花のように笑え 第1章 13

花のように笑え 第1章

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13


 聡の仕事は忙しいようだったが、少しずつ聡の帰宅が早くなってきていた。今では深夜に帰宅する事も少なくなっていた。 聡の帰りを玄関で出迎える瀬奈へ時にはお土産だと言って瀬奈の喜びそうなものが手渡される。それは小さな花束だったり、かわいらしいパッケージに包まれたキャンディだったり。 そして夕食をともにしながらゆっくりと瀬奈の話に耳を傾ける。そして夕食が終わればあとはふたりきりの時間を楽しむことができる。
 そんな一緒に過ごす時間に聡がお茶を淹れてくれることもあった。それはコーヒーだったり紅茶だったりしたが手慣れた様子で楽しんでいるようにお茶を淹れる聡に瀬奈はその手際の良さに感心しながら見ていた。
「喫茶店でバイトしたことがあるよ」
「バイト?」
「大学はバイトをしながら通った。奨学金なんかも借りたけれどね。喫茶店だけじゃない、きつい仕事のほうが割がいいからいろいろ掛け持ちして。正直言って大変だったけどね。でもそこの喫茶店は裏の部屋に格安で住まわせてもらえた。 モーニングサービスっていうのがあるだろ?夜まで店を開けているマスターが出勤して来るまで朝の仕事をするんだ。それでマスターが良くしてくれていろいろ教わった」
 そうか、聡さんはお金持ちの家に生まれたわけじゃないんだ。今のこの生活は聡さんの努力で勝ち取ったもので何の苦労もせずに恵まれていたわけではないんだ……。
「だからケーキを切るのが上手だったのね」
 お? と驚いたのは聡のほうだった。瀬奈が初めてこの家へ来た時の誕生日ケーキのことだと聡にもすぐにわかった。
「観察力のある奥さんだ」
「そんな……聡さんのことだから憶えていたのに」
 瀬奈がかわいい顔で文句を言うと聡はうれしそうに笑う。

 新しい箱を開いて見せてくれるように聡が今まで瀬奈の知らなかった彼の一面を見せてくれる。それがいつも瀬奈にはうれしい驚きだった。
 聡はスーツの時はその姿勢の良さでぴしりと着こなしているが、あまり着る物にこだわらないのだということもわかってきた。普段着はTシャツやジーンズのようなものばかりで、それでも背の高い聡はそんな普段着でも様になった。 長めの髪と浅黒い素肌にはカジュアルな服はよく似合い、都会にいるよりは海辺のほうが似合いそうだと瀬奈は思ったがまだそんなところへふたりで出かけたことはなかった。
 だからもう少し聡さんの仕事が落ちついたら、と瀬奈は考えずにはいられない。結婚式を挙げてお休みも取れるかもしれないから旅行へ行くこともできるかもしれない。瀬奈はやはり結婚式はきちんと挙げたいと思っていた。 ウェディングドレスにあこがれもある。
 一生に一度のウェディングドレス。それを着て結婚式を挙げたら、そしたら……。
 聡が自分の持っていた写真立てへ入れてくれた瀬奈が赤ん坊だった頃の一家の写真を見ながら瀬奈は考えていた。わたしも聡さんに家族を増やしてあげたい。わたしと聡さんの家族、穏やかで温かな家庭を築きたい……。


