窓に降る雪 22

窓に降る雪

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22


 卒業パーティーである謝恩会は嶺南学院の講堂ホールで行われる。春の気配のする晴れやかなこの日は昼前に卒業式を済ませた生徒たちは制服から着替えて集まってきていた。講堂の前には下級生たちがおしゃれをした卒業生を見ようと列をなして待っていた。
「尋香せんぱーい、お着物すてきー」
 下級生の声が飛ぶ。
 尋香は振袖を着ていた。一緒にいるのは父親で下級生はちょっとがっかりというふうに寄り集まってきゃあきゃあ言っている。

「……わっ、わ、三生先輩!」
「う、わあぁー」
 一段と高くなった下級生の黄色い声に振り向いて尋香は驚いた。 講堂のエントランスに三生と高宮が入ってきていた。ふたりが歩くそばで下級生たちは一気に興奮している。
「きゃああっっ、三生先輩の彼? 彼? すっごい大人!」
「えー、先輩って彼がいたのおー? 全然知らなかったー」
「見て見て見て! あの人のスーツ、イタリアブランドよお」
 もう下級生はキャーキャー状態だった。
 この日は三生は紺色のパンツスーツで上着の中は柔らかなカシュクール風の白いブラウス
だった。ボタンを止めていない上着に半分隠れていたがブラウスの脇は幅広のボウで結んでいる。パンツはひざ上がタイトな感じで三生の足のラインがすらりと出ていた。 耳には高宮から贈られた真珠のイヤリング。他のアクセサリーはつけてはいなかったがすっきりした白いブラウスが彼女にとてもよく似合っていた。
 高宮はチャコールグレーにピンストライプの入ったスーツに白いドレスシャツと小さな模様の暗いえんじ色のネクタイというスーツ姿でさりげなく三生をエスコートしている。

 この謝恩会は規則の厳しい嶺南では唯一といっていいほどの卒業の感謝と華やかさにあふれたパーティーだった。ここを卒業して大人の仲間入りをしていく生徒たちへのはなむけとしてのパーティーと言ってもよかった。 楽しい雰囲気ではあったがあまりはめをはずしたりもできないのは当然だったが、こうして集まってくる卒業生たちを迎えるのを下級生たちも楽しみにしていて花やプレゼントを渡そうと待っているのだった。三生にも尋香にも小さな花束やプレゼントが渡されて次々と握手される。 それに三生の後ろで見守っている高宮には下級生たちは先を争うように頬を染めて会釈をしている。
「すごい。高宮さんを見る下級生の目がハートマークだ」
「まさか。それは君にだろ」
 ふたりは小さい声で言って笑いあった。
 背の高いふたりが講堂へ入っていくと卒業生たちもいっせいに振り返る。
「三生、卒業おめでとう」
「尋香もね、おめでとう」
 互いに握手をして祝い合うと尋香は高宮と、三生は尋香の父と握手する。
「尋香さん、着物がとてもよくお似合いですね。すてきだ」
 藍とクリーム色の地にウサギと花の模様という古典的だが個性的でもある振袖の尋香を高宮がほめると尋香はうれしそうに笑った。
「三生も着物かと思った。彼女、とっても着物が似合うんですよ」
 そうなの? という感じで高宮が三生を見ると三生は笑っている。
「さあ、先生がたにごあいさつしなきゃ」
 三生がそう言うと尋香と連れ立って学院長やシスターたちのいるところへ向かう。 尋香の父と高宮も学院長や教師たち、何人かのシスターたちと挨拶をする。外人のシスターや教師も何人かいた。卒業生をエスコートするのは若いボーイフレンドや恋人は少なくて、やはり父親や両親同伴の生徒が多かった。 男のほうでもこんな場所で女性をエスコートするにはそれなりの覚悟がいるが高宮なら何のとまどいもない。

「吉岡さん」
 ひとりのシスターが三生に声をかけた。シスターたちの中では若いほうだったが50歳くらいだろうか。 品の良い笑顔で三生と握手をするとその手を取ったまま胸の前で彼女の手を包み込んだ。「卒業おめでとう」と言う。 三生のはにかんだうれしそうな横顔。次に高宮にも手を差し伸べてきた。高宮はシスターたちとは握手は遠慮していたのだが差し出された手を取って握手する。あたたかいしっかりした手だった。
「藤崎先生、こちらは高宮雄一さんです。今日のエスコートをお願いしました」
 三生の言葉にシスターは高宮へほほ笑んだ。
「これからもずっと三生ちゃんをエスコートしてさしあげるのね」
 三生ちゃん、とシスターが言ったその言葉に高宮はあたたかな親しさを感じてうなずいた。
「彼女がはたちになったら結婚するつもりです」
 そう言った高宮に三生は驚いた。こんな場所でそう言ったことにだ。
「三生、おめでとう」
 そばで聞いていた沙希が小さな声で言った。尋香もほほ笑んで三生と高宮を見ている。 高宮が左腕を差し出すと三生はそっと彼の腕に自分の手をかけた。まるで花嫁のように。


