副社長とわたし わたしの総務課長様 2
わたしの総務課長様
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2
母曰く、『何事も段取りと慣れ』だそうだ。
「料理だって同じでしょ。先に段取りを組んでおくことが大事。それを繰り返せば自分の身に着いてきて慣れるから、忙しい時や材料が足りない時だってどうとでもなるものよ」
そういえば母はカレールーが足りないからとコンソメやらなにやら足してスープカレーだと言って出してきたことがあった。お母さんの言う段取りとはちょっと違うような。いや、段取りが悪かったからそうなったってこと?
「よし」
料理を作り終えて並べる。今日の料理はまあまあな出来。あとは孝一郎さんが帰ってきたらあたため直すだけ。洗濯も済ませて、お風呂だって完璧よ!
孝一郎さんは平日にわたしがマンションへ来て食事のしたくや片づけをしなくてもいいよと言う。お互いが仕事をしいて忙しいから瑞穂にばかり負担になると言って。
毎日遅く帰ってくる孝一郎さんはマンションには眠りに帰ってくるようなものだし、食事は外食やお弁当を買って食べるほうが楽だっていうことはわたしもひとり暮らしだからよくわかる。それも仕方がないって思えるくらい彼が毎日忙しいのだということも。
でも、ときどきはいいよね。わたしの料理だっていいよね。そう思ってわたしは今夜、部屋で 待っていることを孝一郎さんへメールしておいた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
帰ってきた孝一郎さんはいつもと同じような笑顔。でもその顔にうかがえるファイブオクロック・シャドウ。もう夕方の五時はとっくに過ぎて十時を過ぎているけれど。
「疲れたでしょう。ご飯、食べる?」
「うん。腹が減ったよ。今日は瑞穂がいるからって思いながら帰ってきた」
「あのね、肉じゃが作ったんだ。それとね」
カバンを置き、上着をソファーの背へ置くと孝一郎さんがキッチンへ入ってきた。
「あ」
孝一郎さんが黙って後ろから腕を回してくる。彼の両腕に閉じ込められて孝一郎さんの頬が触れる。かすかにちくっとした感触。
「キス、して」
孝一郎さん。
至近距離で言われるその言葉にぼうっとなりそう。ワイシャツ越しに感じる腕の力。彼はまだネクタイも緩めずにいる。
何度見ても。
孝一郎さんに見とれてしまう。こうして腕を回されて、目と目を合わせていればなおさら。
「キスしてくれないの?」
「え、あの」
答えを待たずに唇が触れ合う。ただいまのキス。なはずなのに唇を押しつけられて舌が絡む。深いキスに息が止まりそうになる。やっと唇が離れても彼の腕はわたしへ回されたまま。
「食事は後でもいいかな」
「でも、お腹すいてるって」
「すいているよ。でも、それよりも」
孝一郎さんがくすっと笑う。これって。
彼の瞳の中にある表情。それがなにかわかってわたしはあわてて彼の腕を押した。
「だめ、ちゃんと食べてくれなきゃ。それからお風呂も入ってくれなきゃだめです」
え? と孝一郎さんが意外そうな顔になる。でも、わたしがこんなふうに威張って言っても孝一郎さん、怒ったりしないよね。
「はいはい。じゃあ着替えてくるよ」
孝一郎さんは笑いながら腕をほどくと着替えに行った。
いまの孝一郎さんにはちゃんと食べて、眠って欲しい。
女房気取りって思われてもいい。本当にそう思っているんだよ、孝一郎さん。
なのに。
「それだけで済むわけないと思うけれど?」
そうですね、あなたの言う通りです。
わたしはお風呂から出るとまっすぐに寝室へ行った。孝一郎さんはベッドに座っていた。わたしが彼の前へ行くと座ったまま腕を広げる。抱きしめられてキスをしながら孝一郎さんの回された両手が腰からパジャマのズボンへ入って
お尻をなでるようにショーツごと引き下ろしてしまった。そのまま孝一郎さんが床へ片膝をつく。彼の目の前でむき出しの両足を晒して立っているのがひどく恥ずかしい。すぼめた足の間に空気を感じるみたいで。
「待っていたよ」
片膝をついて姫君を見上げる美しい騎士様? いいえ、パジャマの上着だけという姿にされたわたしの前に膝をついているのは総務課長様。
