窓に降る雪 21
窓に降る雪
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21
このところJ銀行の中村も何も言ってこない。あきらめてくれたのだろうと高宮は忘れていた。しかし。
「社長、お客さまですが」
秘書の野田中礼子が言ってきたが、誰とも約束していなかった。
「どなたですか」
「J銀行の中村頭取のお嬢様です。……お通ししますか?」
女性の客を追い返すわけにもいくまい。高宮は社長用の応接室へ中村加奈子を案内させた。
「お久しぶり、高宮さん。近くまで参りましたの。お忙しかったかしら」
「いいえ、どうぞ」
ブランドのニットスーツを着た加奈子が腰をおろした。
「高宮さん、わたしとの結婚のお話、もう一度考えて下さらないかしら」
「それはもうお答えしたはずです」
「父が言ってました。雄一さんは忙しすぎて結婚どころではないって。女性と会う機会もないらしいからって。
だからわたし、ずうずうしいのはわかっていましたけれど、もう少しわたしと会ってくださってわたしのことをいろいろと知っていただけたらと思いました。ね、雄一さんもお若いんだからお仕事ばっかりでも……これから出かけませんか?」
「お嬢さん、せっかくのお誘いですが」
高宮は礼儀正しく言った。
「まだ仕事がありますから」
「だから!……いえ、お仕事熱心なんですね。今日はじゃあ失礼します。雄一さん、この次はつきあってくださいね」
加奈子は礼子の持ってきたお茶を断って出ていった。礼子が見送りに出る。
「あなた、彼の秘書でしょ?」
「はい」
「わたしに彼のことをいろいろ教えてくれる気はない?」
「それは……」
高宮の行動を報告しろとでもいうのか。しかし仕事以外のことは高宮はほとんど秘書たちにも言うことはない。三生のことも会社に礼子が案内したあの時以来ひと言も話していない。それでも礼子はむっとした。
「そういうお仕事は遠慮させていただきます。ご自分で社長にお聞きになられたほうがいいと思います」
「あ、そう。わかったわ」
加奈子はもう礼子を見なかった。
「やれやれ」
社長室へ戻ると礼子が思っていたことを高宮が言った。
「なんてお嬢さんだ」
世の中には加奈子のような強引な女が好きな男もいる。美人で若ければ尚更だろう。しかしこの高宮は違っているということを加奈子がわかっていない。礼子はそれに気がついている自分に密かにうれしくなった。
12月になると三生はほとんど外出しなくなった。3年生にはそういった生徒が何人もいたが三生は他の生徒は気にせずマイペースで、しかし着実に勉強していた。
高宮もあえて誘わなかった。合格発表を待っているよと彼は言っていた。
やがて年が明けてセンター試験、各大学の試験と続き三生も試験を終えた。合格発表までは2週間ほどあったがその間はこんどは卒業式の準備に追われることになってしまった。
寮の荷物を少しずつ片付けたり掃除をしたりしていたが、やっと合格発表の日が来て三生はむしろ ほっとしたくらいだった。
M大学を受験したのは嶺南では三生ひとりだけだったから三生はひとりで出かけた。尋香は一緒に行きたがったのだが授業がある。
嶺南では3年生の3学期だからといって自主学習の名目で休みになることはなかった。
ちょうど合格発表の時間に大学の入口へ着くようにして発表会場まで歩いて行くころは発表直後の喧騒は少しおさまっていた。掲示板へ近づき三生は大きく息を吸った。
ぱっと自分の受験番号が目に入る。もういちど見直して間違いないことを確かめる。
合格、合格 。それは何よりも三生の待っていたものだった。自分のために、高宮のために。一瞬の高揚感と開放感ともいえる喜び。
まわりの人たちは皆、携帯電話で話していたが三生は携帯を持っていなかったので電話を探してきょろきょろとしていると不意に高宮の姿が目に飛び込んできた。
