芸術家な彼女 15

芸術家な彼女

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15


 桜のウェディングブーケとコサージュを仕上げ、夏物のコサージュにすぐに取りかかる。注文が来るのをじっと待っていてはいつまでたっても状況は変わらない。いいものができれば手作り作家のお店に置いてもらおう。 そう考えたものの、いろいろ考えてもいいデザインが思いつかない。これといって作りたいという花もない。しかたなく自分のレパートリーから色違いか何かで作ろうと思っても……白い花 、ブルーの花 、みんな月並みに思える……。
 こんな時は仕方がない。気分転換も兼ねて私は滝口さんのお店に寄ってみた。お店には金属製の花瓶にガーデニア(八重くちなし)の花が濃い緑の葉とともに活けられていて季節を演出している。 梅雨時に咲くこの花は優雅な花の形にあふれんばかりの芳しい香りを発していて、それをこんなイギリスの家具に調和させているあたり、さすが滝口さんと私はうっとり見とれる。幸いお店にはお客がなく滝口さんにも挨拶ができた。
 滝口さんに「桜のブーケ、とてもよかったそうじゃない」と言われて私はコサージュも作ったことを話していた。滝口さんのお店兼倉庫。奥のほうから滝口さんのご主人が出てきた。このお店は滝口さんがやっていてご主人は別の仕事を持っているからご主人がお店にいるのは珍しい。
「今沢さん、ご苦労さま」
「この前のパーティーではありがとうございました」
「いやいや、嬉しいサプライズをもらって礼を言いたいのは僕のほうだよ」
「はい?」
 滝口さんのご主人は書類を置きながら言う。
「あの立原さんにまた会えるなんて、驚きだったなあ」
「…………」
「あ、今沢さん、彼がサッカー選手だったってこと知らなかった? それは悪いことをしたかな……」
「いいえ、知っています」
 滝口さんが最後はすまなそうに言ったので私はあわてて言った。
「でも私はサッカーに興味がなかったし……立原さんから聞いただけだから。あの、彼ってどんな選手だったんですか?」
「それは……彼が言わないのなら僕が話しても」
「病気でプロをやめてしまったことは聞いています。だから、あの、立原さんには直接聞けないんです。だからどうして……滝口さんや村松さんは立原さんのことを……」
 私の口調が変だと感じたのだろう。
「ね、今沢さん、座って。お茶を淹れるから」
 滝口さんがそう言って下さった。

 お茶を前にして滝口さんのご主人が話しだす。
「……彼が全日本の公式戦に出たのは1試合だけだよ。そのとき立原さんはまだ二十歳くらいだったかな。その歳で全日本なんだからそれはすごいことなんだけどね。その試合はワールドカップ出場を賭けた試合だった。 その試合の後半のロスタイムの最後の最後で彼が、立原さんがシュートをして点を入れたんだよ。弧を描くようなシュート……まさに芸術的だった。新聞にもそう書いてあったよ。でも彼は次の試合はベンチで…… まあ、彼は歳も若かったし全日本の中では新顔だったから、だからいずれまた出てくると思っていた。でも次の全日本には招集されなかった。体調不良ということで自分のチームの試合にも出なくなっていたし…… いつのまにか消えていた。病気だってことは僕も後から知ったんだ。公表はしていなかったから。だから村松とももう一度復帰してくるかもしれないと話していたんだが……。でも、彼は戻ってこなかった。
たった一度の、あの伝説的なシュートを残して、ね」

 伝説的なシュート……芸術的な……。
 もう7年くらい前のことなのに滝口さんははっきりと覚えている、と言った。ただ一度だけ鮮烈なシュートを残していったのだと。
 立原……立原……あんたは……。


 相変わらず夏物のコサージュのデザインのアイデアがでない。
 とりあえずデザインしたものを試作をしてみたり。素材を変えてみたり。それでも手が進まない。
 じつはこういう新しいオリジナルデザインを生み出すのが一番苦しむ。イメージを形のあるものにする。そのイメージがわかない。普段は意識しないでもできるが、いったんつまずくと全然進まなくなる。
 造花やコサージュの作り方の本の通りに作ってもいいのだが、オリジナルのデザインを作ってきた私は本とそっくり同じものを作ることに抵抗がある。というより、それは勉強や練習以外ではしてはいけないことだ。 だからオリジナルデザインを考えるのは作家として当然の苦しみ……と今までは思っていたけれど……苦しい。今の私は相当苦しい。
 なぜ? アイデアが出ないだけじゃない……じゃあ、なぜ?
 ……集中できない。それは……。

