起きていた。
「お腹、空いた……」
 目を開けて雅野が言った言葉に信大がくすっと笑った。
 昨夜は夕食は食べたものの、その後の信大との睦み合いがたっぷりと長く、目覚めたときには雅野のお腹はすっかり減ってしまっていた。
「僕もですよ。起きてなにか食べましょうか。でも、その前に……」
 すっと信大の顔が近づけられ唇がつけられた。ほほ笑むように甘く唇を開いた雅野の口の中へと舌が入り、吸い上げるような熱のこもったキスが繰り返される。
「ん……」
 少し顔を動かして息を継いだ雅野の体に触れている信大のものが硬さを帯びていて、太もものあたりに触れるそれに雅野は少し照れた気持ちになってしまった。

 信大にプロポーズされて以来、そして雅野が信大の家に来て以来、信大は自分の情熱を隠すことなく雅野に注ぎ込んでいた。ベッドでは雅野を離さないし、一度で終わることなく何度も繰り返された。雅野も以前から信大はセックスが上手だと感じていたが、この信大のタフさと激しさはちょっと想像できなかった。
 でも、それにあきれているかと聞かれたら雅野はそんなことはないと迷いなく言うだろう。信大に抱かれるのは気持ちがいいし、なによりも嬉しい。夢中になっているのは雅野のほうで、だから朝から信大に触れられて感じてしまっている自分に照れてしまうのだ。

 羽根布団の下で信大の手がなにも身につけていない雅野の足のあいだをやさしくなでる。それだけで雅野の中が水音でもたてるかのように熱く潤んでいた。
「いい?」
 それでも信大はちゃんと聞いてくれる。それがうれしくて雅野は薄く目を閉じて頷いた。
 避妊具をつけた信大がしどけなく足を開いている雅野の中へするっと抵抗も少なく入り込んできた。
「あたたかい……」
 小さな声で耳元にささやかれると雅野の体の中がじわりと溶けだしていくようだ。
 信大のゆるい往復がされながら腕にも胸にも柔らかな愛撫と口づけがされて雅野の中でゆるやかに快感が高められ、そしてほうっという信大の吐息とともに引いていく。
 快感の後の心地良い脱力に指を絡めてお互いの顔を見ていると自然にふたりとも笑ってしまった。まだ朝なのにと思うのだが、そんな常識など遠くに吹き飛んで雅野は笑いながら信大の胸にまた顔をつけた。信大も温かい腕をまわして抱きしめてくれる。それが雅野が最も求めていることだった。





 数日して佐倉が出勤するのを雅野と信大、そして新しく入った小泉の三人が迎えると北之原美術館の事務方には余裕とともに控えめな賑やかさが生じるようになった。
「急に休んでしまって、ご迷惑をかけてしまって申し訳ありません」
 佐倉はしきりに恐縮していたが、佐倉の夫の入院が思ったよりも長引かずに済んだのは幸いだった。
「いいえ、ご主人が早く退院できてほんとうによかったです。でもまだ退院して間がないですから佐倉さんも無理をしないでください。新しく入った小泉さんもいますので仕事のシフトを調整していきましょう」
 信大が佐倉にそう言って佐倉が礼を言っていたが、佐倉が復帰して本当に余裕が出たのは雅野だった。佐倉がいてくれれば間違いないし、それに小泉もすぐに慣れて円滑に仕事が回るようになっていた。事務方に余裕が出れば信大の本来の学芸員の仕事にも余裕が出るのは明らかで、先日のギャラリートークに関する美術雑誌の取材も受けることになっていた。

「雅野さんもよくがんばってくれました、ありがとう。特別展が終わったらしばらく休館になりますのでそれまでもう少しがんばってください」
 信大がそう言ってくれて雅野は少女のようにぽっとしてしまった。佐倉が休みの間、すべて充分にできていたとは言いきれなかったが、それでも信大が認めてそう言ってくれてうれしい。佐倉と小泉の前で言われたので雅野も少し気恥かしいが、嬉しい気持ちのほうが勝っていたし、信大も堂々と落ちついていた。
「なにか良いことがあったみたいね」
 あとで佐倉に言われて雅野は一緒に住み始めたことを打ち明けようか迷ったが、佐倉はいいのよと敢えてそれ以上聞かなかった。
「おふたりがうまくいっているのなら私もうれしいですよ。特別展が終わるまで一緒にがんばりましょう」