黒のビジネススーツにコート姿、ちょっと大学には不似合いだ。三生は高宮のところへ走って近寄った。
「合格したよ」
「きっとそうだと思っていたよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたしぐさがかわいい。抑えきれない喜びがあふれているような三生の表情が高宮に見守られながら落ち着いた笑顔へ変わっていく。それから三生は学校と家へ合格の報告を電話でして高宮が出てきた彼女に聞く。
「学校へ戻るんだろう? 送るよ」
三生は首を振った。
「大学から家へ帰るって届けてある。今日は金曜日だから。高宮さんは会社へ戻るんで しょう?」
「じつは君のことが気になってね。今日の仕事は切り上げてきたんだ」
「じゃあ、いいの? 会社へ戻らなくて」
「もちろん」
三生が高宮を見つめながら言う。
「わたし……父には明日、家へ帰るって言ってある……」
高宮が三生の手を取るとさっと引っぱって車に乗せた。シルバーのセダンだ。
彼は行き先も告げずどんどん車を走らせていく。三生も彼に行き先を聞かなかった。今日は聞かなくても彼が行きたいところへ連れて行ってくれる。ふたりきりになれるところ、邪魔のはいらないところだ。
言葉を交わしながら時折目があうと三生はほほ笑むがその瞳が熱っぽさを帯びて彼を見つめている。まるで彼にすべてを任せてしまうと言っているように。
三生には千葉方面へ向かっていることしかわからなかったが海岸沿いの小さなホテルへ着くと車は駐車場へすべるように入り止まる。
小さいながらクラシカルな雰囲気のホテルだったが、まだ2月の平日だったから客は他には誰もいないようだった。
部屋のドアを入るとすぐに彼に抱きしめられる。
「会いたかった」
「わたしも、わたしも会いたかった。さびしくて……合格発表なんてどうでもよかった」
彼の手が三生の背中をなでていた。
「ちゃんと合格したじゃないか。おめでとう。大学生だね」
「……」
彼の口づけで返事ができなかった。浴びせるように彼が口づけをしてくる。
やっと彼が唇を離して三生は息をついた。まだドアのところだ。
「さあ、入ろう」
三生と手をつなぎ高宮が部屋へ入る。
ベッドルームのこちら側にソファーとテーブル、海の見えるほうに窓がありその外に広いベランダが見える。暖かい部屋にほっとして三生もコートを掛けるとソファーに腰をおろして高宮が大きな窓のカーテンを引くのを目で追う。
高宮は三生のとなりに座るとなんのためらいもなく彼女を抱き寄せて彼の手が三生の顔をやさしくはさんだ。三生はためらいがちにほほ笑んだ。涙が出そうだった。
「長かったよ。君に会えない日がつらかった」
「わたしも。あなたに会いたくて会いたくてたまらなかった」
三生の唇が彼の唇を求めるように軽く触れてくるとあっという間にキスが深くなる。ふたりの腕がきつくお互いを抱きしめ合って彼のささやく愛の言葉が三生になにもかもを忘れさせていく。彼を愛しているということ以外は。
…………
三生の小さな声を聞きながら雄一はその声で自分の中の何かが消えてしまったことを感じた。もう限界だった。三生の中へゆっくりと入っていく。
三生は初めて感じる激しい快感にぐったりとしてしまった。彼の動きがだんだんと力強くなってもうこれ以上の快感はないと感じていたのにさらに未知の感覚が彼女を捉えて、体に力が入らないのに三生の内は緊張が高まりつつある。
「あ……」
のけぞらずにはいられないほどの快感に体が跳ね上がったかと思ったが雄一の体に押さえられている。気が遠くなりそうな愛撫の中で雄一の動きにつれて波のような快感が襲う。雄一が、ぐっと体を押しつけたまま三生をとらえている。
自分が達してしまったのだと、彼もそうらしいとわかるまでしばらく時間がかかった。
初めてだった。
抱きしめられて彼の声が耳元に聞こえる。
「愛している」
初めて知った……。こんなだなんて……こんなに激しいものだなんて……。
