窓に降る雪 17

窓に降る雪

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17


   ふたりは三生のスキーウェアや着替えを買うと、いったん別荘へ戻って着替えをしてスキー場へむかった。高宮は自分のウェアやスキー板はこの別荘に置いてあった。
「ここへよく来るの?」
 スキー場へ向かいながら三生が尋ねた。
「冬のあいだ、来られるときはほとんど来ている。といってもひと月に1回くらいかな。今シーズンは初めて来た」
「いつもスキーをしに?」
「最近はほとんどボードだよ。スノーボード」
 へえ、と三生はちょっと意外に思った。高宮がスノーボードをするとは思わなかった。が、今日は三生にあわせて彼もスキー板を持ってきている。
 土曜日のゲレンデは割とすいていてうす曇りの穏やかな天気だった。スキーウェアを着てニットの帽子にゴーグルをするとほとんど顔がわからなくなるのに気がついて三生は気が楽になった。高宮もゴーグルをかけている。
 最初にゆるやかな緩斜面で足慣らしをしながら三生は高宮がすごくスキーがうまいのでびっくりしてしまった。インストラクター並みだった。 しかし三生はあまり上手ではなくボーゲンでゆるやかに滑って行くのが精一杯で高宮は並んで滑ったり少し前で待っていてくれたりしている。三生がころんでしまえばすぐに助け起こし、彼は素早く自分の手袋をはずして三生の帽子や顔についた雪を払う。
 なだらかなコースのさらに上にある急な上級者コースへあがった高宮を三生が下から目を凝らして見ているとぴたりと上半身を安定させてあざやかに滑り降りてきて初級コースの始まりで待っていた三生の横へ止まってみせた。
「すごーい、プロみたい」
「三生も上へいくかい?」
「そんなあ、下りてこられなくなっちゃうよ」
 三生はあわてて手を振った。
「そしたら僕がおぶって下ろしてやるよ」
「うわ、それだけはやめて。転がってでも自分で下りるよ。でも絶対に行かないからねっ」
 高宮が笑い声を上げると三生もつられて笑った。高宮がこんなふうに大きな声で笑ったことは今までなかった。本当に楽しそうに笑っている。
「三生も笑顔のほうがいいよ」
 そう言う高宮のおかげで三生自身ももう切り替えができていた。

 昨日の三生は笑うことはできなかった。高宮はそんな三生をなんとかリラックスさせたいと
思ってはいたが、今朝、彼女が笑いだしたのには内心驚いた。
 ゆうべの彼女のかたくなな態度、高宮が「愛している」と言ったことにも気がつかないふうだった。今日はさぞかし落ち込んでいるだろう……。けれども三生はそんな高宮の心配をやすやすと乗り越えてきた。 まるで細いけれど強い若い樹木のようだ、と彼は思った。風が収まればやがては元に戻るしなやかな強さ。まだ若く世馴れない弱さも持ってはいるが、元へ戻れる強さ。三生自身は気がついていないかもしれないその静かな強さを自分は愛しているのだろう……。

「お昼にしようか、何にする?」
 ゲレンデのレストハウスに入る。
「えっとね、ラーメン」
「いいね、僕も」
 ふたりはまわりにいるグループやカップルたちと同じだった。いろいろな人がいるがだれもふたりを知っている人間はいなかった。ざわめきに満ちた広いレストハウスでラーメンを食べるなんて昨日までは考えられなかったことだ。
「もう少し滑ったら戻ろう」
 ちらちらと降り始めた雪に高宮がそう言って早めにスキーを切り上げた。

 別荘へは熱い温泉の湯が引いてあって三生は喜んで風呂に入らせてもらった。もうもうと立ちのぼる湯気の中で広い湯船の湯をあふれさせながらどっぷりとつかるとほどよい疲れが足先から熱い湯の中へ引いてゆくようだった。 体が疲れたおかげで昨日の出来事から何日もたっているように思える。これも高宮の思いやりなのだろうか。
「夕食は北村さんが用意してくれるから」
 高宮はそう言っていた。北村は昨日の管理人だったが、そういえば今朝は彼を見かけなかった。きっと呼ばれなければ姿を現さないのだろう。
 やわらかなきなり色のセーターと黒いコーデュロイのズボンに着替えて三生が夕食の席へ着くと高宮があらためて北村を三生へ紹介する。
「ようこそおいで下さいました、お嬢様。あなたがこの別荘で初めてのお客さまですよ」
「余計なことを言わないでくれよ」
 そう言って高宮の目は笑っていた。
「ただでさえ仕事しかできないつまらない大人だと思われているんだから」
「それは高宮様がお忙しすぎるからでしょう。ね、お嬢様」
 三生は笑いながら聞いていた。
「今日は高宮さんがスキーが上手だってわかりました」
「これが私の冬だけの楽しみさ」
 高宮が自分ことを「僕」からまた「私」と言い変えていることに三生はそのとき気がついた。

