大きなカブ 2

大きなカブ

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 パチンコ屋というのは会社の筋向いにある。広い駐車場にはパチンコ屋が営業中は出入りが自由だ。佐久間さんも私も車で通勤しているから車で待っているという意味だろう。自分の仕事の片づけを終えて会社を出る。 ネオンが盛大に光っているパチンコ屋の駐車場へ自分の車で入っていった。
 えーと佐久間さんの車は……黒っぽい車だと思ったけれど車種まで覚えていない。セダンタイプだったような。 でもこちらを向いて止まっていた一台がライトをちかっとさせたのでわかった。
「あのう、いいんでしょうか」
 ドアを開けて尋ねた。
「何が? まあ、とにかく乗って」
 しかたがないから助手席へ乗る。
「じゃあ、何がいい?」
「はあ?」
「食事だよ。それとも飲みに行く?」
 私はほとんどお酒が飲めない。弱いのだ。ただ弱いだけでなく気持ち悪くなってしまう。それに佐久間さんは車だよ。
「いや、あの、食事、本当に行くんですか?」
「うん、西野さんがカブの絵を描いてくれたのに旅行に参加できなかったからそのお礼代わりに」
 あ、そういうこと。でも参加できなかったのは佐久間さんのせいじゃないし、カブの絵を頼まれたのも佐久間さんからじゃない。
「そんな気をつかってもらわなくても……」
 言いかけたらもう車が走り出していた。
「いいじゃない。というより純粋に西野さんと話がしてみたかったんだ」
 げっ。あわわ、声に出なくてよかった。
「あのー、でもー」
 ばかみたいに言っていると着いてしまった。私の知らない和風のお店。小さな座敷席に案内されて向いあって座る。
「失礼」
 へ? 何が、と思ったら佐久間さん上着を脱いでわきへ置いた。さっきも会社ではワイシャツ姿だったのに。こっちはアルバイト社員丸出しで綿ニットにジーパンだよ。
 料理を選んでお通しのような小さな一品が運ばれてくると佐久間さんが聞いてきた。この間無言。
「さっきいつでも辞められるようにって言ってたけれど、あれ本当なの?」
 本当ですって即答したいけど、あいまいな言い方を選ぶ。
「ええ、まあいろいろあって……」
「結婚の予定があるの?」
 うわー、そうきたか。でも違うんだよね。
「西野さん、そういう人いないの?」
 はあ、すみません、と言うと佐久間さん笑っている。何で?
「よかった。じゃあこれからもこうして誘えるな」
「……佐久間さんて、何かあるんですか?」
「何かって、何?」
「私のこと誘うなんてよっぽどだと思いますけど。絵を描いたお礼ならともかく」
「よっぽど? それっておれがよっぽど変てこと? それとも西野さんが?」
「両方かも……」
「あっはは、そりゃあいい」
 私が全く本気で受け答えしていないっていうのわかってるのかな、この人。
「おもしろい人だねえ。まったくしゃべらないかと思ったけど、でも仕事のときはしっかり話してるよね。取引先にも西野さんの電話応対は評判いいよ」

 …………
 仕事のことで褒められたのは初めてかもしれない。あんまりしゃべらないし、男性社員に愛想よくするわけでもないし、そもそもアルバイトだから自分の仕事への評価も気にならないし。 いまだって佐久間さんとの会話は受け流すだけにしようと思っていたのに。
 佐久間さん、おいしそうに料理を食べはじめてしまった。料理を楽しみながら私にいろいろなことを聞いてくる。最初はわりと素直に答えていたんだけど。
「おれもそうだけど西野さんも他の会社で働いた経験あるでしょ? どういう仕事していたの?」
 うちの会社は外資系で日本支社ができてからまだ5年ほど。管理職はヘッドハンティングの人もいるらしいけど社員は皆、転職してきた人たちばかり。
「証券会社に勤めていました」
「へえ、絵を勉強して証券会社へ就職したの?」
「いえ、高校を出てから証券会社に就職しました。デザインを勉強したのはその後です」
「へーえ、証券会社を辞めてから学校へいったわけ? もったいないなあ」
 みんなにそう言われます。でも証券会社の仕事はわたしには向いていなかった。あれ以上続けたくはなかった。
「じゃあ、株には詳しいの?」
「まさか、高校出て就職した女子社員にすぐに株の取引をさせるわけないじゃないですか。事務です。三年間事務をやってました」
 佐久間さん、箸を止めてこちらを見ている。何? 変なこと言ったかな。
「さっきの口調よりも今のほうがずっといいよ。君の仕事中の話し方に似ているけどそれとも違うな」
 受け流しともお仕事トークとも違うっていうのは……。なんだかヤバくなってきた。あんまりしゃべらないようにしよう。
 佐久間さん、その体に似合ってみごとな気持ちのいいくらいの食べっぷり。私もけっこう食べるほうだけど佐久間さんにはかなわない、当然。 私が食べることに集中し始めたので佐久間さんはにこにこしながら見ている。
 おいしい。普通ならここで「あ、おいしいですね、これ」なんて言うと会話も弾むんだろうけどそれを言う気は私にはない。 でも佐久間さんは私が黙って食べていても気にしていないように見える。

 食事が終って車へ乗ると佐久間さんが言う。
「こんどの土曜日、よかったら一緒にどこか行こうか」
 さらりと誘われた。黙っていると
「おれは彼女はいないし、君さえよければだけど?」
 別に問題はありません。私だって付き合っている人なんていませんよ。小さな声で
「はあ、そうですね」
 と言うと
「じゃあこれ、おれの携帯番号ね」
 名刺を渡された。会社の名刺。佐久間さんの名前の下にペンで携帯の番号とアドレスが書き込まれている。