しびれるような快感が薄れて引いていくと今日一日の緊張の疲労が押し寄せてきた。今は体に力が入らない。
「雄一さん……」
「少し眠ろう。ふたりで昼寝だ」
まぶたに軽く口づけされながら彼にささやかれて安心しきった三生はすぐに眠り込んでいった。
ふたりが裸で抱き合ったまま眠ってしまったベッドの中で高宮が気がつくと隣りに三生の姿がなかった。時計を見るとまだ2時間もたっていない。
「三生、どこだ?」
暗くなってきた部屋の中はしんとしている。見回すと窓のカーテンが少し開いているのに気がつく。この寒さにもかかわらず三生がベランダへ出てじっと夕焼けを見つめていた。ホテルのパジャマの上にコートを着て瞬きもせずに髪を風になぶられながら
西の空を見つめているその横顔がびっくりするほど美しかった。見とれているのは高宮だった。夕日にではなく、目の前の恋人に。
彼がこの前三生を抱いたのは1年以上も前の冬の別荘でのことだった。
1年の時間が三生を以前よりずっと大人に変えていた。制服の時はわからないが彼が抱けばわかる、彼にしかわからない三生の変化だった。
抱き合って愛を確かめている時、三生は高宮からの逃れられない快感に小さく声をあげていた。ためらいがちにではあったが彼女の愛に震えた声に高宮はもう自分の歯止めがきかなくなっているのを感じていた。彼女が与えてくれる快感は切ないほどだった。
三生でなくてはだめだ。他の誰も彼女ほどの高まりは与えてくれないだろう。それは高宮がなによりも三生を愛していたから。
彼は男として心だけではなく三生の体もすべてを欲していた。三生が欲しくないわけがなかったが若い彼女に無理強いをする気は始めからなく、そのために三生自身が彼からの愛の歓びを求めるようになって欲しいと思っていた。
三生を初めて抱いてから1年以上が過ぎ、今やっと彼女は自分の腕の中にいる。そして三生も、彼女の心も体も彼を求めている。
「三生」
高宮に呼ばれて三生は振り返った。ベランダに出た三生は凍りそうな風に吹かれて西空が光を放っているのを見つめていたので耳が痛いくらいに冷たかった。海の向こうへ落ちる夕日は燃えるような輝く夕焼けを残していたが暖かさは全く感じられなかった。
「風邪をひくよ」
高宮が後ろから抱きしめてきた。彼の肩にかけたコートが西風にはためく。
「冷たい」
彼が三生の頬に頬をよせてつぶやいた。コートを着ていても三生の指はかじかみ始めていた。
「夕日がすごくきれい」
三生の瞳は西の空に見とれていた。
「なかへ入ろう。ここは寒い」
抱きしめて部屋の中へ入れてやる。コートをそのまま床に落とすとふたりは立ったまま抱き 合った。どんどん暗くなる部屋の中で明かりもつけずに口づけをかわす。愛の言葉を囁きお互いの体に腕を回している。
「今夜はもう離さない。いいね」
三生がうなずく。三生が大学生になればこれからはもっと会えるようになるだろうが今夜はふたりきりだ。愛し合う時間が待っている。
ホテルのダイニングで夕食をとりながら幸せに満たされるように三生は高宮の顔を見ていた。三生は気がついていなかったが、内面から光るような輝きがこの時の三生にはあった。
愛されて満たされている者の輝き。それを与えたのは高宮で、自分の与えた愛によって三生が輝くようにいきいきとしているのが高宮にはうれしかった。高宮自身も三生から愛されている幸せがある。
「あの、お願いがあるんだけど……」
三生がこんなことを言うのは珍しい。
「卒業式のあとで謝恩会のパーティーがあるんだ。その時、一緒にでてもらえないかな?」
「私が一緒でいいの?」
三生がうなずいた。
「卒業生はみんな、エスコートしてもらうの。彼のいない人はお父さんでもお母さんでもいいんだけど。男性に限るわけじゃないから。でもわたしは雄一さんと出たい」
「そういうことなら喜んで」
高宮がにっこりと笑う。
「それから、これ」 彼は小さな包みを取り出した。
