窓に降る雪 24
窓に降る雪
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高宮は大学時代の友人の広沢に連絡をとっていた。若林と同じバスケットボール部の友人で大学在学中から高宮が新藤代議士の甥と知ってぜひ新藤に紹介してほしいと頼み込んできた男だ。明るくたくましい印象の男だったがバスケはたいしてうまくなかった。高校時代はラグビーをやっていたという。
どうやら高宮に近づきたくてバスケ部に入ったらしいと高宮も後からうすうす気がついたが、広沢は選手にはなれなくてもマネジャー的な仕事を引き受けてよくやってくれていた。同級生や下級生にも慕われて最後はマネジャーというよりは監督並みに自然と部を掌握していて監督にもずいぶんと卒業を惜しまれたものだ。
広沢が高宮へ近づくためにバスケ部に入ったとしても嫌みのないこの男のために高宮は政治には関心がなかったのでむしろ気やすく伯父に紹介する労をとってやった。ただし紹介はするがそれから後のことは広沢自身に任せると言っておいた。広沢もそれは承知で、政治を志してはいたが地方の会社員の息子で何の地縁も後ろ盾もない広沢にとっては高宮の紹介だけでも非常にありがたいものだった。
広沢にはそれだけの器量があったのだろう、高宮は紹介しただけだったが広沢はうまく新藤に気に入られて卒業後は新藤の秘書の助手のようなものになっていた。今はもう広沢自身が新藤の秘書をしている。まだ若いがいずれ議員に立候補するだろう。
「おい、久しぶりだなあ。何年前に会った?」
「確か2、3年ぶりだ」
高宮はレストランの個室で広沢と会っていた。
「伯父上が大臣になって以来お前も忙しいだろう。よく来てくれたな」
「おまえの呼び出しなら来るさ。大臣をほっぽっといてもな」
広沢の冗談に高宮は笑ってみせた。
「高宮、おまえ結婚するんだってな。J銀行の中村頭取の」
広沢が先に言う。
「ああ」
高宮はそう答えただけだった。
「新藤先生のところにも話が来ているぞ。中村頭取からな。なぜおまえから言わない?」
「おまえだから言うが俺は頭取にもその娘にも興味はない。他に好きな女性がいる。その女性とのことを利用されて頭取に娘との結婚を承諾させられたんだ」
高宮は淡々と説明した。
「へえ、おまえが女性問題か」
広沢は驚いているようだった。
「で? どんなことを握られたんだ。おまえの彼女の」
「彼女は高校生だったんだ。ふたりでホテルにいるところを写真に撮られた」
ワインを飲んでいた広沢が途中で固まった。
「……ホテルぅ? 高校生? ……あ! いや、ごめん。なんかおまえからそんなことを聞かされるとは。うーん、高校生かぁ、何年生だ?」
「もう卒業したよ。今は大学生だ」
「ふーん、18歳より若いなら確かにヤバいけれどな。真剣につきあっているならいいじゃないか。まさかそれですんなり結婚を了承したのか? 写真を表沙汰にすると言われたらなあ。だが理由は写真だけじゃないだろう」
さすがに広沢は鋭かったが高宮はそれ以上言う気はなかった。三生の母親のことは決して言うまい。高校生と会社社長がホテルに行ったことだけでも世間からは充分騒がれるのだから。
高宮が黙っているので広沢は話を続けた。
「あのおっさんはおまえのことを離すまい」
中村頭取のことを広沢はそう言った。
「新藤先生にすり寄るやり方をおまえにも見せてやりたかったよ。俺もいろいろな人物を見ているがあの頭取はいやだね。おまえなんか恰好のターゲットだろう。政治家と実業家の両方の家柄なんだ。娘でもなんでもくれてやりたくなるさ」
高宮は苦い顔つきでワインを飲んだ。
「社長なんていつでも辞めてもいいが、あの頭取の目的は私の会社じゃないんだ。今のところこちらには打つ手がない」
「頭取の目的はおまえ自身と新藤先生でもあるのか。おまえそれを先生に話して頭取へ婚約解消してもらうように言ってもらったらどうだ?」
