白 椿 4
白 椿
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礼郷は東京へ帰るとパソコンで宮原酒造のサイトを見てみた。会社の説明や商品の紹介。商品の説明以外は取り立てて特徴のない、よくあるような構成と内容だった。トピックスのようなものを記してあるコーナーが最新の更新がわかりそうなところだった。
200*年4月・品評会にて金賞受賞、2月・県の地酒祭りへ出店といったことが書かれていた。時沢町についてというコーナーもあり、そちらを見ると町の写真が何枚か載っていて和泉屋の建物の写真もあった。町指定の文化財という記述もある。
そういえば久乃は街道保存会というNPOの活動へ関わっているのだろうか。あの時、手伝っていたのはだからだろうか。
いくつか単語を打ち込んで検索をしてみると時沢町の街道保存会のサイトが見つかった。ブログもあり、活動の様子や町の行事などが書かれている。
このブログを書いているのは誰だろう。女性らしい文章。年配の人の感じではない。
それから時々、礼郷は街道保存会のサイトを覗くようになった。サイト自体はほとんど更新がなかったがブログのほうはひと月に1度か2度ほどの割合で更新がされていた。町のお祭りの様子、行事のことなど。それから和泉屋で行われたイベントの様子など。
小さな視点だったが穏やかな視線で語られるそれらの出来事。時には季節ごとの美しい写真も添えられていた。菜の花や鳳仙花、金木犀、椿の花。花の写真が多かった。そう言えば宮原酒造のサイトにも白と赤の椿の花の写真が美しくレイアウトされていた。
もしかしたら……。
それから半年後の3月に父はまた時沢の病院へ入院することになった。今回の入院は前回入院した時に決められていたのもので、前回が時沢では初めての入院だったのでその後の経過を見るための検査でもあった。入院は1週間ほどで済むという。
また時沢へ来た合間を見て礼郷は寺へ行ってみた。墓地の久乃が立っていたあたりへ行って墓石に刻まれている家の名を見ていく。
……宮原家。これだろうか。
墓石の横には四角い石の墓誌が立てられていた。墓誌には没年と戒名と俗名がいくつか刻まれている。一番端のまだ新しく刻まれた感じの名前。
******居士 俗名 圭吾 二十九才。
没年は1年前の2月。
1年前、そんなことが彼女にあったとは……。
5月。
父が時沢での2度目の入院から退院して2か月ほど、このところ父の体調も落ち着いている。時沢で入院したのが良かったんだよと父は言っていたが、入院ではなく今度はゆっくりと時沢へ行ってみたいとも言っていた。
「時沢か、いいですね」
そんなことを父と話していたある日、父が時沢の街道保存会からまた招待を受けたよと封筒へ入れられた手紙を礼郷へ渡してきた。
それは各地の文化や文化財の保存に関わっているNPO法人の交流会が東京で行われるというものだった。講演会と各地での取り組みの紹介や活動報告のようなものもあり時沢の街道保存会も数人が参加するという。和泉屋の当主として礼郷の父にも街道保存会の活動報告を聞きに来て欲しいというものだった。
「父さんは話を聞いていればいいようだけど、どうしたもんかなあ。ああいうところは」
「お父さんが大変なら僕が行きましょうか」
「お? そうか?」
「せっかく招待してくれたんでしょう? お父さんでなくても長男の僕が行けば街道保存会の人たちにも顔が立つし。保存会の人たちは誰が来るのかな?」
「会長やおもだった人たちだろう、たぶん」
会場の文化会館は開会式が始まるまでにまだ時間があったからたくさんの人たちがロビーにいた。礼郷はあたりを見回しながら時沢町の街道保存会の人たちの顔を探していたが、やがて背広姿の会長を見つけるとすぐに近くへは行かず、
会長のそばにいる連れの人たちを先に見た。見覚えのある人たちに混じって宮原久乃の顔。
しばらく声をかけずにいたが保存会の人たちから何かを言われた久乃が入り口のほうへ行って立って待っているようなので礼郷は人にまぎれてそちらへ行った。
「こんにちは」
礼郷が声をかけると久乃は驚いたようだった。礼郷の父が来ると思って待っていたのだろう。久乃は黒っぽいスーツに襟なしの白いインナーブラウス。会社員のようなスーツ姿だったがアクセサリーもなにもつけていない、若さに似合わない地味な姿だった。
「久保田さん……」
「もしかして出迎えてくれていた?」
「あ、はい、和泉屋さんがいらっしゃると思って……お父さんもご一緒ですか?」
「いや、父はちょっと都合が悪くて、僕が父の代わり」
「そうなんですか。それは失礼しました。どうぞ、会長さんたちも待っていますので」
思った通りだった。
ホールが開かれる時間になって案内されて礼郷も街道保存会の人たちと並んで客席へ座った。会長らは活動報告の発表をするからと言って客席へは入らず奥のほうへ入って行った。宮原久乃も会長たちの後について行く。
やがて開会式が終わると、各地のNPO法人の活動報告発表がされ始めた。時沢町の発表では町の風景や和泉屋の建物や活動の様子を写した写真とビデオが大きく映し出されて会長が説明をしている。久乃は後ろのほうで目立たないように手伝っているようだった。
講演会が始まる前の休憩時間に会長たちが客席のほうへ戻ってきた。
「いやー、こういったことは慣れてなくて。あがってしまいましたよ」
会長が大きな声で言いながら礼郷のとなりへ腰を下ろした。発表という重荷を降ろしていかにも緊張が解けたという感じだ。久乃は端のほうへ座っていた。
2009.02.13
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