芸術家な彼女 5

芸術家な彼女

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 白い花をたくさん作った。小さな花をたくさんつけた細長い60pくらいの茎を80本くらい。白といってもただの白い生地ではない。微妙に淡い色がつけてある。葉も淡いモスグリーン系。さらに違う種類の花を混ぜ込む。これをボヘミアガラスのような花瓶に飾るところをイメージする。 わざとほつれさせた細かい細かい糸が花や茎から出ていてかすむような雰囲気を出している。これならディスプレイのライトがあてられてもいい雰囲気になるだろう。あともっと長さを短くして何十本も作る。これは皿やナプキンに添えても、小さな盛花にアレンジしてもいい。
 仕事して何か少し食べて、仕事して眠って起きたらまた花を作る。雑に作っては意味がないから手は抜かない。 ちょっと期日に間に合うかどうか心配だったが8割がた出来上がって間に合いそうなのでほっと安心する。この間、食べ物は野菜を入れた麺類、インスタントラーメン、それさえも面倒な時にはおせんべいやクッキーみたいなおなかにたまるお菓子を食べた。
 私は立原のことも完全に忘れていた。なのに忘れていた立原から携帯に電話が入った。前の部屋に置いてきてしまった私の服やなんかを取りに行っても良いという。着替えは確かに欲し
かったけれど。じゃあ、取りに行きますと答えたら立原も一緒に行くという。鍵は立原が開けるから。

 立原は車を出してくれた。
 ありがたく乗せてもらう。今またこの立原と言い合いをしたりして怒り心頭になるとせっかく持続している仕事モードが崩れてしまいそうだったから。
「どしたの? 今日はおとなしいね」
 そんな言葉も相手にしない。私は元からおとなしいんです。ちょっとつまらなそうな立原。私で楽しまないでくれる?
 今日の立原はスーツだった。仕事の途中だったのかな。ちらっと申し訳ないような気持ちがしたが黙っていた。この人、こうやってスーツなんか着て黙っているとかなりいい男だ。背も高いし、顔だって悪くない。どちらかと言えば上等な男の部類だろう。
 だけどなんかこの人はわざと私を怒らせているようだ。ありがたいんだけど妙なちょっかいを出してくる。本人はそうは思ってはいないらしいけど。

 私が服やなにやら持つと立原はまたマンションへ送ってくれた。さすがに礼を言う。
「ありがとうございました。すみません、お仕事中に」
「いや。今は忙しくないから。今沢さんは仕事しているんだよね」
「はい」
 部屋に閉じこもってやっている仕事だからこの人にはわからないのかもしれない。
「そう。あんまり部屋から出入りしないから死んでいるのかと思ったよ」
 死んでいる……って、ちょっと。
「ある程度集中してやらないとできないものですから」
「ふ〜ん……」
 何なんでしょう? この人。

 とりあえずあるものを食べて仕事を続けた。
 こんなにたくさんの花を作れて自分でもかなり上手くできたと思う。スーパーからもらってきたダンボール箱に挿して花瓶に挿して飾るところを想像する。花瓶さえあればこの部屋の雰囲気にだってあっているのに……。出来あがった花を朝日の中で眺めながら私はホッとしていた。 今日はこれを納めに行ってそうすればゆっくり眠れるだろう。睡眠不足で少し頭が痛かったけれどそんなの眠ればなおるだろう。だるくて少し寒気も……でもそんなこと言っちゃいられない。私は花を持って出掛けた。よかった、運べる大きさで。


「……さん」
 …………
「今沢さん?」
「あ、はい。すみません、失礼しました」
「急がせてしまって悪かったですね。展示会にはぜひ見に来てくださいよ」
「はい、ありがとうございます。またよろしくお願いします」
 インテリア会社の店頭。いつ来てもおしゃれでハイセンスなディスプレイ。こんなところに私の花が飾ってもらえるだけでもうれしい。精一杯礼儀正しく言って頭を下げる。仕事をしていく上で礼儀や挨拶はそういうことにやかましかった地元の伝統ある優良企業で働いていた時にたたきこまれている。 とにかく終わった。代金も貰った。現金でもらえるのがなによりうれしい。
 インテリア会社から電車の駅に向かって歩き始めた頃はすっかり夕方だった。乗った電車の中が混んでいて暑いくらいに感じた。満員だ。こんな時に東京の電車は空調が効いて温度が下げられる。私の地元ではこんなことはめったにない。あたりまえか……。座席に座れるはずもなくなんだかとても足がだるい。 早く帰りたい。早く眠りたい。……それしか考えられなかった。

 やっと部屋のドアの前にたどり着く。
 ドアにもたれるようにずるずると座り込んでしまった。ドアに顔をつけて。
 ああ、開けて中に入らなきゃ……でもちょっと休憩……ドアの冷たさが気持ちいい……。

「今沢さん」
 はい。何でしょう……どちらさまでしょう……。
「今沢さん」
 ……え?

