樹下に咲く 1


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 車の外には杉林がずっと続いていた。
 山の斜面を覆う杉の木は陽の当たるところは赤茶けた枝に見えるが、道路が杉林の中へ入っていくと鬱蒼とした木の下は暗く陰って杉の幹ばかりが続いている。
「ここ、本当に東京都か?」
 普段は見慣れない山の様子にそう言うと助手席の折原敬が、
「一応、住所は東京都だけどね」と返してきた。

 神奈川と山梨の両県の県境に近いところまで来るとかなり山が深い。さっきから運転する邦哉(くにや)の目に入るのは道路とまわりの杉林ばかりだ。まだ二月で花粉は飛んでいないようだったが、花粉症だったらたまらないだろうなと考えながら運転する邦哉は横に座った敬(けい)をちらりと見た。
「杉林ばかりで面白味がないな。というか、なんで俺の車で来なきゃならないんだ。おまえの用事なのに」
「俺の車、車検だからさ。助かるよ」
 敬も花粉症ではないらしく気楽な顔でそう言った。邦哉は車を出させるだけでなく、ちゃっかりと運転までさせている敬に言ったのだが、敬はまるで気にしていない。邦哉のほうがひとつ年上だというのに敬は初めて会ったときからこんな感じだ。

「先方から今日来てくれって言われたら行かないわけにはいかないでしょ。ずっと粘って交渉してきた相手なんだから」
 敬がそう言ったところで杉林が終わり、雑木の林に変わっていた。道路沿いには葉を落とした低木や枯れた草が見え、道路のある斜面の下には川が流れていた。
 
 フラワーアーティストという肩書を持つ敬は、邦哉がやっているホテルプランニング会社と専属の契約をしていて、いくつかのホテルの季節ごとの花の装飾やブライダル装花などを担っている。折原敬といえば数年前まではテレビにも出演していたフラワーアーティストとして彼の名前だけでも客が呼べるほどの人気だったが、その敬が花材の取引相手としてぜひにと望んでいたのが、今日ふたりが向かっている佐藤園だった。

 佐藤園は樹木の栽培をする農家で、樹木のほかに「山取り」と言われる天然、自然の花木を扱っており、品質の良さと希少性の高さで華道家からの要望が非常に高いと聞いた。
 枝物と呼ばれる花木は松、梅、桃などで、邦哉も敬の活けたものをいつも見ていた。ホテルのロビーの新春を飾る和と洋のテイストを巧みに混ぜ合わせたアレンジは日本人客だけでなく外国人客にも非常に評判が良かった。


「佐藤園の主人は昔堅気のご老人でね、何度も行って交渉してやっと話だけでもしてもらえるようになったんだけど、うちの品物を扱うならこっちの会社のトップも連れて来いっていうんだ。頼むよ、邦哉」
 そう言われて同行した邦哉だったが、当の敬はいつもどおり飄々として気楽そうだった。しかし敬のフラワーアーティストとしての実力は邦哉もよく知っていたし、親友とも呼べる敬を信頼していたから、花や樹木に関しては専門でない邦哉もこれから訪問する佐藤園に興味を持っていた。

 雑木林を抜けると高台のように開けた土地に入って見晴らしが良くなり、運転していた邦哉は思わずブレーキを踏んで車を止めた。
 まわりを山に囲まれた台地状の土地には畑や雑木林が広がっていて、その合間にぽつぽつと家が点在していた。家といっても現代の家屋ではなく、木造の屋根の大きな昔の農家の建物だった。家々のまわりはどこも植え込みや石垣がきれいに整えられていて、人影は見えなかったが確かに人の住んでいる気配があった。
「俺も初めて来たときは驚いたよ。こんなところがあったのかって」
 敬の声に邦哉は言葉もなく目を見張っていた。
 晴れ渡った空には冷たく冴え渡った西風が吹いていたが南向きのこの土地はさほど風当たりは強くない。二月のしんとした冷たい空気に満たされた山の上の土地だった。

 そこは――天空の里。



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