彼の手に両足が抱かれる。彼の顔が足へ近づいてわたしは恥ずかしくて膝が曲がりそうになるのを彼が支える。太ももへキスをされた瞬間にしびれるような震えが走った。
孝一郎さんのすべすべの肌。顔だけじゃない、女のわたしよりも美しいと思わせる孝一郎さんの体。細身なだけの体つきとも違う、均整のとれたほどよい筋肉のついた男らしい体。その体の最も男らしいところが……。
「……は」
彼の入ってくる圧力が感じられてわたしは声がでてしまう。何度抱かれても彼が入ってくる時は体が緊張する。けれどもそれもすぐに感じられなくなる。
「あっ」
押し寄せてくる快感に目をつぶってしまう。彼は肘をついてわたしにかがみこんだまま動く。わたしを捕まえたまま。しっかりと抱きこまれて体を反らすことも動くこともできないままに彼からの快感が湧き上がってきてそれに負けてしまう。
「……こ、う……」
もう彼の名をちゃんと呼ぶこともできないけれど、わたしの上で揺れる彼の髪がわたしに密かな自信を持たせてくれる。肌に感じる孝一郎さんの息も、熱い動きもわたしだけのもの。
少し動きを緩められて、それが余計に深いところで彼を感じる。
「は……っ」
こらえるような彼の声。細められた目はかすかに笑っているようで、でもそうではない表情。
「……いい?」
こんなことを尋ねたことはない。
「すごく。瑞穂、だから」
動きに合わせるように短く答える言葉が彼も余裕がなくなってきているとわからせてくれる。息をする間もなく、びくつくような力が体中に広がっていく。動きを止めた孝一郎さんがわたしの中で解放されていくのが感じられて……。
寄り添った彼の指がまぶたに触れる。目を開けて、というように。
「好きだよ……」
わたしのほうが、もっと好き。
でも、そう言うときっと孝一郎さんは僕のほうがもっと好きだよって言うに決まっている。だからわたしは言わない。答える代りに抱きついたら、胴が引き寄せられて足が絡み合った。孝一郎さんの手が下がっていく。
「明日も、会社……」
「そうだね」
わかっているというように笑う。
いや、その顔って。明日も会社があるって、あー……。
わたしって、バカ。
孝一郎さんに休んで欲しいって思っていながら二度も……いえ、その。
「今夜は良く眠れるよ。ありがとう、瑞穂」
そう言うと、あっというまに寝息をたてていく孝一郎さん。わたしの手を軽く握りながら。
そう言ってくれる人だから。
孝一郎さんがそういう人だから、だからわたしはこの人が好きなんだ……。
東京の三月って寒い。ビルばかりの都会の風は冷たいのだろうか。そう思っていた三月も半ばになった時だった。
その日の朝も金田所長がいつものように営業所へ入ってきたが、所長の後ろからもうひとり入ってきた。
「おはよう、瑞穂ちゃん。久しぶりだね」
「……あ」
金田所長に続いて営業所へ入ってきた人。
それは大阪本社の谷崎さんだった。
「おはようございます。あの、谷崎課長、こちらへ出張ですか」
「そのことだけど、三上君、瑞穂ちゃん」
そう言って金田所長が自分の机の前に立った。
「五月から大阪本社から関東営業所へ移管する仕事がある。そのため谷崎課長がこれから何度かこちらへ来ることになる。ふたりともしっかり頼むよ」
金田所長がそう言うと谷崎課長が挨拶した。
谷崎さんは四年前まで関東営業所にいた人。三上さんが配属になるのと入れ替わりに本社へ異動して、その後本社で営業課長になっている。谷崎さんは挨拶が済むとさっそく金田さんや三上さんと三人で話が始まったので、わたしはお茶を淹れて運んだ。
「お、ありがと」
お茶を置くと谷崎さんがそう言ってわたしを見た。四年振りに会う谷崎さんはちょっと見ただけではちっとも変わっていなかった。日焼けした顔が若く見えていかにも営業マンらしい。
谷崎さんは確か三十八歳のはず。四年前までは一緒に仕事をしていたから、わたしも仕事に関しては心配なかった。
でも……。
谷崎さんは大阪へ異動になる前に一度だけデートをしたことがある人だった。
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