花のように笑え 第3章 5
花のように笑え 第3章
目次
5
広い畑が太陽の光に輝くように広がっている。
丘陵のようになだらかなカーブを描きながら続いている畑の中を通る道の脇へ三田は車を止めた。
「精が出るな」
近くにいる男へ声をかける。馬鈴薯の様子を調べていたらしい男は立ち上がるとこちらへ歩いてきてとなりの畑との境に立った。並んで立つと三田よりも背の高い男が三田のほうを見ないで畑を見回している。
「穫り入れか」
「ああ、来週くらいに」
色の褪せた綿のシャツと作業ズボン、キャップ帽をかぶり長靴をはいたその男、聡が答える。
「無理するな」
「大丈夫ですよ」
聡を旭川へ連れて帰ってから2年近くが過ぎようとしている。その間、もう1度手術を受けたが聡の肩は完全には回復しなかった。三田は聡が以前旭川に作った会社を続けながら聡にリハビリをさせていたが聡はしばらくして瀬奈の祖父で
恩師でもある田辺康之の知り合いの農家を手伝うようになっていた。
今はその農家の小さな離れを借りてひとり暮らしで三田とも時々会うくらいだ。
「病院へは行っているのか」
「もういいんだ」
聡が畑を見たまま答える。唇が引き結ばれてこちらを見ることもしない。
旭川へ帰ってきてから聡は気むずかしくなっていた。少年時代のように自分の殻へ閉じこもってしまった聡。理由がわかるだけに三田もどうすることもできなかった。
あの時。
止めることなく瀬奈を行かせてしまったあの後、三田は聡に本気で殴られた。
「何だって?! 三田さん、どうして瀬奈を止めなかった! どうして俺を起こさなかった! なぜ黙って瀬奈を行かせたんだ!」
聡のこぶしを受けて三田も聡を殴り返した。怪我の癒えていない聡が殴られて倒れない程度には手加減したが。
「どうして? おまえは瀬奈さんを取り戻して満足だろうが、瀬奈さんの気持ちを考えられないのか」
「気持ち?」
「東郷のところにいて、おまえだって子供じゃない。何があったかくらいわかるだろう」
「……だからだ! もう瀬奈を離さない。ずっとずっとそばにいてやるんだ。なのに……なぜ瀬奈が出ていかなきゃならないんだ!」
苦しそうに聡が座りこむ。三田が手を貸そうとすると聡はその手を突っぱねた。
「まだ近くにいるかもしれない。瀬奈の行きそうな所を片っ端から調べて」
「よせ」
「なぜだ!」
「このまま瀬奈さんがおまえといても苦しむのは瀬奈さんだ。瀬奈さんだから」
「瀬奈のせいじゃない!」
「だが自分のせいでなくともおまえに対してひけ目を感じ続けるだろう。それでもいいのか」
「そんなことはさせない! 三田さん、もういい。とにかく瀬奈を探す」
立ちあがって出ていこうとする聡を三田はさえぎったが、聡は止ろうともしない。
「待てよ。おまえ、瀬奈さんを抱いたんだろう? どうだった? 瀬奈さんはおまえに抱かれてどうだった?」
聡の顔色が変わる。あまりにも踏み込んだ三田の言葉に。
「喜んでいたか? おまえに抱かれて瀬奈さんは喜んでいたか? おまえは瀬奈さんを取り戻して夢中だったろうが、瀬奈さんはどうだった?」
「いくら三田さんでもそこまで聞くのは許せない!」
「じゃあ瀬奈さんが以前の瀬奈さんでないことくらい気がついたんだな」
「そんなことはこれから」
「馬鹿野郎!」
怒鳴る三田を見返しながら三田の目の中の哀しみに気がつく。
瀬奈……。
あの時の瀬奈の表情の抜け落ちてしまったような顔。茫然としているような悲しいような。
きっと瀬奈の中ではまだ混乱しているのだろう。再会できた喜びが実感できないのだろう。そう思っていた。だが、そんなことはもうかまいはしない。
これからゆっくりと瀬奈の心を癒していけばいいんだ……。
怪我もかまわず瀬奈を抱いた。抱いて何もかもを元通りにしたかった。瀬奈を取り戻せた気持を抑えられるはずもなかったがそれは瀬奈を愛していたからだ。
瀬奈もそうだと思っていた。 だが……瀬奈はなかなか目を合わせようとはしなかった。泣いてはいないのに泣いているような表情。
それに気がついていたのに俺は気がつかないふりをしていた。瀬奈を抱きしめることがすべてを解決することだと思っていた……。
それでも、と聡の心が理不尽さに叫ぶ。
だからってどうして瀬奈がいなくならなきゃならないんだ! やっと取り戻せた瀬奈が、と。
「聡、わからないのか……」
わかりたくなかった。三田の言う事も、瀬奈の出て行ったわけも。
聡は黙りこんで三田へも口をきかなくなった。それでもようやく三田が説得して聡は旭川へ 帰ってきたが、帰ってきても聡はどうすることもできなかった。
肩の回復は思わしくなく再び手術を受けたが聡の肩が元通りに戻ることはないだろう。退院後にひとりで暮らしたいと言いだした聡を三田も無理に反対しなかった。
三田はかつて聡が旭川に作っておいた地元の産物などを企画販売する会社を維持させていた。
全国各地のデパートやイベントなどで開催される旭川の物産展などの企画やコーディネイトなども手がけていてこちらは好調だった。しかし怪我のこともあったが、もう聡は事業をする気はないようだった。
今、陽の光があたる畑を前にして三田は聡の顔を見ていた。AMコンサルティングの社長をしていたころとは違う聡の表情だった。かつての自分もこんな顔をしていたに違いない。愛する者を失って、世の中が信じられなくて。
「北海道の国産麻の布地について引き合いがきている。東京のK&Kという会社から」
「それが何か?」
会社のことは三田へまかせて聡はいっさい手を出していない。どうして自分へわざわざそんなことを言うんだ。
「その会社の会社案内だ」
三田がパンフレットのような書類を差し出す。会社概要といった内容が書かれていて聡がぱらりとめくった表紙の次には明るいイメージの写真が何枚も。
花や雑貨や小物などを配した布製品。別の写真ではそれらを手にする社員らしい数人。そのうちのひとり、中央にいる若い女性。
瀬奈……?
聡は三田のデスクを借りるとパソコンを立ち上げて会社名で検索をした。すぐに見つかった。じっとK&Kのサイトを見つめる。
この会社の主力は洋服やタオルやリネン類、ファブリックなど布製品が主流のようだった。
やがてこのサイトがK&Kのショップのサイトへも繋がっていることに気がつく。そちらのサイトを開くとそこにも女性雑誌に載るような写真がいかにも女性好みに美しくレイアウトされている。
これが今の流行りなのだろうか、麻生地を使ったゆったりとした服。クロス類、布のバッグや帽子、綿ガーゼのふわっとしたストール。そして布地類に添えられたりレイアウトされているシンプルな
それでいて機能的で温かみののある食器や時代がかった小さなアイアンの小物などが統一された雰囲気を出している。
「偶然じゃないだろう?」
パソコンの画面を見たまま後ろにいる三田に問うた。
「あたりまえだ。世の中はそんな都合良くいかない。瀬奈さんのことはずっと調べていたんだよ」
聡がパソコンの電源を落として立ち上がった。そのまま出て行ってしまう。
「……ったく」
三田はため息をつくしかなかった。
2008.10.12
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