 数時間後。
 高宮はいったん家へ帰り着替えをするとJ銀行の頭取との約束のために料亭へ向かった。行かなくても用件はわかっていた。再三再四、頭取は自分の娘との縁談を持ちかけていて高宮は断ったがまるで高宮の意志を無視するように呼び出してきていた。 今夜もその話だろう。
 料亭に到着すると頭取はすでに来て飲んでいた。
「やあ、高宮君、急に呼び出して悪かったな」
「いえ、そんなことはありません。頭取はおひとりですか」
「ああ、今日は君に娘との結婚を承諾してもらおうと思ってね」
「そのお話なら」
 高宮は杯を取らずに答えた。
「お断りしたはずです。何度おっしゃられても気は変わりません」
「そこを今日は君の気を変えてもらいたくてね」
「そこまでおっしゃっていただけるのは光栄ですが、私には心に決めた女性がいます。もうこの話は」
 頭取は杯をぐっとあおる。
「好きな女がいるって? おいおい高宮君、そこらの若造ではあるまいし本気でそれが縁談を断る理由かね?」
 頭取は厚みのない封筒を取り出すと高宮の前へぽんと置いた。
「見てみたまえ」
 高宮が封筒を手に取って中のものを出す。
 高宮の顔色が変わった。

 千葉のホテルのベランダで抱き合うふたりの写真。望遠で撮られたらしい写真だったが高宮と後ろ姿の三生が写っている。ホテルから出てくるふたりの写真もあった。
「女子高校生相手とは君もやるねえ。しかもなんだって? この娘、アメリカの女優の娘なん
だって? 悪いが調べさせてもらったよ。雑誌の記者に追いかけられたって話じゃないか。君がつぶしたんだろう? その記事」
 頭取は笑いながらまた飲んだ。
「しかしそんな記事は他の記者でも他の雑誌でもいくらでも載せられる。そうしようと思えばね。むしろ飛びつくんじゃないかね。広告代理店の社長である君が女子高校生をホテルに連れ込んでセックスだ。援助交際かい?  今は出会い系って言うんだって? まあ、何でもいいが。その女子高生がアメリカの女優と作家の娘ならもう話題にはことかかないね。彼女、高3なんだって。卒業だろう? M大学に行くらしいが、騒がれるだろうねえ……」
 バン! と高宮が卓を叩いた。瞬間、卓の上の皿が震えた。

「……君次第だよ、高宮君」
 頭取がまた杯を取った。
「その娘を取るか、私の娘の加奈子と結婚するか。考えてみたまえ」
「それでしたら私は社長を辞めます」
 間髪を容れずに高宮は答えた。
「辞める? まあそれでもいいだろう。しかし高宮君、私はね、君だけではなく君の血筋も欲しい。別に君の会社をどうこうしたいわけじゃない。どうでも娘と結婚させるつもりだよ」
 高宮は黙って立ちあがった。
「君が社長を辞めても加奈子と結婚しなければ記事を出す。若いお嬢さんをキズものにしたくなければよく考えることだ。その娘が好きなら愛人にしたってなんだっていい。そうだろ? ただし加奈子にはわからないようにやってくれよ」

 行きつけのバーへ着くと高宮は車を帰らせた。このバーにはT企画の若林とも2、3度来たことがある。スコッチウィスキーをロックで飲む。飲まずにはいられなかった。
 高宮は合格発表の後で千葉へ行ったことを後悔していた。あの時写真を撮られなければ。 去年の12月頃から高宮と三生は時々電話で話すくらいで会ってはいなかった。三生の受験が済むまでは、合格するまではと話していたのだ。やっと合格発表があって高宮は三生をその手に取り戻した気分で彼女を抱きたいと素直に自分でも認めて三生を抱きしめてしまった。 記者だか興信所だか知らないがそいつらには絶好の機会だったろう。何か月も待たされてやっとふたりが会ったのだ。もっと注意するべきだった。高宮は苦い後悔とともに酒を飲み下した。
 自分が社長を辞めても記事を出されたら三生が傷つく。また記者やマスコミに追いかけまわされる、いや、もっと最悪なことになるだろう。母親のことを騒ぎたてられ、非難を浴びせられて……。
 高宮は追い詰められているのは自分だとわかっていたが、三生に同じ思いはさせられなかった。

 今日の三生はきれいだった。卒業を済ませ大学へ行く。高宮とももっと会えるようになって、お互いに充実するだろう。内面に小さな光を灯らせたような彼女の気持ちが彼にはよくわかった。そんな彼女を愛して見守ってやり、二十歳になったら結婚しようと決めていたのだ。

 ……もうどうにもならないのか。
 高宮は暗い気持ちで酒を飲み干すしかなかった。


2007.10.29掲載

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