真冬のレプリカ 3
真冬のレプリカ
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3
目が覚めて思ったことはやけに寝心地の良いベッドだということだった。それにすごく大きい。 だって寝返りしても……。
一瞬、自分がどこにいるのか、わからなかった。ぼんやりとした頭とだるい体でもう一度寝返りを打ってやっと前日の夜の記憶が戻ってきた。ここはあの武見悠介とかいう男の部屋だ。けれども あの男はいなかった。少なくともこの部屋には。
知らない男のベッドに寝かされて朝起きてみたらとなりに男が、なんてことはご免だ。そんな小説みたいな展開は男のほうだってあり得ないはずだ。起き上って見回すと、ベッドはキングサイズというのかそれとも欧米人サイズというのか、やたらと大きくて
まるで島のようだった。ふらつく体を慎重に手をついて支えながら島、いや、ベッドから降りると寝室のドアを開けて廊下を見てみた。洗面所のとなりがたぶんトイレだろうと見当をつけて廊下へ出るとリビングの入口のドアが開けっぱなしになっていて、
顔だけ入れるようにして中を見るとドアのすぐそばにソファーがあってそこに武見がいた。毛布と薄い布団をかぶって顔は半分見えないけれど、長い体は間違いなくあの男だ。その証拠に足が毛布からもソファーからもはみ出している。
わたしがベッドで寝たからこの男はソファーで寝たのだろうか。真冬にソファーで寝るのは寒そうだ。この男には三人掛けのソファーでも長さが足りない。
「おい」
「わっ」
ともかく先にトイレに行こうと思い、そおっと歩こうとしたら不意に武見の体が動いて腕をつかまれた。
「どこへ行く」
「どこって」
「俺、寝起きはいいんだ。昨日も言っただろ。あんたに逃げられたら困るって」
「手を離してもらえませんか。トイレ行きたいんです。てか、女が悲鳴をあげてるんだから離しなさいよ」
「言っとくが玄関ドアは内側からも開けられないようにしてあるからな」
ご丁寧にどうも。
やっと武見の手が緩められた。トイレのドアを開けるときに振り返って見てみると武見は廊下に出てわたしを見ていた。たぶん監視しているんだ、と思ったがトイレから出てきたら彼の姿は廊下にはなかった。
リビングの入り口に立つと武見はキッチンにいた。ソファーは元の位置に戻されていて、リビングの奥にあるキッチンでは武見が冷蔵庫を開けて背を丸めて中の物を取り出していた。家庭用にしては大きな冷蔵庫だったが、ちらっと見えた中はスカスカでたいした物が置いてないようだった。てことはこの人はひとり暮らしなのか。
「あのー、わたしの服は」
トイレを出てとなりの脱衣洗面所にある洗濯乾燥機の中を覗いて見たけれど、わたしの服はそこにはなかった。
「ベッドのところにあるよ」
寝室に戻って見回してみるとベッドの向こうの壁際にサイドボードがあってその上にわたしの服が置かれていた。ジーンズとニットセーターの上にブラとショーツもきちんとたたまれて置かれている。もちろんあの男がたたんだのだろう。なんてことを。でもそこを気にしてもどうしようもないから考えないことにして服を着た。
白いシーツにグレーのベッドカバーのベッドはオーソドックスなデザインだったがやはり大きくて、部屋の中でかなりな面積を占めていた。窓のカーテンを少し開いて見てみたら4、5階くらいの高さらしくて、周囲の建物が見えただけだった。ここは3LDKくらいの間取りのようだったが、あの若さでこんな部屋に住んでいるなんてIT企業の社長だけのことはある。
「気分はどうだ」
リビングに戻ると武見がフライパンを揺すりながら聞いてきた。
「まあまあです」
決して調子が良いとはいえないけれど昨日よりはましだ。武見は料理をしながらわたしの様子を見ていて、インスタントコーヒーの瓶とパンが置かれているテーブルの前にわたしが座ると皿が置かれた。
「食べられるか」