「合格のお祝いに、君に」
小さな箱には真珠が二粒並んでいた。三生はピアスの穴をあけていなかったからイヤリングだ。
「きれい」
真円と思えるなめらかな輝き。薔薇色がかった真珠色の粒が美しい。
「ありがとうございます。うれしい」
三生は顔の前にイヤリングを高宮に見えるようにむけながら礼を言った。
「礼ならいらない。君にはもっと多くのものをもらっている」
高宮が入れ違いに風呂へ入っている間に三生はほてった体をベッドの上で伸ばすとひんやりとしたシーツが気持よく感じられる。
眼を閉じて眠っているのではないかと思うほどに三生の息遣いがかすかになる。
横向きに横たわっている三生の肩が静かに上下していた。
雄一の気配を感じると向き直る前にするりと彼の腕がまわされて後ろから抱きしめられた。雄一の手が上着の裾から入り素肌をすべる。
まるい彼女の乳房が彼の手の中に納まって、うしろから抱きしめられたまま乳房を覆う雄一の指のあいだから乳首がこぼれるように出てこすられていく。
「……あ」
そのまま彼の片手が三生の肌をなぞるように下りていく。息をのんでのけぞるように腰を引くと胸が前に突き出され彼の思うままになってしまう。
しなやかな獣のようにうごめく彼女をとらえているのは雄一の腕だった。逃れられない快感にもがく三生の体を繰り返し愛撫する。
口づけしながら、愛撫をしながら、そうして雄一の手は三生を離れない。
「ゆういち……」
雄一に開かれていく。
それでもまだ若い固さの残る三生の体は雄一の力に逆らうようにほんの少し逃げをうってしまう。雄一にはそれが拒否ではないとわかっていても彼女のその反応に思わず我を忘れて三生の体を引きつけてしまった。
さすがに今日はもう中途でやめることなどできない。それがわかっていたから午後も今も避妊具を使っている。今の彼女にそれをしないのは愛していないのと同じことだ。
自分のすべてで応えてくれる三生に対しての雄一の愛情の証明でもあった。
「なんて……なんて熱いんだ」
それが自分のことを言っているのだとささやく雄一の声に三生は動かされているようだった。小さな声が漏れる。
「……っ」
思わず三生は口に手をあてた。
「三生、いいんだよ、声を出しても……」
「いや……はずか……しい」
「どうして? ……僕でも?」
彼の愛撫に三生はやっと聞き取れる声でかろうじて答えた。
「あなた……だから……」
「困った人だ」
雄一がわざとそう言って顔を近づけて三生にキスしてやる。
「さっきの時も君の声が聞こえていた。気がつかなかった?」
三生はいやいやとするように首を振ったがむなしい抵抗になってしまう。耐えきれない快感にすべてをゆだねて声が出てしまった。今度は自分でもはっきりわかる。恥ずかしさで手の甲を口へあてても雄一の指がからんではずされてしまう。
どうしてこんなに彼を愛しているのだろう。どうしてこんなに彼が……。
繰り返される愛撫の中で三生は夢中で応えていた。彼の腕にとらえられて逃れようのない甘い刺激を受けるたびに抑えきれない声が出てしまう。三生の声を封じるのは彼の唇だけだった。
さっきよりも強い口づけ。さっきよりも熱っぽい愛撫。
「……ゆう……い……っ」
「愛している」
その言葉に答えるように三生の中が震えた。三生の体が波打つのを雄一の腕が抱きとめる。
三生の何もかもが愛しい。もう自分のものになってはいたが同時に三生は三生だった。他の何者でもない三生。……もう彼女なしにはいられないだろう。
いくら抱き合っても一晩では足りないというように彼は三生を求めた。激しい愛。
雄一の腕の中にいるのは愛しい恋人である三生だった。彼の腕の中で三生は目を閉じて甘く息づいている。
ふたりのささやきだけが繰り返される。眠りに落ちるまで。
2007.10.25掲載
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