大きなカブ 3

大きなカブ

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 毎年恒例の地元の夏祭りがやってきた。
 商工会の肝いりで市の夏祭りと一緒に産業祭りが行われる。うちの会社も出るんだけれど機械を一般の人へ売るわけにいかないから取引先などのつてで手に入れた食品や雑貨などを売るお店を出す。この日ばかりは日曜日に休日出勤してお店をやる。
 今年も休日出勤者を確認された。営業はほとんど、経理、業務、サービスからも何人か。私は去年も駆り出されている。今年は遠慮したかったけれどちゃんと人数に入っている。なんで。
「すみませーん、わたし夏休みと重なっちゃって」
 比呂乃ちゃんが言う。夏休みは各人5日ずつ適当に交代しながら取ることになっている。幸い私にも夏休みが与えられている。でもまだ休む日を決めていない。佐久間さんの休む日が気になっている。とにかく夏祭りは出なければならない。準備もある。
 夏祭りの日は見事に晴れ上がった天気になった。お天気がいいので人出があった。どの店でも冷たい飲み物やかき氷が飛ぶように売れて行く。売り手のほうも暑いので氷で冷やされた飲み物が好きに飲んでいいということになった。飲まなければどんどん体の水分が失われていく感じだ。
 テントを建てたり、氷を運んだりという力仕事は営業の男の人たちがやってくれる、さすがに。私は経理の柴田さんと一緒に飲み物やお菓子を売っていた。テントから出入りしているだけでやっぱり陽に焼けてしまう。夕方までまだまだ時間がある。
 かき氷を売っている人たちが一番忙しい。若手の宮城嶋さんと岡本君が電動のかき氷機でがんがん氷を削っている。カップへ詰めてシロップをかけるそばから売れてしまうので他の人たちは氷を出したり、シロップを足したりといった手伝いにまわる。 売れすぎてかき氷用のカップと先がスプーンのようになったストローが途中で足りなくなる。でもどこで売っているのか誰も知らない。 この中で地元出身者は私だけ。えーと、心当たりを総動員させて包装材料を売っているお店を思い出す。行ってきてほしいと言われて車へ飛び乗って買いに行って。
 お店の接客のほか、社員のお弁当配り、ゴミのかたずけ、など女子社員は雑用に忙しい。他にもいろいろなイベントが行われていてにぎやかだが佐久間さんと話す暇もない。夜は踊りと花火大会。でもとても夜まではもたない。うちの会社のお店も夕方までだ。

「西野さん、悪いけど柴田さんを手伝ってくれる?」
「はい」
 言われて柴田さんのところへ行くと箱の中のお金を柴田さんが数えている。金額のはらないものばかりだったが数が出たので五千円札、千円札と硬貨がたくさんある。
 経理で現金を管理しているのは柴田さんより先輩の遠藤さんだが、遠藤さんは結婚していて休日出勤はしないので今日はいない。 柴田さんが不慣れにお金を数えているのでわたしは硬貨を10枚ずつ重ねて並べはじめた。それから金種ごとに小計を書けるようにメモを作り、数え終わった硬貨から記入していった。
「あ、そうか、こうして書いていくのね。西野さん慣れているのね」
「はあ、前に出納の仕事をしたことがあるので」
「じゃあ、慣れているはずね。どこで働いていたの?」
「証券会社の支店です。駅前にある」
「へえ、わたしも実は東京で証券会社に勤めていたことがあるの。といっても社長秘書だけどね。そこも外資系だったから、英語の速記を勉強したりしていたんだけど証券業務のほうはさっぱり」
「そうなんですか」
 英語の速記ときたもんだ。すごすぎる。
 私が紙幣を数えるのを柴田さん感心して見ていた。千円札をぴしっと最後に音を鳴らして数え終わると数を記入して合計を計算する。これくらいあっという間だ。
「ご苦労さま、売れたわね。助かったわあ。もうみんな疲れているから早く終わらせたいし。あ、由紀さんこれ飲んで」
 そう言って冷たいジュースを出してくれた。そういえば柴田さんはわたしのことを時々「由紀さん」と呼ぶ。
「そっちも終わった?」
 佐久間さんと宮城嶋さんが声をかけてきた。
「はーい、終わりました」
 柴田さんだけが答えると
「おい、ひとりでジュース飲んでんじゃねーよ」
 とわざと宮城嶋さんが頭を叩いてきた。
「なっ……」
 ジュースが顔にかかっちゃったじゃないのよ。
「宮城嶋さん、それ由紀さんへ手伝ってもらったお礼にあげたんですよ。皆さんの分もありますから、飲んだら社へ戻りましょう」
 佐久間さんを横目で見ると笑っているような。
 柴田さんが手早く冷たいお茶やジュースを配り始めた。暑くて暑くてみんないくらでも飲む。荷物を積みこんで会社へ戻り、かたずけてやっと終わった。
「よーし、ビアホール行くぞー」
 営業の人達が話している。目立たないように先に自分の車へ向かう。
「おーい、佐久間、行くぞ」
「あ、悪い。今日はやめとくよ」
 後ろで声が聞こえる。自分の車へ乗ろうとしている私の前を通り過ぎながら佐久間さん、「ガーデンで待っている」って言うと行ってしまった。 佐久間さん、わたしよりも先に車を出して営業の人たちに「お先にー」なんて言ってさっさと帰ってしまった。他にもビアホールへ行かない人たちがいて次々に先を争うように車が駐車場から出て行く。
 『ガーデン』っていうのは何度かふたりで行ったことがあるカフェレストラン。車の窓ガラスが
ノックされた。
「由紀さんも一緒にいかない? ビアホール」
 柴田さんが誘ってくれた。
「ごめんなさい、私、飲めないんです。それに腕が痛くて」
「あら、残念。今日は暑かったからね。じゃあ、また今度」
 柴田さん、あっさり引き下がってくれた。今まであんまり話したことなかったけど、いちおう誘ってくれたのかな。
 ガーデンへ行くと佐久間さんは待っていた。
「疲れただろう、暑くて。何でも食べていいぞ」
「ふー、ほんとに疲れたよ。もう陽に焼けちゃってたまんないよ、腕がこげこげ」
「パフェなんて食うか?」
「食う、食う。でも食後にね」