 仕事も信大との将来も、すべてが急に順調に流れ始めて、まだ二月末までの特別展の開催中ではあったが、雅野はほんとうに幸せだった。
 休みの日になれば信大は雅野の必要な物や食品を買い物するのにも一緒に行ってくれるし、もともと料理も家事もひと通りはできる信大だったからなんでも手際良くやって雅野の負担が増えることはなかった。むしろ美術館の近くの信大の家からは通勤時間がほとんどかからなくて電車を乗り継いで通勤していた雅野にとっては遥かに楽だった。自分のワンルームの部屋には当面着る必要のない服や少ないながらも家具やベッドがあったからまだ借りたままにしていたが、ほとんど帰ることはなくなっていた。

「この家は古いのでどこかにマンションを借りましょうか。雅野さんがそのほうがいいのなら」
 信大はそう言ったが、雅野は信大の家でなんの不満もなかった。
「わたしはここが好き。古いけど、洋館ぽくて……。信大さんがリフォームしたんでしょう?」
「そうですよ。ここは北之原の叔父が、僕が維持することを条件に住まわせてくれているのです。以前は北之原の祖父がここで余生を送っていたのですが、祖父が亡くなったあとは誰も住む人がおらず、放っておくと家はすぐに痛みますから。事務所のほうも北之原美術館が建て替えられてからは僕が個人的に使っているだけですから改装してもいい。雅野さんと結婚するなら」
 信大が結婚を前提としてそう言ってくれていることを雅野は夢心地で聞いていた。呆けたような顔をしているかも、と雅野は思ってしまったが、そんな雅野を見て信大がにこりと笑う。
「それよりもまず雅野さんのご両親に会わなければ。結婚を許してもらえるよう僕もがんばります」
「信大さんなら大丈夫ですよ」
 妙な自信で雅野は言った。信大は真面目で誠実だから問題があるとしたら雅野のほうだ。てきぱきと物事を進めるしっかり者の母なら、こんなふつつかな娘で、とかきっと言いそうだ。
 対して物静かな父は実直な感じだけれど、決して頑固な人ではない、と雅野は思っていた。地元の企業に勤めながら母の農業も手伝っている人なのだ。
 それに、もし反対されても許してくれなくても、信大と離れるなんてできない。反対されても結婚するんだと、密かに雅野は決めていた。もうすでに心だけではない、身体もなにもかも信大の中毒になっていたからそれ以外の選択肢は考えられなかった。

 こうしてふたりで話す時間も、食事や家の中のことをしている時間も楽しくて心が軽く感じる。信大と暮らしてみると家と美術館との往復でほとんど一緒にいるのに、一緒にいることがなんの苦にもならない。それどころか毎日のように抱き合って信大のぬくもりを感じないと物足りないとまで思えてしまう。仕事から帰ってきて寄り添えばいつのまにかキスが始まり、飽くことなく繰り返して離れられない。

「とてもきれいだ……」
 ソファーに座った信大の膝に乗せられてささやかれると快感とともにふわふわとした高揚感が湧きあがってくる。背中に回った信大の手に張り詰めた乳房を支えていたブブラジャーをはずされると丸い乳房がこぼれ出てふるりと揺れた。信大の手が支えるように乳房を包み、赤く色づいた先端が指先に挟まれて捏ねられると、先端から伝わってくる疼く快感に雅野は体をくねらせて胸を突き出してしまった。もっと感じさせて欲しくて雅野は自分から信大の膝の上にまたがると信大の唇が彼の目の前にあるつんと尖った先端を含んだ。
「あ、あ……」
 信大の唇で吸われ、乳首を擦る舌の感覚に雅野は背をのけぞらせ、さらに胸を突き出してしまったが、信大が胴へまわした腕に支えられて体は離れない。左右を代わる代わるなぶられる快感に腰を支えていることができなくて、ずるずると腰を落としてしまうと硬く上向いた信大のものが雅野を迎えていた。信大がすっと自分の両足を左右に広げると、雅野の両足はさらに広げられて体の重みに抗いきれずに信大を飲み込んでいく。信大がより深くに入っていく快感に雅野は短く息を繰り返して腰を落とし、ついには完全に信大の上に座ってしまった。体の中をいっぱいに占める信大の熱さと、それでいて動かない硬さに雅野ははあはあと息をつきながら信大の首に手をまわしてしがみついた。
「信大さん、いい……?」
 感じる快感そのままに擦りあげるかのように雅野が小刻みに腰を動かすと信大の顔がわずかに歪んだ。雅野からの快感に耐えるかのようにほほ笑むと返事の代わりに彼の目の前で揺れる胸の先端をまた口へ含んだ。さっきよりも強く吸われ、信大の手には尻を支えられながら前後に揺さぶられると新たな快感が雅野の体を沸き立たせる。雅野が動けば動くほど中にいる信大がぶつかるのがわかる。
「ああっ!」
 信大の唇の中で先端を甘噛みされて雅野が引きつった声をあげた。思わず伸び上がってしまった雅野だったが、信大はしっかりと雅野を抱いて自分から離さなかった。ひくつく内部で信大を締め付けながら、信大もまた熱い迸りを膜の中へと放っていた。