皿の上の目玉焼きに首を振った。嫌いなわけではないけれど、卵というだけでなんだか気持ち悪く感じる。今は体が受け付けそうにない。
わたしの顔を見ていた武見がじゃあちょっと待っていろとキッチンへ引き返した。なにをするのかと見ていたらダンボール箱を開けてレトルトを取り出していた。
「白と中華と、どっちがいい?」
「なんですか、それ」
意味がわからない。
「えーと、白粥と中華粥。あ、梅粥っていうのもあった。これ、取引先からもらった物なんだが」
およそこの男には似つかわしくない物だった。取引先って、近頃のIT企業はレトルトのおかゆを作ったりしているのだろうか。
「……白粥で」
冷蔵庫の中にはたいして物がないみたいなのにレトルトのおかゆはあるなんて。
白粥を温めた武見は次に大きな皿に透明な袋から出した生野菜をばさっと盛って出してきた。
「変なの」
「変か?」
「変ですよ。おかゆにサラダっていう組み合わせはないと思う」
「まあ、食べてみろよ」
目玉焼きを自分のおかずにして武見はサラダを勧めてきた。野菜の小さな葉っぱがいろいろと混ざったサラダだった。これってベビーリーフだ。知っている。
「これを熱いおかゆに入れるとしなっとするだろう。ベビーリーフだから柔らかくて食べやすいって、このレトルト粥をくれた人が教えてくれたんだ」
武見がそう言って自分のおかゆにベビーリーフを入れた。塩かドレッシングを少し振って食べるそうだと何かの受け売りのように言って卓上塩を置いた。
「食べられそうか?」
料理なんてこの人には似合わないし、おかゆもベビーリーフも似合わない。でも武見は自分の おかゆに口をつける前にそう聞いてきた。
黙ってひと匙おかゆをすすってから、ベビーリーフのサラダを少しおかゆに混ぜ込んだ。鮮やかな若緑色の葉っぱがとろりとしたおかゆに混ざっていく。わたしがベビーリーフの混ざったおかゆを口に運ぶとそれを見ていた武見がやっと自分も食べ始めた。わたしが食べるのを待っていたように。
少しずつ食べるうちに熱いおかゆがだんだんと食べやすい温度になっていた。武見は目玉焼きを無言で食べている。昨日と同じ長袖Tシャツとジャージパンツだっだ。そのまんま寝たんだ、この人。
黙って食べる武見はあいかわらず渋い表情だった。今まで話していた様子だと機嫌が悪いわけでもなさそうなのにこの人の表情はにこりともしない顔で、もしかしたらこれがこの人の地顔なのかもしれない。
「なんだ?」
わたしが見ていたのに気がついたのか、武見が急に聞いてきたので視線を下げてまたひと口おかゆを食べた。
ふたりとも黙って食べ終えると武見が後片付けをしてくれた。ひとり暮らしに慣れているらしく、 さっさと片付けて食器を洗っている。
「そっちに座っていていいぞ」
皿を洗いながら武見がこちらも見ずに言った。そっち、というのはソファーのことだろう。昨日、武見が寝ていた布張りのソファー。リビングの真ん中にあって低いテーブルが前に置いてある。
動くと体がだるかった。おかゆを食べたからなのか、起きたときよりもずっと具合が良くなっていたけれど、それでもソファーへ移動して寄りかかるとなんとなく動きたくなくなった。べつにぼーっとしていたわけではないんだけど、しばらくして片付けを終えた武見が近寄って来ていたのに気がつかなかった。
「佳澄さん」
「え?」
少し驚いて目を上げると武見は渋いながらも心配そうな顔で覗きこむように見降ろしていた。
「病院へ行こうか?」
体調は良くなかったけれど、それは飲まず食わずで挙句の果てに雪空の下で地面に転がっていたのだから当たり前といえば当たり前なのだ。それにお金も保険証も持ってない。だから黙って首を振った。
このままここにいたいわけじゃない。このままここにいればこの人はわたしを義父に引き渡すだろう。でも今はちょっと動きたくなかった。
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