「伯父には迷惑かけたくないんだ。なにか交換条件を出されるだろ」
「やっぱりおまえはぼんぼん育ちだなあ。人がいいぜ」
「ことはいろいろとやっかいでね」
三生の顔がうかんだ。なんとしても彼女は守りたかった。
「頭取の娘と結婚したからといって弱みを握られたままではだめだろう。こちらもむこうの弱みをつかみたい。ずっと言いなりにはならない」
広沢が口をとがらすように言う。
「どうしてそれを先にやらなかったんだ」
「自分でも自分の甘さに嫌気がさしているよ。だが彼女のことは絶対にスキャンダルの矢面に出したくない。あらゆる手を打つ。だから頼む」
広沢はワイングラスを置いて考え込んだ。
「おまえ、本気なのか? その……大学生の彼女に。他の女と結婚してまでその彼女を守りたいのか」
「そうだ」
高宮は答えた。
「いっそ頭取とつるんでしまったほうがいいのかもしれないぞ」
「おまえの言うことはわかる。しかし彼女のことは譲れない。絶対に表に出したくない」
高宮は繰り返した。
広沢がちょっとあきれたように言う。
「おまえ、変わらないな。普段は物静かなくせにここぞという試合となるとすごいファイトを見せてくる。俺はそんなおまえが学生時代からうらやましかったよ」
「監督にはそのファイトを全試合に常に出せとよく言われたがね」
高宮は苦く笑った。そして広沢に頭を下げた。
「頼む」
「ばかやろう」 広沢は即座に言う。
「俺に頭なんか下げるな。おまえが俺のことを友達として頼んでいるならな」
「わかった。役に立ちそうなことは知らせるよ。でもな高宮、こういうことはすぐには無理だ。時間がかかる。おまえ、6月には結婚するんだろう。いいのか」
娘との結婚を急ぐのにも頭取の思惑がある。それも高宮にはわかっていた。
広沢と別れると高宮は歩きはじめた。
また三生のことが思い出された。今頃彼女は何をしているのだろう。高宮はたったひとりで暗闇にいるような気分だった。もう彼女を腕に抱くことはできないだろうが彼女をスキャンダルに巻きこむようなことは絶対にしない。高宮にはもうそれしかできることはないのだから。
すぐに広沢の紹介の興信所に中村頭取の身辺を調べさせた。出身、経歴、家庭、趣味。
こういった上っ面なことのほかにも他の人間との付き合い、資産の運用、それらの名義から愛人の有無といったことも調べさせる。が、こちらはすぐには報告が上がってこない。
「簡単にわかるような事柄の報告なら要らない」 そう言ってある。
しかし中村の身辺のことはもちろん、銀行内のことも簡単にはわからなかった。銀行は業務に関してはガードも堅い。中村についても調べられてぼろが出るような人間が頭取になるはずがなかった。
しかしJ銀行内の人事には広沢の情報が役に立った。10年ほど前のJ銀行とH銀行の合併時に次期頭取と目されていながらH銀行出身の中村に先に頭取の座を奪われた格好の専務がいるという。J銀行のたたき上げで実務から登ってきたその島田という専務と中村はそりがあわないらしい。
……合うわけがないだろう。高宮はその専務が祖父と同じゴルフクラブの会員であることを調べ上げて自分からではなくゴルフクラブの社長から連絡をさせて料亭へ出向いてもらった。専務を座敷へ案内させるとゴルフクラブの社長と入れ替わりに高宮が入っていったのだ。
最初はいぶかしげな専務の表情だったが、高宮の姿を見ると居ずまいを正し初対面のあいさつをしたのだった。高宮にはたたき上げの銀行マンのほうが中村頭取のような男よりはるかにわかりやすかった。こちらも誠実な付き合いを続けたい意志を表せば否応もない。それが仕事だからだ。
「あなたのような実務に詳しく、経験の豊富なかたにこれからもご教示を賜りたいと思っています。ご存じのように私は祖父の力で社長になった若輩者です。どうか御助言よろしくお願いします」
