真冬のレプリカ 2

真冬のレプリカ

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「あなた、義父ちちの会社の人?」
「いや、俺は徳永さんの会社の人間じゃない。俺は自分で会社をやっているんだが、会社の設立時の資金を徳永さんに出資してもらっているんだ」
 男は機嫌の悪い表情を少し緩めてそう言った。着替えをして黒いジャージズボンに長袖Tシャツというベタな服になっていた。つまりはこの人は義父に頼まれてわたしを捜していたということだ。
「あなたの会社? へえー、その若さで社長だなんてIT関係?」
「まあ、そうだな」
 見たところ男は三十歳くらいだった。着替えたのでビジネスマン風のしたたかなところが薄れて見えたが、警戒心は解いてないらしく玄関のドアとわたしの間に立っていた。
「なんて会社」
「え?」
 男が意外そうに聞き返した。
「あなたの会社」
「ガイアスだが」
「ガイアス? 聞いたことなーい」
 いかにもIT企業らしい社名にバカっぽくそう言ったらふっと男の目が細められた。
佳澄かすみさん」
 不意に男がわたしの名を呼んだ。
「向こうの部屋へ戻ってくれないか。ここで話しをしてもしかたがない」
 男がさっきのリビングの部屋のほうを手で示した。戻るしかないか。ここでこの男を突破して玄関のドアから出るのは難しそうだ。
 リビングに戻りテーブルに置いてあった弁当の前に座ると男も向かいに座った。わたしが割り箸を持ちあげて弁当の続きを食べるのを男はじっと見ていたが、黙々と食べた。
「いい大人が家出なんてするなよ」
 おかずの卵焼きをぱくついたら男がそういった。家出なんかじゃない。でも、そう言えば言ったで説明がめんどくさい。弁当を食べるほうを選んで黙っていたら男が小さくため息をついた。
「徳永さん、心配していたぞ」
 なんだか真っ当な説教を垂れてくる。この人、三十くらいに見えるけど中身はおじさんなのね。
「名前」
 わたしがそう言ったら怪訝そうに男が眉をひそめた。
「あなたの名前」
武見悠介たけみゆうすけだ。あんた、いつもそんな話しかたをしているのか、徳永佳澄さん」
 男、いや、武見はわざとらしくわたしをフルネームで呼んだ。でもその名前は違うのだが。
「わたしは徳永じゃない、園田佳澄だよ。母がわたしを連れて徳永さんと再婚したんであってわたしが徳永さんの養子になったわけじゃない」
「それは失礼したな。だけど血の繋がらない親子関係だからって勝手に家出していいってもんじゃないだろう。徳永さんと上手くいってなかったのか」
「どうだっていいじゃない。そんなこと」
 遮るように言ったわたしに武見という男はまたちょっとムッとした顔をした。わたしのことをどうしようもない女だなって思っていることがありありとわかる顔だ。ホント、わかりやすい。
「お手数かけて申し訳ありませんでしたー。これ食べたらちゃんと家に帰りますから。そしたらあなたの役目も終わりでしょ。すみませんが乾燥機ありますか。服、乾かしたいんで」
「待てよ」
 立ち上がって浴室に行こうとしたら武見もすかさずついてきた。浴室にあった濡れた服を持って振り返ると武見が脱衣洗面所にある洗濯機を指差したので服を入れて棚に置いてあった洗剤を適当に入れた。
「服が乾いたら送っていくよ」
「それはありがとうございます。でもひとりで帰れますから。自分の家に帰るだけですからご心配なく」
「ご心配なく、ねえ」
 皮肉な感じで言った武見の顔は苦虫を噛んで噛んで咀嚼そしゃくしました、という顔だった。
「あんたを家には帰せないな」
「はあ?」
 洗濯機の動く静かな音がしている脱衣洗面所の中でわたしの声だけがやけに響いた。
「帰さないってどういうこと。あなた、わたしを家に帰したくて捜していたんじゃないの」
「俺が知らないと思っているのか。徳永さん、今、アメリカだろう。新年まで帰ってこないはずだ」
 義父の徳永は毎年クリスマス前から新年までアメリカに滞在するのが恒例だ。休暇を過ごしに行くのではなく、向こうの仕事絡みの人たちとクリスマスパーティーやニューイヤーパーティーで顔を合わせて商談をするのが 目的だから毎年はずせないアメリカ滞在になっている。クリスマス・イブの今夜はすでにアメリカへ行っているはずだ。
「なんだ。知ってたの」
「あいにくとな」
 武見はドアのところで立ちながら腕を組んでわたしを見ていた。
「家に帰るなんて言って、徳永さんがいない家にあんたを帰したらまた逃げ出すかもしれない。いや、帰る気なんてないんだろう? 悪いが俺もやっと見つけたあんたに逃げられる訳にいかないんだ。 だからあんたは徳永さんが帰ってきたら引き渡す。それまではこの部屋にいてもらわなきゃならない」
「勝手に決めないでよ。そんなこと」
 ああ、なんかむかむかする。
「俺だって困るんだよ。この忙しい時期にあんたを捜すためにかけずり回っていたんだ。これであんたに逃げられたらたまったもんじゃない。迷惑だ」
「迷惑で悪かったですね。そんなに迷惑だったらもうわたしのことなんてほっとけばいいでしょ。IT企業の社長が人捜しなんて引き受けなきゃいいのに。なんで義父があなたなんかに頼んだのか、全然わかんない」
「口の減らない奴だな」
 武見がぼそっと呟いた。わたしに聞こえるように。
「だったらなんだっていうのよ……」
 その時、すうっと血の気の引くような気持ちの悪さに目の前が暗くなった。ヤバい。
「うっ」
 洗濯機の横の洗面台に顔を伏せると我慢しきれずに吐いてしまった。冷や汗が出て胃がひっくり返ったみたいだった。そういえばここ三日ほどなにも食べてなかった。弁当を食べて急に動いたから……。
「お、おい。大丈夫か」
 吐いてしまったわたしの背後から武見の慌てたような声が聞こえてきた。なんとか蛇口をひねり流れ出る水で口をすすごうとしたら横から体を支えてくれた。ここに洗面台があって良かったよ。タオルを差し出されて 口へ当てて顔を上げたら武見に顔をのぞき込まれて目が合った。背の高い武見は屈みこむようにわたしを見ていた。わたしのことを迷惑だって言ったのに、心配そうに見ている瞳にちょっと驚いた。
 武見が体を起こしたと思ったらふわっとわたしの体が持ち上げられた。抵抗することもできずに運ばれていくと暗い部屋のベッドへと降ろされた。ひやりとしたシーツの感覚にぶるっと寒気がしたけれど武見が毛布をかけてくれた。
「悪い。あんたが低体温症起こしかけていたってこと、忘れてた」
 目をつぶったまま縮こまっていると武見が済まなさそうに言うのが聞こえた。毛布の上に羽毛布団が掛けられても体の震えがなかなか止まらなかった。
「眠るんだ」
 なんだかやさしい声。この人、やさしいんだか不機嫌なんだか、どっちなのだろう。
 でも、もういい。気持ち悪くて目を開けたくない。今夜がクリスマス・イブでも、ここが知らない男の部屋でも、もう動きたくない……。

 考えることを放棄してわたしは眠りの中へ落ちていった。


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