 佐久間 亮二
 佐久間さん、亮二っていうんだ。名刺を見ていたので佐久間さんが私のことを見ていたのに気がつかなかった。顔をあげると目があう。
「あっ、じゃあパチンコ屋まで送るから」
 あわてたように佐久間さんが言う。

 次の日から佐久間さんは営業部長と一緒に木曜日まで出張。金曜日には出社するという。 電話を受ける都合上、営業マン達の予定を頭へ入れておく必要があるので毎日、行動表をチェックする。 その日は残業していると夕方の七時頃佐久間さんから電話が入った。受けたのは私。
「ディーアンドジャパンでございます」
『あ、西野さん、お疲れ。山田さんにかわってもらえる?』
「お疲れ様です。お待ちください」
『の前に、あとでメールくれる? 待ってるから』
「……わかりました。電話かわります」
 私のデスクから立ち上がればパーテーション越しにガラス張りの経理部長の山田さんの部屋が見える。電話を回してから私が退社するまでずっと経理部長は話していた。
 仕事を終えて家へ帰ってからメールした。『お疲れさまです』とひと言。 その日から佐久間さんからメールや電話が来るようになった。土曜日には車で迎えに来てくれるという。
 本気でデートする気かな、この人。
 でも土曜日の約束の時間になったらちゃんと迎えに来てくれた。
「昨日、遅かったんじゃないですか?」
 午後からの営業会議はたいてい遅くまで続くらしい。そのあとは飲みに行くことがほとんどという話だから。
「昨日はそうでもなかったよ。まあ、飲みには行ったけど」
 私は佐久間さんがどのくらい飲めるのか知らない。他の社員とも飲んだことがない。
 佐久間さんはドライブへ行こうという。しばらく走っていると佐久間さんが聞いてきた。
「西野さんはおれのこと聞いてこないんだね」
「佐久間さんのことですか?」
「どこの出身かとか、大学はどこかとか」
 プライベートなことは聞きたくも聞かれたくもない。でもやっぱりそういう言いかたはやめておく。
「プライベートなことをいろいろ聞いたら失礼じゃないかと」
「はは、西野さん自身も聞かれたくないってことか。じゃあ、このあいだは悪かったかな、いろいろ聞いたりして」
 続く沈黙に自分のほうが嫌になってきた。こんなしゃべらない女はつまんないってもう思われているのかも。
「……初めて君の声を聞いた時、あれって思ったんだよね。ほら、入社してすぐに電話とらされていただろう?」
 ああ、確かにそうだったわ。
「おれは外から電話をかけていて、まだ君には会ったことがなかったから、誰だ? って思ったけどね。なんていうか、柔らかいんだ、声が。変に気取ってなくて」
 なんだかすごいことを言われているような。
「気が付いていた? 営業の男たちは君に電話をとってもらうのが一番話が早いって言ってるよ。比呂乃ちゃんはまだいまいち経験が浅いし」
「……でも本当はいやなんです。電話苦手なんです。おまけにここはアメリカからもかかってくるし。わたし英語が話せないからすごく困るんです」
「そんな時はおれに回してくれよ」
「だって、いないじゃないですか、佐久間さん」
 この会社では誰も部長とか課長といった呼び方はしない。支社長からバイトのわたしまで○○さんと呼ばれる。だからわたしも「佐久間さん」と呼んでいるけれど彼は営業課長だ。しょっちゅう出張している。
「それもそうだな」
「だからすぐに辞めたくなる時もあるんです」
 このあいだは昼休みにアメリカ本社から電話があったけど事務にはほとんど人もいなくて比呂乃ちゃんもいなくてすごく困った。昼休みは交替じゃないのでみんな一斉にいなくなってしまう。 昼休みにかかってくる電話を気にして取っているのは私くらいだ。取引先からだってアメリカじゃないんだから一斉に昼休みを取るなよと言われている始末だ。
「辞めないでくれよ。それともバイトでいるのに何か理由あるの? おれからサービスの部長に正社員になれるように言ってやろうか?」
「いえ、いいです。そんなこと佐久間さんに言ってもらったら……」
「じゃあ、理由は何?」
 ずばり聞いてくる。困ったなあ。
「わたし、イラストレーターをしているんです。と言ってもまだそれで食べていけるわけじゃないので」
「ああ、それで」
 佐久間さんが納得した顔つきになった。
「あんなに絵がうまいんだ。学校で勉強しただけじゃなくて」
 ……このあと佐久間さんはいろいろ聞いてくるだろうか。どんな絵を描いているのとか。私はそういうことを聞かれるのが死ぬほどきらい。だからイラストレーターをしていることは会社の人には誰にも言わないでいたのに。 でも佐久間さんはそれ以上聞いてこなかった。

 それから何回かデートしたけれど佐久間さんはそのことには触れてこなかった。会社で会っても以前とまったく同じだ。秘密、というより公私は完全に分けている、といった感じ。
 私のイラストの仕事も珍しくちょっと立て続いてきた。でもやれるときにどんどんやらねば。急に頼まれた仕事のために休日のデートを一度断わってしまった。まだ仕事の少ない私には急な仕事でも断れない。
 佐久間さん「こっちは気にするな」って言ってくれた。なんとなく安心した。


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