 おなかいっぱい食べて佐久間さんが運転してくれていたら急速に眠くなってきた。うとうとしてしまったらしい。
「由紀」
 呼ばれてやっと目が開く。
「えっ? あ、寝ていた? ごめん……」
 佐久間さんの顔が目の前にある。
「君は本当にむらなく働くね」
 むらなく? なんじゃそりゃ。そう思う間もなくキスされた。
「今日も見ていたらあれこれやらされて、まったく」
 何で『まったく』なの?
「バイトならそんなに働かなくていいと思うけど手抜きしないのが由紀のいいところ」
 ささやきながら彼のキスがあちこち移動する。
「でも悪いところでもある」
 ?
「疲れるだろ」
 はい、疲れました。
「もうずっとこうしたいと思っていたんだ」
 また彼のキスが唇へ戻ってきた。彼の唇ですくい上げられるようにされて唇が開かれる。
 えー……
「ほんとはもっと一緒にいたいのが本音だけど、由紀が疲れている時は無理はしない」
 佐久間さんは笑って離してくれた。もうわたしの家のすぐ近くだ。
「じゃあ、また明日。といってもおれは名古屋へ行くから。電話するよ」

 夏祭り以来、柴田さんが時々話しかけてくるようになった。わたしよりも年上でたいていぴしっとしたパンツスタイルでいかにもキャリアがありそうな外見だけど、この人は冗談も言う。 比呂乃ちゃんと三人でお昼を食べることもあった。比呂乃ちゃんが言う。
「最近、西野さん変わった? かな」
 私? そんなこと……。
「口調が明るくなったみたい。西野さんの電話で話している声、よく聞こえるけどソフトになったっていうか」
 柴田さんも言う。
「柔らかい声のほうがいいって言われたものですから」
「え? 誰に? 取引先から? どこ?」
「えーと、どこだったかな」
「あっらー、うちのお客も言うわねえ。それって口説かれているんじゃないの?」
 本当は取引先からじゃないですけど。まあそう思ってくれていれば。

 たまたま営業の部屋へ書類を持って入ると誰もいなかった、と思ったら佐久間さんがいた。
「ありがと、由紀」
 彼は立ち上がってパーテーション越しに手を伸ばしてきた。会社で彼がこんな言いかたをするのは珍しい。誰もいないからか。
「あと、サービスからのお知らせです」
「ふーん……」
 佐久間さんがパーテーションの上に腕を組んであごを乗せるようにしながら書類を見ているので目の前に彼の顔がある。彼は全く普通の調子で言う。
「夏休みはいつ取ることにしたの?」
 えーと、佐久間さんと一緒のときにしてしまいました。といってもふたりの休みが重なるのは二日間だけだ。佐久間さんがにこっと笑った。そのまま書類を読んでいるので私も黙って待っていた。
 営業の部屋に比呂乃ちゃんが戻ってきた。佐久間さんはなにげなくあごをあげて真っすぐに立つと
「じゃ、これをサービスの藤下さんへ」
 違う書類を差し出してきた。受け取って部屋を出ようとして比呂乃ちゃんがじっと私を見ていた。何も言わなかったけど。

「最近、佐久間さん支社にいることが多いよね」
 比呂乃ちゃんが柴田さんへ言った。
「ほんと、助かるわ。営業の人がいてくれると。ね、由紀さん」
「サービスも前は誰もいてくれなくて本当に困りました」
 私は慎重に言った。佐久間さんのことに触れないように。なんだか比呂乃ちゃんの目が気になる。 もしかしたら佐久間さんがいてくれるのはわたしが前に言ったせいなのだろうか、ううん、そんなことは。
 このところイラストの依頼がぽつぽつ来る。思い切ってバイトやめようかとも考えていた。時々は睡眠不足でとても会社の仕事がしんどくなる。だから佐久間さんが支社にいてくれるときは安心していられる。特に昼休みは。時差の関係からか昼休みに国際電話が多いから。 へたな英語で「ジャストアモメントプリーズ」と言ってとにかく佐久間さんに代わってもらえる。 自分でもかなり忙しいとわかっていたが、佐久間さんとは会うたびに楽しかったし、だんだん気楽になれていたのでデートを断ることはしたくなかった。でも夏祭りの日以来、佐久間さんがキスも何もしてこないことには気がつかなかった。やっぱり余裕がなかったのだと思う。


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