高宮の率直な言葉と頭を下げられて島田専務は恐縮した。これまで中村頭取は高宮と専務を決して同席させることはなかった。高宮が白広社へ入った時にはすでに中村が頭取だったからだ。島田専務も中村の意図的な作為を感じてはいた。専務が言う。
「私は先代の社長を、あなたのおじい様を尊敬しています。個人的にもずいぶん可愛がっていただいた。お孫さんでもあるあなたにもずっとお会いしたかったのですが…… やっとこうしてお近づきになれました。中村頭取のもとでは正直あなたにはお会いできないとあきらめていたのですよ。ましてやあなたは頭取の娘さんと結婚なさると聞きました。そうなればなおさら」
この専務が祖父と知り合いだったとは初耳だった。ゴルフクラブが同じなのはそういうわけか。祖父の人脈の確かさに内心感謝しつつ高宮は冷静に言った。
「では良い時にお会いできてよかったです。祖父も私があなたにお会いできたと聞いたら喜ぶでしょう。白広社も私も中村頭取のものではありませんよ。今までも、これからも」
高宮がそう言って島田に酒を注いだ。
「高宮社長、失礼だが中村さんのお嬢さんとの結婚はあなたから?」
「いいえ」
「そうですか。……中村さんのご長男とは会われましたか?」
思わぬことを島田が言いだした。中村には加奈子の上に息子がいる。
「いいえ、会っていません」
「ご長男は以前、ある国会議員の秘書というか、秘書見習いというか、そんなことをしていたらしいが、どうもこの人が……。中村さんはご長男をあきらめてあなたへ乗り替えたのでしょう」
ひとくち酒を飲んで島田が続ける。
「あなたの亡くなったお母さんは新藤先生の妹さんだ。中村さんはどうでも政治にかかわりたいと見える」
「頭取の息子さんは……」
「それはあなたが知っていたほうがいいでしょう。調べてみては」
島田の最後の言葉はずばりそのものだった。島田が祖父の知り合いだから話してくれたのだろう。そして祖父が島田を可愛がっていたからこそ中村は島田と高宮を近づけたくなかったのだ。
高宮はうなずいた。代議士の秘書ならば広沢に聞いてみることもできる。
『でも中村の息子はとっくの昔に辞めているぜ』
「理由は? おまえ、その中村の息子と会ったことはあるか」
『たしか顔をみかけたことはあった。俺のところの事務所の後輩が中村の息子と同じ大学でね。まあドラ息子と言う話だった』
「わかった。あとは俺のほうで調べてみる。ありがとう」
『高宮……来週、結婚式だな』
それ以上広沢は何も言わなかった。高宮も答えなかった。
結婚披露宴が終わり、加奈子と高宮は新居のマンションへ戻った。加奈子はホテルへ泊まりたがったのだが高宮は取り合わなかった。
「まあいいわ。別にホテルでなくても。結婚式さえ済んでしまえばね」
加奈子は家へ着くとすぐに寝室で高宮の首へ腕をまわした。が、高宮がじっと加奈子を見下ろしている。
「なあに……?」
「加奈子さん、あなたを抱く気はない」
「……でも!」
加奈子はうるんだ目で叫んだ。
「でも、私たち結婚したのよ。あなたはわたしの夫でしょう?」
「結婚はしました。でも夫としての義務を果たす気はないし、強制されたくもない。あなたは」
高宮は加奈子の腕をひきはがした。
「あなたは私の恋人じゃない」
加奈子はうるんだ目の表情を捨てて怒りに顔が赤くなった。
「じゃあ、じゃあ、あなたのその恋人とやらならあなたは抱くのね? でもわたしと結婚したあなたにその子が抱かれると思う? あなたに裏切られたのに! 私たちが結婚したことをその子に知らせてやってもいいのよ。それとももう知っているかしら!」
加奈子の悪意に満ちたその言葉を高宮は受け止めた。受け止めたが何も言わなかった。
加奈子を残して部屋を出ると書斎へ入った。そこには加奈子に用意させたソファーがあった。 二度と夫婦の寝室へは入らない。書斎に鍵はかけなかったが加奈子がなにをしようとも、もう自分を変えることはできない。
2007.11.05掲載
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