「さて」
 食事がすむと高宮が言う。
「明日は東京へ戻らなくちゃならない。君は心配しなくてもいいよ。ほんとうはあんな騒ぎになる前になんとかしたかったんだが、でももう大丈夫だ。必要な手は打ってある。 T企画の若林社長へも言ってあるから。ところで君はどうなのかな?」
 高宮の言っていることがわからなかった。
「若林は君を売り出したいと改めて私へ言ってきたよ。君にはその気はあるの?」
 三生は首を振った。
「前にも言った通りわたしにはそんな気はないよ。知っているでしょう」
「そう。そうだね」
 高宮は立ち上がって三生を居間へ連れて行った。ふたり窓辺に立つ。暗い外には夕方から静かに雪が降り続いている。
「君が大学へ行ってはたちになったら私と結婚してほしい」

 これはプロポーズだった。
 三生の口があいたままだ。驚きの表情のまま。まさかプロポーズとは。普段は落ち着いている三生の表情が今はやけに子供っぽい。
「あ……の、高宮さんは何歳なの?」
「私? 29だよ」
 うわー、12も年上だと三生は叫んでしまいそうになった。
「しかも来月30になる。君は?」
 高宮が笑って聞いてきたので三生は仕方なく答えた。
「17です」
「そうだね。私の年を知らなかった?」
「はい、ちゃんと聞いたことなかったからもっと年上かと思ってた。いつもスーツだし」
「うーん、それはちょっとショックだ。でも私の歳は関係ない。問題なのは君のほうだ」
「わたし?」
「そう、高校生に手を出したと世間からたたかれても文句は言えないな。せめて君が高校を卒業したらと思っている」
 彼の言葉には冗談も入っていたが本当の事も入っている。

「わたしのほうも関係ないわ」
 だんだんと三生の声が小さくなった。
「だけど今は結婚できません」
 三生にとっては自分の口にした結婚、という言葉にまったく現実感がない。
「今とは言ってないよ」
「わかっています。でも今は約束できません」
「わかった」
 高宮はあっさり言った。
「約束してくれなくてもいいんだ。私の気持ちを君へ言っておきたかったから我慢できずに言ってしまった。気にしなくていいんだよ。君がいやなら忘れてくれてもいい」
「忘れるなんて」
 三生は逆にあわてて言った。
「それはちょっとひどい言い方だよ」
 三生は本当に怒っているような言い方だった。
「わたしはあなたが好きだけれど、学校や勉強やなにもかもを二の次にしてしまうことはできないよ。だから今は約束できないけれど、だけどあなたの言ったことを忘れることなんてできない。本気でそうしてもいいと言うの?」
 また三生の声が大きくなる。
 ああ、彼女を怒らせてしまったと高宮が感じたその時、三生が高宮の体に抱きついて顔を押しつけた。
「もう一晩なんていやだ。あなたにそばにいてほしかった。もう一晩ひとりで過ごすのなら本当に忘れちゃうよ」
 三生にはわかった。彼自身が望むものとして、わたしの気持ちを優先してくれる。それは三生を手に入れるための駆け引きなどではない。たぶん三生が高校生でなくてもっとずっと大人でも彼は同じことを言っただろう。 今夜、三生がひとりで寝たとしても彼は変わるまい。
「わたしも愛している。あなたを」

 高宮の手がゆっくりと三生の体へまわされた。
 三生は高宮が思っているよりもずっと愛情には素直だった。若さゆえのためらいもいつかは乗り越えるものだが高宮にしても三生がそれを自分以外でと考えることはできなかった。
「好きだ。愛している」
 完全に高宮の決心はついた。
 三生を抱く。彼女を愛し、何より三生に愛されたいと思っていた。三生が高校生でも堂々と彼女を愛し、それはだれに知られてもかまわない自信があったが、ただ三生の望まないことをしたくはないと思っていたのだ。 高宮はこの時ほど自分が彼女よりも大人で年上であることを良かったと思ったことはなかった。
 自分が年上だからこそ、こうやって彼女を愛せる……。