「三田さんがね、会社を辞めて旭川へ帰りたいと言っているんだ」
 ある日、会社から帰ってきた聡が着替えながら瀬奈に言った。
「旭川へ?」
「ああ、まあ東京へも無理に頼んで来てもらったから三田さんがそう言うのも仕方ないんだが」
「三田さんはご家族が旭川にいらっしゃるんですか?」
 瀬奈が聡の脱いだ服を受け取りながら尋ねる。
「いや……」
 珍しく聡が言い淀んだ。
「三田さんは元々は東京の人だ。三田さんは奥さんと息子さんを亡くされて、その後田辺先生のところへ来たって聞いている。事故らしいけど」
「え……」
「奥さんと息子さんは旭川で亡くなったらしい。三田さんはその時ふたりを迎えに来て以来、東京へ戻る気がなくなってしまったんだと言っていたよ。お墓も旭川にあるらしい。 だからいずれは旭川に帰るつもりで東京へ来てもらったのだから戻りたい三田さんの気持もわかる」
「じゃあ……でも……」
「そう、今は三田さんにいてもらわないと俺が困る」
 瀬奈の心配そうな顔を見て聡は元気づけるように瀬奈を抱き寄せた。
「もう少し三田さんにはこっちにいてもらうとしても……早く旭川へ帰れるようにするよ。なるべく早く。それが本人の希望だからね」
 三田はとっつきにくい気難しそうな人だが瀬奈には親切だった。それは瀬奈が田辺康之の孫だからでもあった。
「あの、三田さんはわたしのおじいさんのところへ戻るつもりなの?」
 聡がうなずいた。
「三田さんも先生のことを心配している。先生はお元気だけどもう70歳を過ぎているからね。でも大丈夫、瀬奈。出来ることを俺もさせてもらっているから」

 瀬奈の顔に驚きと同時に泣きそうな表情が浮かぶ。今まで瀬奈は聡と結婚した事も手紙で祖父へ知らせてはいたが、祖父の返事は祝いや励ましばかりで聡の事も祖父の生活の事も何も書かれてはいなかった。 今まで祖父へは何もできなかった瀬奈の代わりに聡が知らないところで祖父を助けてくれているらしい事に気がついたからだ。
「聡さん……」
「君と結婚したからって先生がおいそれと援助を受けてくれるとは思わなかったからね。1年前に地元に農産物や特産品を企画販売する会社をひとつ作った。 先生にも経営に参加してもらって専門のアドバイスをする人を頼んであるから無理なくうまくいっているよ。そのへんは俺の専門だから」
 きっとコンサルティング業での聡の手腕なのだろう。
「聡さん、ありがとうございます」
 瀬奈の目から頬に落ちそうなほどの涙をそっと聡が指でぬぐう。
「三田さんが帰ればその仕事を手伝ってもらえる。心配いらないよ」

 聡の周到な気遣いに瀬奈は感謝とともに聡の経営者としての手腕を見る思いだった。会社での聡を知らないし、仕事の事も瀬奈にはわからなかったが聡さんは全力で働いているのだと改めて思う。 そんな聡さんの努力でわたしはこんなにも恵まれている……。

 聡はまだあまり仕事や会社のことは瀬奈に話さなかった。瀬奈が不安に思うようなことは言いたくなかったし瀬奈が会社のことをすべて理解する必要はまだないだろう。 今の聡には仕事を忘れ、会社を忘れ、ゆっくりと休めるその場に瀬奈がいてくれるだけで充分だった。
 瀬奈が高校生の時から感じていたことだが、気分にむらのない瀬奈はいつでも聡のことを
待っていてくれると錯覚しそうになる。どんなに仕事が忙しくても家へ帰って瀬奈の顔を見れば忘れられる。瀬奈の笑顔こそが聡の力になってくれる。
 だからこそ聡も二度と結婚直後のような態度はとらないと心に誓っていた。今となっては何故あんな冷たい態度がとれたのかそのほうが不思議だ。


