静かに満ちる 22

静かに満ちる

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22


 圭吾が顔を離すと三香子は自分の言ったことが恥ずかしかったのか目の端を赤らめていたが視線は逸らさなかった。返事を待っているかのような三香子の顔に圭吾は静かに息を吸った。
「車、30分、いや、20分だけ我慢できるか?」
 ゆっくりと三香子がうなずいた。
「圭吾が連れて行ってくれるなら……」

 圭吾が予約を取ったホテルに着くまで三香子はじっと座っていたがなんとか大丈夫そうだった。途中で圭吾が三香子の手を握ると強張った笑いながらも三香子はほんの少し笑顔を返してきた。隣りの市にあるホテルまで車を走らせるたった20分の時間がひどく長く感じられた。それはたぶん三香子も同じだろう。三香子に我慢をさせてしまったが、マーマレード工房の三香子の部屋や、まして店で三香子を抱く気はなかった。
 ホテルの部屋へ入って三香子へ向き直ると顔が少し青くなっているような気がしたが、落ち着いた表情だったので圭吾もほっとした。
「よかった」
 言いながら額と額をつけると三香子が目を閉じた。閉じたまぶたにはやはり疲れたような影が
うっすらと浮かんでいた。
「風呂へ入ろう。先に入っていて」
 シティホテルで浴室にはトイレと洗面台とバスタブがあるよくあるタイプだったが、割と広かった。先に三香子を入らせてしばらくしてから圭吾が浴室へ入ると、洗面台の鏡を曇らせるほどに湯気がこもっていて三香子が浅い湯に浸っていた。シャワーカーテンを寄せると湯の中から三香子が見上げたが、腰までの湯の中で上気した肌と濡れた髪で膝を抱えるように座っている三香子はひどくかわいらしかった。まるで子どものようだった。けれども子どもではない証拠に三香子の胸のふくらみの先がつんと尖っている。
「あたたまった?」
「はい」
「じゃあ、替わって」
 圭吾が手を差し出すと三香子がタオルで体を隠しながら立ち上がった。手を取って三香子をバスタブの外へ出すと圭吾が替わって中へ入りシャワーのコックを回した。
「向こうで待っていて」
 タオルを体に巻いた三香子にそう言って圭吾は体を洗い始めたが、三香子がなんとなく慣れない様子で出ていくのを圭吾は横目で見ていた。

 圭吾が浴室から出てベッドへ行くとやはりというか、予想した通り三香子はホテルの浴衣の寝巻を着てベッドに腰をおろして座っていた。ベッドへ入っていても、先に眠ってしまっていてもそれはそれでかまわないと思っていたのに、三香子はちゃんと座って圭吾を待っていた。そういうところが三香子らしいと思ったが、今夜はそういうことは忘れさせてやりたい。圭吾が持ってきた避妊具の箱を枕元へ置くと三香子もそれを見たが、バスタオルを腰へ巻いただけの圭吾が横に座ると一瞬、三香子は体をずらそうとした。が、離すわけがなかった。 圭吾の腕に引き戻されて三香子の顔が上がる。体を引き寄せ、唇を開いて舌を絡めるキスをしているのにそれでもまだ三香子の体から力が抜けきっていない。圭吾の手が浴衣を開いて胸に触れたときに三香子はほんの少し体を引くような素振りを見せた。求めているのにためらっている。それに気がついてはいたが、三香子の恥じらいをかき消すように圭吾はキスを続けた。
 ―― できるなら。
 三香子の肌をなでるように、心もなでてやりたい。気にするものなどなくなるようにこの手で払い落してやりたい。でも、それができないからこうして体を愛撫する。肌の触れ合いを求めているのは三香子だけではないから。

 ベッドへ手をついて三香子にかがみこむとキスを繰り返した。三香子の首筋から唇へ何度も唇をなぞらせるたびに圭吾の体に三香子の体が押される。押されるたびに三香子のあごがのけぞるが、すぐに圭吾の唇が三香子の唇を取り戻す。体を重ねながらゆるやかに揺れる動きに合わせてふたりの唇が離れては触れてかすかな音を繰り返す。圭吾が柔らかく盛り上がる三香子の胸の先端を口に含んでころがすと小さく喘ぐ声とともに三香子の体内が潤みを増していくのが感じられた。なめらかに圭吾を滑らせる三香子の反応が下半身から伝わってきていた。
「圭吾、……圭吾」
 三香子が圭吾の動きに合わせるように圭吾の名を呼ぶ。自分だけに聞こえる声を聞きたくて圭吾は動きを繰り返し、自分の高まりを伝え返していく。
「けい……」
 三香子の声が途切れた。深い部分を突くたびに三香子が動けなっていたが、それでも三香子の最後の緊張が圭吾を締め付けている。その緊張を押し上げたくて圭吾が揺するように何度か体を押し付けると、ふるっと引き付けたように三香子が背を反らした。三香子から伝わってくる快感の頂点を共にしながら圭吾も自身の高まりを解いた。

 静かに上下している三香子の背中。
 圭吾の胸の上で三香子の唇がわずかに開いている。今はくたりと力が抜けて、寄り添っている体からはなんの強張りも感じられない。圭吾の手に肩を抱かれたまま三香子の息遣いの音が聞こえないほど小さくなっていた。圭吾がそっと首の後ろの髪の生え際をなでたが三香子は動かなかった。
「三香子」
「……ん……」
 眠りに落ちる寸前に返事をしたようだったが、三香子の目は閉じられていた。
「愛している」
 三香子は答えなかった。身を寄せたまま眠る三香子に圭吾の言葉は聞こえなかったかもしれない。だが、かまわなかった。三香子を抱きしめ、静かに繰り返される寝息を聞きながら圭吾も目を閉じた。
 いまは眠るだけでいい……。








