芸術家な彼女 4

芸術家な彼女

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 携帯電話が鳴っていた。
 はっとして起き上がった。携帯の時計を見るともう朝だ。8時を過ぎている。
「もしもし……?」
 相手が表示されていても恐る恐る出た。
「あ、今沢さん、インテリア・クラフトですけど。昨日はどうも。起きてました? じつは……」
 あ、ああ、昨日品物を納めに行ったインテリア会社。

 仕事の話だった。
 こんな時に携帯電話ってやつにつくづく感謝するね。たとえホームレスになってもこうして電話がつながるんだから。
「うちの社長が今沢さんの造花、とっても気に入ってね。ちょっと急ぎになっちゃうけど月末に
テーブルウェアの展示会があるんですよ。その時に今沢さんの花を飾らせてほしいんだけど」
「ぜひお願いします。……はい、わかりました」
 やったー、仕事の依頼だよ。えーと、テーブルウェアって? なんか聞いたことあるような。さっそく調べてみよう。

 しかし。
 ここで私は現実に引き戻された。住むところがない。どうやって作業をすればいいんだ?!
 私は昨夜服のまま寝てしまったソファーの上で髪の毛を掻きむしった。 しばらく考えて現実ってやつと折り合いをつけるしかないと覚悟を決めた。携帯で電話をかける。昨日の立原の連絡先だ。
「…………今沢です」
「あー、今沢さん。何?」
「あの、昨日おっしゃったことはまだ有効でしょうか」
「有効?」
「はい、この部屋の事……」
「待って、電話じゃなんだからそっちへ行くから。ちょっと待ってて」
 え? 来るの? もう電話が切れている。そして2分もしないうちに玄関のピンポンが鳴る。
ちょっと、まさか……。
 そのまさかだった。
 インターホンの機械の小さい画面にドアの外の様子が映っているが、まぎれもなく立原だ。何で? ドアを開けるとやっぱり立原だ。
「ど、どうしてこんなに速く来れるんですか?」
「あれ? 言ってなかった? 俺は隣りに住んでいるんだけど」
 えええーっ? となり? となりの部屋ぁ? ……そう言えば昨日のスーパーの袋に入った食べ物、たしかとなりの部屋から……持ってきた……。

「それで昨日のことって?」
 立原はトレーニングウェアのような黒い上下を着ていた。ジャージと呼ぶには高級そうだ。
「この部屋、ただで貸していただけるって本当でしょうか?」
「うん、本当」
 立原が気楽に答えた。ほんっと、あんたは気楽でいいよ。
「住民票を移せばいいんでしょうか?」
「うん。でも急ぎじゃないから2週間以内にでもやってくれればいいよ」
「他に条件はないんでしょうか」
「……条件?」
 立原の目がちょっと光った、ような気がする。
「別にないと思うけどね。また詳しく会社に聞いておくから」
 もしかしたらこの人も税金対策ってやつでここに住まわされているのかも?
「じゃあ、とりあえず3週間ほど住まわせて下さい。仕事の依頼が来ているんです。仕事する場所がないと困るんです」
「そりゃ困るでしょうねえ。どうぞ、かまいませんよ」
「ありがとうございます」
 私は素直に頭を下げた。