 やがて北村が帰って行き、本当にふたりきりの夜がやってきた。
 ふたりが寄り添って顔を見合わせる。

「また美術展へ行こう。ドライブにも行きたいな」
「春休みになったら行けるかな」
「行けるさ。春休みは家に戻るんだろう?」
 三生はうなずいた。
「それまであまり会えないね」
「……そうだね。でも会えないときも三生を思っているよ」
「ほんと?」
「ほんと、だよ」
 高宮は三生を安心させるようににっこりとした。彼女といると自然に笑顔が増える。彼女へ笑いかけてやりたい。そして彼女の笑顔が見たかった。三生の体へまわした腕に力を込めて三生の唇をそっと自分の唇でおおう。 口づけで彼女の唇を開いて舌を差し入れると三生もためらいがちにではあるが彼に応えてくる。彼女のためらいが消えるまでさらにキスを繰り返す。 彼が三生の耳元につぶやく。
「愛しているよ。三生を思っている時が僕は本当の自分だ。僕には君が必要なんだ」
 高宮の唇が首筋へと落ちていって三生の肌が彼の唇を受け止めた。彼の愛撫、初めて受ける愛撫に三生は恥ずかしさを抑えることしかできなかったが、今はもう彼のなすままにまかせてしまおうと決めていた。
「わたしも愛している」

 ベッドへ横たえられるその前に彼の手が服の中へ入り子供のように服を脱がされてしまった。三生の体は大人になったばかりの線の硬さを残してはいたが胸のふくらみはふわりと丸かった。 彼が胸の中央、心臓の上あたりに顔を寄せてキスをすると三生は思わず身震いをした。
「寒い? 三生」
 寒さで震えているのではなかったが、雄一の手を、彼の肌を熱く感じる。 その彼の手にすっぽりと納まってしまう三生の乳房のつんと立った乳首が薔薇の実のようで彼は指で軽く愛撫する。
「!……」
 声にならない三生の驚きが伝わったが、もう雄一にはやめられなかった。 ゆっくりと、しかし
熱っぽく愛撫を繰り返す。ふたりの肌がふれあうたびに快感が湧きあがってきて雄一も三生の肌の表面の冷たさを感じなくなる。あたたかく柔らかい三生の肌。
 三生の膝を開かせるようにしてその柔らかな茂みをなでて雄一の指が彼女の中心に届くと彼の指になめらかな液が絡む。
「ここが……濡れているのがわかる?」
 雄一の指が動くと三生はびくっと体を震わせた。
「あなたが……好き……だから……」
 もうそれ以上三生には言うことはできなかった。

 ごく小さな明かりがひとつあるだけの部屋の中では横たわる三生の瞳は暗く翳って見開かれていて、光の吸いこまれる空間のようでもあった。 その瞳を見下ろしながら雄一がゆっくりと彼女の体を押し開き始めると三生の息が詰められて動けなくなっているのがわかった。せめて彼女のその痛みを自分も負ってやりたかったが、それはできない。 それにここまできて中途半端でやめてしまうことはむしろ彼女の苦痛が増すだけだとわかっている。

 彼の貫入がされてしまっても三生はじっと痛みをこらえるだけで何も考えられない。自分でも体のこわばりが感じられる。 覆いかぶさるように三生の上から見ている彼の顔の表情を見ても暗くてよく見えない。
「……痛い?」
「ごめん……痛い……でも、大……丈夫」
「それは三生が僕を受け入れてくれたからだね」
 やっと言う三生にやさしく彼は耳元へささやく。息が耳にかかるそのささやきに思わず三生の体が震えて身をよじろうとしてしまうと雄一が体を起こして吐息をつく。
「そんなふうに動いたら……」

 三生にとってはかつて知らなかった感覚。彼もまた激しい動きはせずに三生との融合だけを感じていた。ただ三生と結びついていること、それだけで彼には震えるような快感があったがまだ不慣れな彼女のためには自分の快感を優先させることは決してできなかった。
 雄一は三生の体からゆっくりと自分を離すとふたり一緒に横たわった。彼女の額に軽くキスをしてやる。
「痛い思いをさせてしまった。ごめんよ」
「雄一さんがあやまらないで。わたしが望んだことだから後悔していないよ」
「後悔なんてさせない、決して」
 雄一の胸にもたれながら三生は初めて知った痛みが少しずつ薄れていくのを感じていた。
ぴったりと抱きしめられた雄一の暖かい肌。三生はやっと緊張が解けて雄一との肌の触れ合いを味わうことができた。 恥ずかしさが消えたわけではなかったが彼と触れあううちに少しずつ彼の肌に慣れていく。
 雄一の広い肩も筋肉のついた腕も、引き締まった胸から腹にかけても、長い足も、みんな三生の知らなかったものだ。その知らなかった肌が三生の肌に触れている。三生の、その肌に。

「雪、まだ降っているね……」
 三生が顔をあげて暗い窓のほうを見た。
「ああ、きっと一晩中降るよ」
 雄一が上半身を起こし三生の後ろからその肩へキスをする。なめらかであたたかい彼女の肩をなでながら雄一も雪の降る窓を見ていた。


2007.10.11掲載

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