花のように笑え 第2章 9

花のように笑え 第2章

目次



 聡の失踪とその後の転落に関しては警察が調べている以上、聡が勝手に近藤に会うわけにはいかなかった。近藤は容疑者として聴取を受けていたが重傷でもあり、聡自身も近藤に会うためにはそれから何日も待たなければならなかった。
「近藤はこの病院に運び込まれるとすぐに俺へ連絡をしてほしいと警察に言ったそうだ。警察はおまえと近藤が生きていることは発表していない。AMコンサルティングにも連絡は行っていないそうだ」
 三田は近藤の怪我の様子や警察からの情報を詳しく聡へ教えてくれていた。
 すでに聡の拉致された日から1か月以上が過ぎようとしていた。

 刑事が立ち会いということは承知の上で聡は三田の押してくれる車いすで近藤の病室へと
行った。ベッドに横たわる近藤は怪我のせいだろう、すっかりやつれて面変わりしてすぐには
近藤と気がつかなかったほどだ。それは聡も同じかもしれない。
「社長……申し訳ありません。私のせいでこんな事になって……」
「なぜ……俺を助けようとした?」
「あなたを」
 近藤が弱々しく言う。
「始末するのだと言われた。それを手伝えと。でもできなかった」
「なぜ……」
「私が、会社を裏切った私が誰に信用されるわけがない。たとえヤクザでも……社長を崖の上へ運んだのは社長を殺すためだけじゃないと気がついて……やっとわかりました。あの時に注射をされたのは私なんですよ……あいつらは……」
 そういうことだったのか。考えられると聡は心の中で反復した。
「専務は……偽の投資話も専務がからんでいたのか」
「それは違うと思う……。あなただってあの事件の後に重役たちの洗い出しを行ったはずだ。たぶん会社が危うくなってからそそのかされたんでしょう」
「ティーオールカンパニーの東郷にか」
「たぶん……いや、それは……東郷自身なのか……それは、わかりません」
 近藤の答えは曖昧だった。

「専務は俺が拉致された時に俺が見ている。俺が生きている以上、専務の罪は明白だ。だが東郷はどうだ? 偽の投資話でも東郷の名は出てこない。専務を東郷が直接そそのかすとも思えない。俺の拉致もおまえが俺を始末しろと言われたのも東郷からではない。 実行は暴力団だ。そうだろう?」
「そうです……」
「おそらく偽の投資話で集められた資金はその暴力団に入っているだろう。暴力団の線から東郷を攻められるか? 巨額の金でやつらは結びついているが、東郷は間違っても自分の会社へ金が流れるようなことはしないだろう。今のままでは東郷を追い詰めるのは難しい。そうだな?」
 聡の断定するような口調に立ち会っているふたりの刑事が顔を見合わせている。

「社長」
 近藤の表情が徐々にしっかりしたものに戻っていく。
「外資系証券会社に投資の損害が出ないことをご存知ですか? ……リスク管理の手段として保険をかけているのです。契約書類の偽造なんかに対応する保険です」
「知っている。それを俺はAMの株主総会で言うつもりだった。保険で損害が補償されればAMに返還請求がされることはないだろうからな」
 海外ではこういった投資の際にリスク管理で保険を契約するのは珍しいことではない。
「ああ、社長はさすがだなあ……外資系証券会社が保険をかけているのは正当なことです。だけど保険金の支払い条件にはたぶん偽造の書類作成者側を相手取って訴訟を起こさなければならないことがはいっていると思いますよ」
 偽造書類の作成者……それは近藤ということか、それとも暴力団?
「その偽造書類を私は作りました。総合商社の本物の契約書類のコピーを見本にしてそれに似せるように言われて……そのコピーの書類はティーオールカンパニーと総合商社で交わされたものらしかった」

「ティーオールの会社名と思われるところも契約内容の重要なところも塗りつぶされていましたが、総合商社の社印の印影は塗りつぶされていなかった。たぶんそのコピー書類を使って暴力団が印鑑を偽造したんでしょうが、その後そのまま私に使わせたらしい。 東郷自身がすることならこんなボロは出さないでしょう。関わりを表に出さないためにすべてをヤクザにやらせたからだ。そのコピーからこっそり別にコピーをとっておきました。1枚だけ」
 三田がうなった。
 会社間の契約書類というのは絶対に外部へは流出しない。一般の社員が目にすることができるものでもない。大きな会社なら尚更だ。
 AMコンサルティングは総合商社の子会社とは契約があったが総合商社とは契約はない。近藤が見本にできるような書類はAMにはないということだ。だからティーオールカンパニーの書類が見本に使われたのだろう。
 近藤がこっそりコピーをとったその書類がたとえ主要な文言が塗りつぶされていたとしても印影が残っていれば本物からのコピーだと証明する事ができるかもしれない。残っている文面から本物だと証明できるかもしれない。

「本当か。コピーがあるというのは」
「本当です」
「信じていいんだな」
 コピーの存在も、これから必要になるだろう近藤の証言も。
 近藤は解雇される時にあの投資話で総合商社の偽の役員を演じたのが暴力団のメンバーだと書いた書類をAMコンサルティングに残していた。その書類にしてもコピーにしても、いざという時にどちらへ転んでも自分の罪を軽くしようと考えた近藤のずるい計算だったのだろう。 
「あなたは……私を解雇したがそれ以上の責任を問わなかった」
「俺が責任を問わなくてもいずれ事件が立件されるだろうからな」
「でも、私の妻に金をくれたでしょう? あとから聞きましたよ」
 近藤は警察の事情聴取に応じず行方をくらましていた。もちろん近藤の存在を隠すために暴力団がかくまったのだろう。近藤の失踪を知った聡は会社とは関係のない自分の金を近藤の妻へ密かに届けさせていた。近藤に対しては怒っていたが幼い子供を持つ近藤の妻への同情だった。
 以前の聡ならそんな事はしなかっただろう。しかし瀬奈がいたから、瀬奈と結婚していたから聡はそうしたのだ。瀬奈なら口にはしなくともきっと近藤の妻の心情を思いやるだろう……。
「それなのにあの時、私は社長の奥さんまで襲おうとした……」
 近藤が聡から目をそらすように言う。

 瀬奈!
 近藤の言葉が鋭く聡の心をえぐる。
「私が……東郷に直接会ったのは一度だけだ……あいつに直接言われた。社長の奥さんなど
AMの会社の利益で恵まれた生活をして贅沢をしている女だと……会社だけではない、社長の家庭も生活もみんな壊してしまえと言われたんです。バカでしたよ……そんな言葉に乗せられ
て……」
 近藤の顔が苦しげに歪む。東郷が直接関わったただひとつのこと、それは瀬奈に関わることだった。だがそれを聞く聡の顔も険しい。
「それでおまえは俺を助けようとしたんだな……」

 近藤を信じるほかあるまい。
 そして瀬奈……。
 瀬奈が今では東郷の手のうちに捕らわれている。

 聡が右手を握りしめ、前を睨みつけていた。
「瀬奈を……瀬奈を取り戻す。必ず」
「聡」
 聡の声はかすれていて声の底には苦しさが感じられたが、曲げようのない意志も感じられた。
「三田さん、警察の担当者に詳しく説明して下さい。近藤のコピー書類から調べさせるんです。必ず東郷自身へたどり着かせる。軽微な罪で済ませはしない」


2008.07.10

目次    前頁 / 次頁

Copyright(c) 2008 Minari all rights reserved.