 それからその日1日を使って私は仕事に取りかかれるように準備をした。
 部屋の中には家具も、家電も、食器や台所用品も必要最低限のものはそろっていた。しかしキッチンにしてもあまり使われたような形跡がない。ベッドルームにはツインのベッドもあったが、ホテルのようにきちんとベッドメイクされてあった。
 テーブルに仕事道具を並べておく。それはそんなに時間のかかることではない。明日にはインテリア会社との打ち合わせをすることになっているからスーパーかコンビニを探して外に出たついでに本屋を見つけてインテリア雑誌を見る。 しかしテーブルウェアは載ってなくて女性雑誌を見てみる。 なんとかっていうメーカーの食器を使った「おもてなしのテーブルウェアを楽しむ」っていう特集があって誌面の写真を頭に入れる。ふーん、ディナーのような食器やナイフとフォーク、それらがテーブルウェアか。 そしてテーブルクロスやナプキンや花やそのほかの季節の飾りなどでテーブルコーディネイトして演出することなのね。 そんなふうに飾り付けられたセンスの良い写真を見ながら自分なりになんとか納得する。 ということはこのテーブルに飾る花をお皿やなんかと合わせればいいってことかな? じっくりその特集を眺めてむろん立ち読みで済ませる。
 それから食べ物を買ってマンションの部屋へ戻ると私はテーブルに座って紙を広げた。コピー用の安い紙だけれどデザイン画をいくつか考える。インテリア会社の具体的な飾りつけがわからないけれど時間がない。あと3週間しかないのだ。やっぱ淡い色合いだろうか。 生花と違っていろんな形にアレンジできるからそれを活かして……。
 どんどん仕事モードに入っていく。


「おい」
「ぎゃあ!」
 いきなり声をかけられて心臓が縮みあがったかと思った。
「ななな……た、立原さん?」
「どうして呼んでも出ないんだ? 心配するじゃないか」
 目の前に黒いトレーニングウェアの上に黒いベンチコートを着た立原が立っている。 ドアフォンの音もみんな一番低い音にしてあるんだよ。だって誰も来ないだろうし……って、あんたはなぜこの部屋にいるの?
 あっ、あっ、ああーっ!
 そうだった、この人、確か昨日この部屋を開けたよね。この部屋を管理しているって言って
キーを持っていて……ということは何? あんたはこの部屋に出入り自由ってわけ? 合鍵を
持っていて、私が中に居ても居なくても? いくら管理会社の人間だからって、それは……。

 自分でも顔色が変わったのがわかった。立ちあがって後ずさる。さすがにその私の様子に立原も気がついたのだろう。
「あ、ごめん、ごめん。来たそうそうで何かあったかと思って入っただけだから。ドアを入る時に声もかけたんだぞ。聞こえてなかった? これ、俺の持っているこの部屋のスペアキーを渡したかったし。ほら」
 立原がスペアキーをテーブルの上に置いた。
「……どうも」
「めし、食ったか?」
 意外なことを立原が聞いてきた。
 集中していて忘れていた。今はもう夕方、いや夜だろう。
「……食べました」
 ほんとはまだだけど。
「あ、そう。じゃあ」
 そう言うと黒い服の立原は出て行ってしまった。
 はあーぁー。思わずため息が出る。なんかあの人って私の邪魔をしに来るような。この部屋に住まわせてもらっていて文句言うのは悪いけど、あんまり私の神経をぶち切らないでくれる? せっかく集中していたのに。
 まあ、明日は打ち合わせに行かなきゃならないから今日はこのくらいにしておこう。何か食べてお風呂にも入りたいし。

 きっと立原にはお風呂に入れる幸せなんてわかんないだろうなあ……。
 湯船に浸かって私はぼんやり考えていた。熱いお湯を使って体を洗える幸せ。ああ、最高だわ……。
 何日も銭湯へ行かず冷たい水で体を拭いていた。ろくなものを食べていないからなんだか自分の体がしわしわで縮んでいるような気がする。温かいお湯、暖かい部屋。この部屋ではもう重ね着しなくてもいい……。でも、のんびり幸せに浸っている場合じゃなかった。
 すっかり体を洗ってお風呂を出ると私はすぐにベッドへもぐりこんだ。ツインのベッドだなんて
もったいない。ああ、高級ホテルのベッドみたい。わたしの部屋の安い布団とは違うわ……。

 インテリア会社との打ち合わせも済み、本格的に作業に取り掛かった。集中力には自信のある私。疲れていたけれどこんないい部屋で作業が出来るならそんなこと言ってられない。見知らぬ部屋にもすぐに慣れた。うん、どんなにいい部屋でも4、5日もいればホコリがたまってくる。 そうなればやっぱりホコリだらけにしていた以前の部屋と変わらない。そんなものだ。


2007.12.14掲載

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