 横になっている。私。それに……立原? どうして……?
「驚くじゃないか。あ、バッグから鍵を出して開けさせてもらったから。具合が悪いならちゃんと寝ていろ。ドアの前に座り込んでいるからどうしたかと思ったぞ」
 ああ……そうか、彼が……。部屋のベッドに寝かされている。
「すみません、仕事だったもので……すみません」
「着替えなきゃだめだ。熱があるんだから」
 言われなくてもわかる。ひどくだるくて、体が重くて、寒くて……歯がカチカチいいそう。
「着替えられるか?」
 なんとか頷いた。立原が部屋を出てくれたのでのろのろとパジャマ代わりのTシャツとイージーパンツに着替えをした。寒い。
 痛む体でベッドにもぐりこんだ。震えが止まらない。彼がいつ部屋に入って来たかそれにも気がつかなかった。
「医者に行ったほうがいいんだが。薬は飲んだか?」
 首を振った。薬なんて風邪薬も解熱剤も持ってはいない。
「ちょっと待ってろ。俺のをやるから」
 それから立原が部屋を出てしばらくしてまた戻ってくる気配がした。
「夕飯、何か食べたか?」
 立原に聞かれて首を振る。今日は朝からなにも食べてはいない。
「なんか食べてから飲んだほうがいいんだけどな」
 薬の事を言っているのだろう。
「すみません、いいです。薬だけください……寝ていればなおりますから……」
「市販の薬は飲んで大丈夫なんだな?」
 頭をうなずくように動かすので精いっぱいだ。
「待ってろ、パンがゆ作ってやる」
 パンがゆ……パンがゆ……って?
 震えながら気を失うように眠りこんでいった……。

「今沢さん、おい」
 また彼の声で起こされた。
「食べなきゃだめだ。ちょっとでいいから。起きて」
「う……ん」
 肩を支えられるように上体を起こさせられた。やっぱり立原だ。タートルのチャコールグレーのセーターの袖を腕まくりしている。ベッドの脇に彼は盆に乗せた皿やペットボトルを持ってきていた。 スプーンを添えた「パンがゆ」の椀を差し出される。椀を持った私の手が震えている。
 ひとさじ、無理に口へ入れた。牛乳で煮たどろっとしたパンの味。温かくて少し甘みもつけてある。
「もういい……」
 食べられない。やさしい味だったけれど。ごめん。
 立原が解熱剤を二粒手渡してくれた。それとコップの水も。ひとくち口に含むだけでもひどく億劫だ。でもなんとか薬を飲みこんだ。
「横になれ」
 立原の言葉にもう何も答えられなかった。

 眠っていた。
 何の夢も見なかったが時々眠りが浅くなったのがわかっても目を開けられなかった。眠りの深浅を行ったり来たりしているようだった。
 熱い。やっと目が覚めた。体が熱い。震えるような悪寒はなくなっていたが体が熱っぽい。首筋へ手を当てると汗をかいていた。のろのろと起き上がった。寒くはないが体がひどくだるくて重い。トイレに行きたい。

 トイレから出るとキッチンへ行こうと思う。水を飲まなきゃ。そこで立原が横にいるのに気がついた。
「大丈夫か?」
「ん……お水」
「ベッドのところにあるから、さあ」
 なんだか抱きかかえられているようだった。きっと私はふらふらしていたのだろう。ベッドに座る、それだけでも体がだるい。
「スポーツドリンクを飲むんだ。水よりいいから」
 隣りに座った立原が私の体を片方の腕で支えるようにしながらペットボトルを持たせてくれる。なんとか飲む。
「解熱剤が効いてきたな。水は少しずつこまめに飲むんだ。ここに置いておくから」
 うなずいて目を閉じると彼が布団を掛けてくれたのがわかった。
 ああ、すみません……すみません……。


2007.12.18掲載

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