 堰(せき)を切ったように注がれる聡の愛情に瀬奈はもう戸惑いも感じない。 聡に抱きしめられて夢中になりながらキスを返す時でも瀬奈が気遣うのは聡が忙しくて疲れているだろうということだけだった。
「だめ……だめ、聡さん、明日も仕事なのに……」
「そんなかわいいことを言うとやめられなくなる」
 ぱあっと瀬奈の頬が薔薇色に染まる。どうやらこの人にそれを言うのは逆効果らしい。
 聡は背も高く引き締まった体つきで体力もあったが、それにしてもこのところの激務だ。瀬奈が気にするのはそれなのに聡はこんな時は瀬奈の言うことを聞いてくれない。
「あ……っ」
「ほら、その声」
 瀬奈の柔らかさを楽しむように手で乳房の丸みを確かめている。
「男は疲れているとどうしようもなくなる。瀬奈は……それがいや?」
 ふるふると首を振る。嫌なわけではない。
 こうして愛されているのだから。もう聡の手でもっと愛されたくて体の芯が震えるように感じられるのだから。
「自分が満足したいから抱くんじゃないんだ。瀬奈が好きだから。俺が抱きしめているのが瀬奈だからだ」
 聡の唇がそう言いながら瀬奈の肌をすべっていく。

 聡さんの唇がこんなに柔らかいとは。
 あまり厚みはなかったが、しっかりとした張りがあるのに柔らかい聡の唇が瀬奈の唇だけではなく全身へ落とされていく。ふだんは引き結ばれてあまり笑うこともなく厳しいような印象の唇なのに瀬奈を愛する時は饒舌に変わる。 言葉のない饒舌な唇がキスになって髪にも、指にも。そして瀬奈の花芯にも。熱く、そしてゆっくりと……。
「……あ……あ」
 聡は何も言わないのに、いや、瀬奈の花芯を唇で愛撫しているから瀬奈の声だけが高まっていく。
「いや……あき、ら……さん、いや……」
 それは瀬奈が恥ずかしいからだ。自分の熱く濡れた一番敏感なところを聡の舌で愛撫されて。
「いや?」
 聡はもっと強くしようとすればできるのに、むしろゆっくりと瀬奈の反応を引き出すように繰り返し瀬奈を高めていく。瀬奈の心をしびれさせるように。 絶え間のない愛撫に瀬奈の体が反り返らずにはいられなくなり、足を開かれたまま体を反らせる恥ずかしさと快感に瀬奈はもがく。
「瀬奈、俺が欲しい?」
 聡の言葉に瀬奈の最後に残った羞恥心が崩されていく。
「……ん……」
 それでもまだ言葉にはできなかった。「欲しい」とは。

「俺も瀬奈が欲しい」
 瀬奈にそれ以上は言わせず、震えるように待っている瀬奈の中へと聡が入ってくる。いつもより力強い聡の動きも今なら受けとめられる。
「ああ……」
 もう瀬奈は吐息だけで声にならない。揺さぶられるような聡の動きに何もかもすべてを手離してしまう。

 今夜の聡は暴走しそうだった。自分を押さえて瀬奈を高めていくのには相当な忍耐が必要
だったが、瀬奈が激しい自分でも受け入れてくれるとわかっていても同じ歓びを瀬奈と共にしたかった。 痛いほどに感じられた高ぶりが瀬奈の内部に包みこまれてやっと解放されていく……。

 息の静まってきたお互いの体に手を回し、足をからめる。瀬奈の首筋に顔を埋めながら聡が言う。
「誰よりも好きだ、瀬奈」
 激しい自分でも受け入れて包んでくれる瀬奈。
 聡のつぶやく息が肌に感じられて瀬奈がゆっくりと目をあけた。静かに澄んだ夜の泉のような瀬奈の瞳。すべらかな肌のしなやかな手足。聡の腕の中で安心して寄り添っている。
「愛しているわ……」
 親密な穏やかなキスを繰り返し愛の言葉をささやき合いながら、なにもかもを忘れて後は心地よい眠りへ引き込まれていく。
「ありがとう、瀬奈……」
 もう目を閉じながら聡が言う。やがて眠ってしまった聡の深くなっていく寝息を聞きながら瀬奈も目を閉じる。お互いのぬくもりだけを感じて眠る動物のように、寄り添って眠る巣の中の動物のように。


2008.05.16

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