白 椿 22
白 椿
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22
久乃はまた時沢の町へ戻り、いつもの日常へ戻った。仕事や家事、そして和史の母として過ごす毎日。
毎日をあたりまえに、同じように過ごしていくうちにいつしか町の人の目も気にならなくなっていた。以前も今も変わらない香織や街道保存会の会長たち。
すっかり元へ戻ってしまったような日々。
そんな毎日に久乃の暮らしぶりも変わらない。和泉屋へ行ってほんのひと時を過ごすことが あっても。
古く黒光りのする柱。何代にも渡って踏み固められた黒い土間の土。白い障子紙がピンと張られた障子。手入れのされた大きくはない裏庭。
和泉屋に流れる静かな、そして変化のない時間。住む人のいないこの家の中は人の帰ってしまった後はひっそりと何の気配もない。
それでも今まで刻んできた時間を続けるようにゆっくりと古びていく家。目には見えなくとも時は静かに過ぎてゆく。
街道保存会の会長が返さなくてもいいと久乃へ言ってくれた和泉屋の鍵。その鍵をお守りのように握りながら夕暮れ時に久乃はひとり和泉屋の奥の縁側へ座る。午後の暖かさの残る春の夕暮れも、暑い夏の暮れない夕方も同じように過ぎていく。
……思うだけなら。
とっぷりと暮れ、すぐに暗くなっていく秋の夕暮れも。やがては冬の気配に移ってゆく風に揺れる庭の木々を眺めながら。
思うだけなら許される。
ただお互いの気持ちを信じて待っていると約束した。
たとえ声を聞けなくても、電話も手紙もなくてもわたしは礼郷を待つことができる。わたしにはそれができる……。
やがては和泉屋の裏庭の椿も花をつけるだろう。誰に気づかれなくとも季節が巡れば人知れずひっそりと咲いて、そして落ちる。
冬に花をつけて落す、椿の花の毎年の繰り返し。咲いて落ちるのが運命でも、花は何度でも咲く。
わたしもそうして待っていよう。
繰り返し咲く花のように、待っていよう。
わたしにはそれができる……。
◇
新しい年がやってきてしばらく過ぎた冬の日。今朝も手をつないで和史を保育園へ送る。寒い冬の空気に頬を赤くしている和史。
「おはよーございます!」
「おはようございます。今日も元気だね。和史くん」
先生へ元気よく挨拶した和史が園舎へと走っていく。寒くても元気一杯の和史。
保育園から戻った久乃は先に家事を済ませておこうと家の中を片付け始めた。その時、玄関の戸の開く音がした。
「ひさちゃん! ひさちゃん! いる?」
「いらっしゃい……あ、香織ちゃんだったんだ」
「ひさちゃん、早く!」
「え?」
玄関へ飛び込んできた香織が息を切らし手をばたばたさせている。寒さで息が白い。
「どうしたの? なにか」
「ひさちゃん、和泉屋、和泉屋さんに……早く!」
香織が和泉屋のある方角を何度も指差す。
和泉屋さん……。
久乃が玄関へ降りる。しかし久乃は玄関の中にある包装台の前へ行くと台の上に置いてあったボールペンやはさみをペン立てへ戻し始めた。
「ひさちゃんてば!」
香織が信じられないという顔で叫んだ。
「なにしてんの……!」
しかしその時、香織は気がついた。片付けたはずのはさみをまた持った久乃の手からカタカタと震えるような小さな音がしている。
「ひさちゃん」
香織が手を添えて久乃の手からはさみを離させた。顔を上げた久乃とやっと目が合う。
「香織ちゃん……」
「和泉屋さんだよ」
香織がもう一度やさしく言った。
「……うん」
和泉屋、それは……。
和泉屋の奥の座敷の縁側、そこにはコートを着たままの礼郷が立っていた。
「ただいま、久乃」
何も変わらない礼郷の穏やかな笑顔。
「1年経っても久乃のことが好きだってよくわかったよ」
「礼郷……」
抱きしめられた久乃の背中が震えている。
「泣いちゃだめだ。僕は久乃と悲恋する気はない」
「うん……」
「久乃は僕の妻だ。久乃を愛しているから」
「うん……」
それは……
それは運命のように。
咲いて落ちるのが運命のように、椿の花は咲いて音もなく落ちてゆく。
運命でも。
咲いて落ちるのが運命でも……。
(白椿 了)
2009.05.22
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