「信大さん、好き……」
 どんな姿勢をとっても啼かされてしまうのは雅野のほうだった。信大の上に乗ったままうわ言のように言うと雅野の中でひくりと信大がうごめいたが、たったいま放ったばかりとは思えないほど熱い。
「こんなにうれしいことはないですよ」
 雅野を胸で支えながら信大が耳元で言ったが、その声が嬉しそうで、それでいてもう次の快感を予感させている。
「好き。愛してる……」
 雅野が言うたびに、答える代わりに信大が胸や肩にキスをして背や尻に触れてぞくぞくする快感を与えてくれる。そのたびに雅野は声をあげて喘ぎ、なにもかもを忘れてもがいた。
 ふたりだけの家の中で、気にする物もなにもない。ただ信大からの快感に夢中になって我を忘れていた。





 不思議なもので信大と暮らし始めてから時間が過ぎて行くのが早いように感じる。もしかしてこれは幸せだから? と雅野は考えてしまったが、時間が早く過ぎれば信大が両親に会ってもらうのも早くなる。そう考えれば特別展が早く終ってほしいと願うばかりだ。
 ただし、それは何事もなく、ということが大前提で、そうでなければ特別展が成功したとは言えない。信大との生活でつい頬が緩みがちな毎日だったが、雅野は仕事のときは気持ちを引き締めるよう気をつけて働いていた。

 北之原美術館の特別展の開催期間は残り二週間ほどとなり、来館者は引き続き多かったが、雅野たちの仕事は小泉が加わったことで安定していた。佐倉は週四日の勤務になっていたが、小泉がフルタイムで勤務してくれていたので特別展の開催中は事務処理のほとんどは佐倉が担当することになり、雅野と小泉とで受付のほうを受け持っていた。
 その日も小泉と一緒に受付にいたが、信大に来客があったのは午後のことだった。ぴしりとした黒いスーツを着た女性が受付で名刺を差し出して言った。
「国立日本美術館の友永と申します。北之原さんはおいででしょうか」
 雅野が受け取った名刺には「友永有理(ともなが ゆうり)」といういかにも知的な名前と国立の美術館の学芸課主任研究官という役職が書かれていた。そしてその女性の後ろには部下らしい女性が同じような黒いスーツで控えていた。
「失礼ですが、北之原にお約束はいただいておりますでしょうか」
 今日は信大からは来客の予定はなにも聞いていない。雅野が遠慮がちに尋ねると女性は自信ありげに薄く笑った。
「約束はしていませんが、取り次いでいただければ大丈夫だと思います。取り次いでください」
 いくぶん高飛車な女性の言葉にとなりにいた小泉が少し驚いたようだったが、雅野は名刺を持って軽く頭をさげた。
「ただいま取り次ぎをしますので少々お待ちください」

 電話で二階の研究室にいる信大に名刺の名を告げるとなぜかすぐに返事が返って来なかった。
「あの……」
 雅野が聞きかけるとすぐに信大の声は聞こえてきたが。
『すみません、今、ほかのことをしていた途中だったので。わかりました、受付に降りて行きます』
 電話が切れてすぐに信大が来る旨を女性に伝えたが、国立日本美術館の学芸課主任研究官というその女性は受付の前で立ったまま動こうとしなかった。後ろの部下らしき女性も立っている。来館客が来なかったのは幸いだったが、雅野も小泉もやけに自信にあふれて待っている女性になんと言っていいものか考えあぐねていたが、ふと雅野が見た後ろの女性の顔が見覚えがあるような気がした。
 誰だっただろう。でも、ほかの美術館の女性の職員が来たことはいままでなかったけど……。
 そんなことを考えているうちに信大が階段を降りてきたが、受付に近づいた信大に向き直った女性が発したひと言に雅野は驚いた。

「信大」
 友永という女性は信大の名を呼び捨てに呼んだのだった。



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