真冬のレプリカ 4

真冬のレプリカ

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 ソファーに座っているという意思表示のように低いテーブルの上にあったテレビのリモコンに手を伸ばすと、わたしが持ち上げるよりも早く武見がリモコンを拾い上げて電源スイッチを押してから渡して寄こした。
「どうも」
 テレビの画像が映し出されると横で武見はざっとあたりを見回すようなしぐさをした。
「ここにあるものは好きに使っていいから。飲み物はキッチンにある。悪いが俺は仕事があるんだ」
「はいはい、どうぞお気遣いなく。仕事でもなんでも行っちゃってください」
「行かねーよ」
 だって仕事があるって言ったじゃん。
 急にぞんざいになった武見の口調にそう言いそうになったが、見上げた武見の顔は口がへの字だった。
「あんたを捜すのに無理やり休みを取ったんだ。あんたは見つかったけど、ひとりにできない。それにまだ具合が悪いだろう。できる仕事は家でする」
「へえ、自宅で仕事ができるなんてさすがIT企業社長。メール駆使して営業して、スカイプとかで会議するの。ふーん」
「あんた、本当にいつもそういう話し方してんのか? 見た目と全然違うな」
 ……おおきなお世話よ。
 どんな話し方したってわたしの勝手でしょ。ほんとうのわたしのことなんて知らないくせに。
 ぷいと横を向いたら武見はわざとらしくため息をついた。
「向こうの部屋にいるから、なにかあったら声をかけてくれ。いいな」
 武見はそう言ったけど、わたしはなにも答えなかった。武見がリビングを出て廊下の向こうの部屋に入る音が聞こえた。テレビは朝のワイドショー番組を映し出していたけれどすぐにテレビを消して埋まり込むようにソファーへ寄りかかった。別にテレビが見たかったわけじゃない。
 窓の外は晴れているようで明るい。ゆうべの雪はもう消えてしまっただろうか。
 しばらくすると武見の部屋から電話をしているような声がかすかに聞こえてきた。今日は月曜日だからあの人は会社に行かなきゃならないだろうにわたしのせいで行けないってことだ。そんなことを考えていたらなんだか眠くなってきた。この部屋の中は暖かくて、このソファーも居心地が良い。昨日の晩は雪が降っていて、公園の植え込みの中は真っ暗で冷たかったのにね……。



 ふっと眼が覚めて、気が付くと体に毛布がかけられていた。眠ってしまったんだ。この毛布は武見がかけてくれたのだろうか。
 だけど武見の姿は見えず、部屋の中はしんとして物音もしていなかった。毛布を脇へ押しやり立ち上がった。ちゃんと歩ける。キッチンへ行って冷蔵庫を開けるとミネラルウォーターのペットボトルがあったので、それに口を付けて飲んだ。飲みながらソファーの前へ戻り、時計を見ると午前11時になっていた。なんとなくお腹もすいている。ペットボトルをテーブルへ置くと リビングの出入り口のドアへと向かった。このドアに鍵なんてついてない。廊下へ出て足音をたてないように玄関へと向かった。玄関の横の壁のフックにはわたしの黒いコートが掛けてあった。そして靴もあった。コートに手を伸ばしたときだった。
「待てよ」
 ああ、見つかった。
 後ろからかかった声は不機嫌オーラに満ちている。振り返れば壁のように背の高い体で廊下に立っている武見がいた。
「どこへいくつもりだ」
「えー、べつに」
 口から出る言い訳に任せてしゃべった。
「ちょっとお腹、すいたかなあって。あなた忙しそうだし、なにか買ってこようかなと」
 武見はまじまじとわたしのことを見ていた。でまかせ言っているんだろうという考えがありありとわかる顔で。
「……って、信じてないですよね」
「うん、信じてない」
 まあ、ドアが開けられないだろうってことはわたしもわかっていたけどね。
「考えていることがダダ漏れなんてIT企業の社長失格なんじゃないの」
「ダダ漏れで悪かったな。リビングへ戻れよ。昼めしはなにか作るから」
 わたしが憎まれ口のように言った言葉に武見はそれ以上は怒らずにわたしの後からリビングに入った。
「レトルト粥でいいか」
「またおかゆ?」
「サラダもまだあるが」
「えー、ほかになにかないの」 
「ない」
 武見は全然取り合わず、またダンボール箱からおかゆのレトルトを取り出した。
「食べ物、買いに行けば。近くにスーパーないの。コンビニでも」
「ない」
 本当かどうかわからないけれど、すげなく却下だ。
「じゃあ、ずっとおかゆ食べるの。それにわたしの着替え、用意してくれるって言ってたよね。わたしが逃げるのが心配なら一緒に出かければいいじゃん。車、あるんでしょ」
 武見は相手にしないという感じでキッチンで皿を出していた。
「ダメだ。車のほうが逃げられやすい。それにあんたに逃げられないように鎖でもつけて連れて歩くわけにはいかないだろう。それじゃ俺が変態に思われる。着替えはもうちょっと待ってくれ。会社の者に頼んであるから」
 鎖で拘束って、その発想が変態じゃないの、と言うとさらに怒られそうだったのでそれは言わないでおいた。ちょっとため息をついてからさっきのソファーへ座った。
「あなたって意外と周到なんだね。こういうことに慣れているみたい。誰かのこと拘束したことあるんでしょ」
「バカ言え」
 わたしの言ったことが冗談には聞こえなかったようで武見の顔がますます渋くなった。
「大学生のときに興信所でバイトしていたことがあるんだよ。そこは浮気調査とか家出人捜しとか、そういうのが主な仕事だったから、二年くらいそこでバイトして人捜しのノウハウは知っているつもりだ。だけど俺があんたを見つけるまで三か月かかった。いったいどこにいたんだ?」
「それは企業秘密でーす。それ言っちゃたら、また捜されるときの手がかりになっちゃうでしょ」
「またって、おまえなあ」
 へらへらとした口調で言ったわたしに武見はしかめ面でいたけれど、おかゆが温まるとそれを器に盛り付けてわたしのところに持ってきた。
「まあ、それくらい憎まれ口がきけるんなら元気がでてきたってことだな」