 この部屋を出ていこう。
 どうしてもっと早くそうしなかったのだろう。
 急に手を止めて私は考えだした。新しい部屋を借りるのにはお金が必要だ。敷金や礼金。
もっと家賃の安いところを探そう。東京でなくてもいい。近県でも電車で東京に来れるところを。バイトをしなければならない。 定収入のない私は借金もできないが、とにかくここを出ていこう……。


 簡単なナイター設備のあるグラウンドを借りて毎週の練習がある。メンバーはみんな仕事を
持っている連中ばかりだから、これなかったり遅れてきたりするのはいつものことだ。 それでもみんななんとか時間をやりくりして練習にやってくる。近隣に住んでいる者、またはこの近くに勤め先がある者などが中心だ。
 その練習に理香がやってくるようになった。フェンスのむこうで立って俺たちの練習を見ている。このところ毎週だ。なんだ、あいつ。理香がここへやってくる理由も見つからない。
「響」
 思った通り、理香が出てきた俺を駐車場のところで待っていた。

「俺を?」
 理香の渡してくれた名刺から顔をあげると理香がうなずいた。
「私、今、スポーツライターをやっているの。響さえよかったら書かせてもらえない?」
 スポーツライター…… か。
 大学生だった理香と別れてから1度も会ってはいないから理香が今、どんな仕事をしているか考えたこともなかった。理香はもともとスポーツが好きだった。あの頃、俺のいたチームのファンクラブに入っていて……。
「やめとけよ。病気で全日本を抜けて、それでもまだサッカーしているしつこいヤツってか?」
「私が書くんだからそんなふうには書かないわよ」
「じゃあ、おまえの元彼でって?」

「……響、そんな言い方やめてよ」
 理香が表情をゆがめて言う。
「悪いな」
 理香の名刺を彼女の手に押し返した。
「俺には仕事もあるし、自分の楽しみでやっているサッカーだから邪魔されるようなことはごめんだ」
「響! あなたのこと憶えている人がいるのよ!」
 俺は荷物を持って車に向かう。
「……そうだろうな。この前も会ったよ。俺の彼女の知り合いのところでね。でもだからってもうどうにもならない」
「彼女?」
 理香が叫ぶ。
「彼女って?」
「悪いか? 俺に彼女がいて。どうってことないだろ?」
「響! わたしだって、わたしだって……!」
「何だ?」
「私だって憶えているのよ……競技場の……あの時の響を」
 理香の瞳、その瞳が本物でも。
「悪いな。忘れろよ」
 俺はグラウンドを後にした。


 アパートの情報雑誌。不動産屋。
 ああ、部屋を探すんならやっぱり住みたいところに行って部屋を探さなきゃだめだろう。特に安い部屋は。けれども土地勘のない私にはどのへんがいいのか……千葉、埼玉、それとも? 地名さえわからない。 出かけたついでに不動産屋さんがあれば店頭を見てみる。学生や単身者向けのいろいろな部屋を書きだして貼り付けているような小さな不動産屋さんでいい。マン
ションや一戸建てを探すわけじゃないから。
 不動産屋を気をつけて見ているようになると「立原不動産」という会社があるのに気がついた。立原のいるのは「立原不動産管理」で不動産会社のほうはお父さんがやっているらしい。
 そうだよね……立原は彼が住んでいる部屋と私のいる部屋を持っている。マンションの最上階の部屋。つまり家2軒分。東京の家2軒分だ。前に立原はあの部屋の家賃は30万だと言ってたけれどたぶん借りるとしたらもっと高いに違いない。 「立原不動産」からしてアパートなんかを扱う町の不動産屋ではない。扱っているのは新築分譲マンションや一戸建てだ。そうして立原はお父さんの関連会社で働いているのだろう……。

 梅雨の雨の降る中、私は前に住んでいたアパートに行ってみた。このあたりはけっこう小さなアパートが多い。同じようなところはないかな、なんとなくそう思って行ってみてアパートのあったところ、その裏の土地、 みんなまとめて更地になっていた。フェンスで囲まれていてそこにはマンションの建設予定と建設会社の名前などが掲示されていた。立原不動産の名前も。

 立原に追い出されたのは……そういう訳? ここがマンションの建設予定地だったから? だから私が家賃をためたのをいいことにして?
 マンションの建設や分譲に比べたら居候の女をひとり置くくらいなんでもないってことか。
 そうだよね……そういうことか……。


2008.01.25掲載

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