 月曜日の朝は少し遅刻して会社に着いたが、仕事に差し支えなければ連絡さえ入れておけば
うるさく言われない会社なのは良かった。オフィスに入ると珍しく木下の姿が見えなかった。
「木下さんなら支社長室ですよ」
 女性社員のひとりがそう教えてくれた。別室になっている支社長室で支社長と話をしているらし
かったが、別にそれは特別なことではなかったので圭吾は自分のデスクで仕事をしていた。電話などを受けているうちにいつのまにか木下が戻ってきていて、昼休みになっても木下はまだデスクの前に座っていた。
「昼飯に出ないか」
「あれ、守田さんが誘ってくれるんですか」
 いつもは木下が声をかけてくるが、それがなければ圭吾は昼食はほとんどひとりだった。もっとも木下は昼食でなくてもしょっちゅう話しにくるのだが。
「三香子からおまえに伝えてくれって言われたことがあるんだ」
「へー、三香子ちゃんから。なんですか」
 木下はいつもの人懐こい笑顔で立ち上がった。ふたりで会社の近くの店に入って圭吾は三香子の言っていたことを木下へ話した。
「10月に桑原で産業祭りっていう地元のイベントがあるそうなんだ。その時に三香舎でも客を招くそうだからおまえと沙希さんにもぜひ来て欲しいってことだ。夏みかんのほかに新しいマーマレードの販売もするそうだから」
「そりゃあいいですね。沙希に言っておきますよ」
 産業祭りは三香子と初めて会ったあの祭りだった。
「俺からも頼むよ。来てやって欲しい」
 食べる手を止めて木下が目を丸くした。
「うわあ、守田さんがそんなこと言うなんて」
 いささか大げさな木下の言い方に圭吾は苦笑した。三香子のことはあんなに人を焚きつけておいてなにを言うのかと。
「三香子ちゃん、もうちょっと近くにいて会えるといいですよね。店、結構忙しいでしょう」
「俺が桑原に部屋を借りようかと思っている」
 え、と言って木下が驚いた。
「一緒に住むんですか」
「できればな」
 まだ三香子には話してなかったが、圭吾はそうするつもりだった。
「桑原から通うんですか」
「べつにそれほど大変なことじゃない。電車なら一時間だ。どうした?」
 なにか考えているような木下の表情に圭吾は引っかかった。木下らしくない。
「あのー、俺が言うことじゃないことなんですけど、桑原に住むのはちょっと待ったほうがいいと思いますけど」
「なぜだ」
 驚くのは圭吾のほうだった。
「いや、三香子ちゃんとのことが悪いっていうわけじゃなくて」
 どうも木下の言い方ははっきりしなかった。こんなことは本当に木下らしくなかったが、木下の
困ったような顔を見て不意に圭吾は木下が支社長室に呼ばれていたことに思い至った。
「どうしたんだ。なにか理由でもあるのか。支社長となにか話したことか」
「えーと、これはまだ俺と支社長との話で」
「言えよ」
 口止めされているのなら木下も話せないだろうが、桑原に住むのは待ったほうがいいと言われて理由を聞かないわけにはいかない。突き付けるように言ってから圭吾は付け加えた。
「おまえに聞いたとは言わないから。異動のことか」
 イギリス本社へ行ったときに社長と話をしたが、支社長の小林を中国に行かせたいことを聞いた。それは少なからず圭吾にも関わりがあることだが、本社からは圭吾には直接のアクションは起こされていない。小林のほうになにかあったことは充分に考えられた。だがなぜ支社長はそれを木下へ話すのだろう。
「異動っていうか、守田さんは知っていたんですか」
 木下は観念したらしい。
「支社長は中国行きの話、受けるでしょうかね。もし受けなかったら守田さんが中国に行かなきゃならないってことですか」
「俺は中国向きじゃないよ。本社が本気で中国との取引をするなら中国に関するスペシャリストが必要だろう」
「それはそうですけど、そこまでできないっていうのもあるんじゃないですか」
 圭吾は黙った。木下の言うこともわかる。この会社は必要な人材を他所から引っ張ってくるような優雅なことはやっていられないのだ。
「もし支社長が中国へ行ったら守田さんが新しい支社長ですか。でも本社は日本支社に中国も管轄させたがっているって支社長は言ってましたよ」
 小林が中国へ行っても行かなくても、どっちに転んでも日本支社は中国との取引に関わることになってしまう。後釜は圭吾だ。
「支社長にしてみたら面白くなさすぎるだろう」
 ため息を抑えて圭吾は言った。もともとテコ入れの形で圭吾が日本支社へ来ているのだ。
「支社長がどうするか、それは支社長が決めることですけど、支社長はもともと独自に日本支社をやってきた人ですからね。今さら本社の言いなりになりたくないって言ってましたけどね」
 言いなりになりたくない。木下の言ったその言葉に圭吾は木下の顔を見たが、話している内容の割には気楽な木下の顔だった。コーヒーを飲み始めた木下を見ながらが圭吾はしばらく考えていた。
「……おまえ、通関士の資格持っていたな。それから国際物流管理士も」
「う、守田さん、言い方が怖い」
 なんとなく支社長の小林の考えが読めた。が、それを木下に確認することはやめた。ビビった振りをしているだけで木下は圭吾の言うことを肯定している。異動に関する動きがありそうなことは確かだろう。圭吾は午後に支社長から呼ばれるかと思ったが、呼ばれなかった。


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