 ……なに、その大人っぷり。
 わたしのこと迷惑がっているくせに。顔つきは渋いのに妙にやさしいこと言って。もしかしてホームレスもどきの家出女に同情でもしているの、この人。

 武見の出してくれたおかゆをわたしは黙って少し食べただけだった。
「なんだ、食べないのか」
 武見はまたちょっと心配そうに聞いてきたが、わたしは黙っていた。武見がなぜ親切に心配してくれるのか、それはわたしを義父へ引き渡さなければならないからだろうけど、なんとなく気まずいままで、昼食が終わるとソファに寝転んでテレビをつけた。後片付けもなにもしないでテレビを見ていた。言いたいことを言って、なにもせずにごろごろして。こんなこと以前のわたしからは考えられないことだった。
 片付けをしながら武見が時々ちらっとわたしのほうを見ていた。男の家でふたりきりだというのに、なにもせずに食事の礼さえも言わないから、なんて女だと思われるだろうけど、でもかまわない。わたしが助けてくれって頼んだわけじゃない。
 武見がまた声をかけてきたが、返事をせずにテレビを見る振りをしていた。

 しばらくごろごろしながらテレビを見ていたら、玄関のほうで音がした。来客を告げる音だ。あれから武見はまた自分の部屋で仕事をしていた。
 だれか来たのか、武見は出てくるだろうかと廊下から顔を出したら武見が部屋から出てきた。武見がドアを開けるか開けないかのうちに女の人の元気な声が聞こえてきた。
「遅くなってすみません。でも、これでも急いできたんですよ。社長が休むからわたしまで忙しくって」
 なに、このひと。
 武見の会社の人だろうか。荷物をたくさん持って、グレーのパンツスーツを着て上にコートを着ている。四十歳くらいでしっかり働く女の人って感じだけど秘書という雰囲気でもない。部下にしては武見に対してざっくばらんな話し方だ。遠慮なく話す話し方はこの人にはとても合っているけれど。
「はい、これが服です」
 そう言って女の人は持っていた大きな紙袋を武見に渡した。それだけかと思ったら次々に渡されるビニールバッグや紙袋。武見が持ちきれないくらいだ。
「それからこれは社員のみんなから。メリークリスマス!」
 背伸びするようにその女の人が武見が抱えるようにして持っている荷物の一番上に白い紙箱を乗せた。赤いリボンのついた、そう、あれはケーキの箱だ。
「俺はケーキなんて頼んでないぞ。消化が良い食べ物を頼んだだろう」
「それもありますよ。ケーキはみんなからのクリスマスプレゼントですよ」
 その女の人がわたしを見ながらにこっと笑った。
「社長が会社を休んで女物の着替えを届けてくれなんて言うから、みんな社長にもやっと彼女ができたのかって、そりゃ大喜びですよ。あ、仕事のほうはご心配なく。ファームのほうも仕事は順調ですし、このまま年末年始の休みに突入できそうですから。後はメールします。じゃあ、すてきなクリスマスを。お邪魔しましたー」
 なんだか最後に音符マークでもついていそうな話し方でその人はしゃべるだけしゃべるとドアを閉めて帰っていった。そして玄関には持ちきれないほどの荷物を抱えた武見とわたし。
「……持ちましょうか」
「ケーキを頼むよ。台所へ」
 そう言って武見が少し膝を曲げて一番上にあるケーキの箱が取りやすいようにしてくれた。ほかの荷物も持ってそれらをふたりでキッチンのテーブルまで運んだ。
「これはあんたのだ」
 いくつもの袋の中から武見が最初に渡されていた紙袋を手渡されたので中を覗いてみると洋服が入っていた。それからいくつかの包装された包みも。一番上の包みを開けてみたら化粧水や乳液が入っていた。これはあの女の人が用意してくれたのか、それとも武見が頼んだのか。女には
こういう物が必要だって男はなかなか気がつかないものだけど。
 
「うわ、なんだ、これは」
 キッチンへ戻ると、いくつものビニール袋を開けて武見が大きな声を出していた。中からはフライドチキンの箱やデリカテッセンの盛り合わせみたいなもの、パックに入ったカットフルーツ、チーズにクラッカー、そしてシャンパンやジュースまで次から次へと出てくる。パンや牛乳や卵といった生鮮食品やら野菜やら、とにかくいろいろな食べ物が出てきた。
「これじゃクリスマスパーティーだな」
 テーブルの上に広がった食べ物を武見がなかばあきれたように見てそう言った。
「おいしそう。ねえ、これ食べていいの」
 がさがさと紙の箱を開けるとフライドチキンのいい匂いがふわっと広がった。
「食欲なかったんじゃないのか」
「べつに」
 おかゆじゃなくて別の物が食べたかっただけ。でもそう言うと武見に悪いから言わないことにしてチキンをつまんだ。


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