春を待つ 4

春を待つ

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 高宮はすぐにでも結婚したかったが、三生は大学の試験や勉強もある。式と披露宴は簡単にするにしてもお互い親類へ正式に結婚の報告もしなければならない。
「披露宴のパーティーは私のいとこのやっているレストランでやろうかと思っている。君の友達にも気軽に来てもらえるようにね。どうかな?」
「いとこ?」
「そう、私よりひとつ年下だ。結婚していて子どももいるよ。新藤 漣(れん)というんだが、シェフをやっているわけじゃない。経営者だな。実際にはホールにも立つけれどね。今度一緒に漣の店へいこう。君に紹介するよ」

 高宮の言ったとおり漣の店はよくあるようにシェフが自分の店を出しているというわけではなかった。漣はオーナーで経営を、料理の味に関しては漣の妻の緒都(おと)が管理をしているという。
「高宮さん、お久しぶりです」
 生後半年くらいの赤ん坊の男の子を抱いて緒都が店へ出てきた。高宮と三生が向かい合って座ったテーブルのその脇に漣が立っている。漣は白いシャツの襟元をきっちりとボタンをして黒いズボンの上に膝下まである黒いエプロンを腰に巻いている。 背は高かったが親しみを感じさせる笑顔の漣にはその服装が良く似合っていた。
「僕の家内の緒都と息子の琉太(りゅうた)です」
 すでに三生に紹介が済んでいる漣が言う。
「ご結婚おめでとうございます。ご披露のパーティーをうちでやってくださるそうでありがとうございます」
 琉太を抱いている緒都へ高宮が座るように勧めた。
「三生さん、とてもお綺麗なかた」
「そうだろ? 雄一はいつのまにこんなお嬢さんと知り合ったんだ? 僕よりも年上のくせにこんな若いお嬢さんと」
 緒都が笑って漣をひじで突く真似をする。ふたりの気さくであたたかい様子に三生は高宮の親戚ということで感じていた緊張がいっぺんに解けた。
「ごめんなさい、この人ったら。でも三生さんはまだ大学生でいらっしゃるのよね。お勉強もあるでしょうからなにかお手伝いできることがあれば遠慮なく言って下さいね。当日のお料理もいろいろ考えていますので」
「雄一さんとも相談しましたがお料理はお任せします。こちらのお料理は緒都さんのレシピだとか。さきほどのお料理もとてもおいしかったです」
 三生が言うと漣と緒都はうれしそうに笑った。緒都だけでなく漣も笑っているのが三生にも高宮にもとても好ましく感じられる。緒都のひざのうえでは琉太も小さなこぶしを振って笑っていた。まるで両親が笑っているのがわかっているように。

 よかったら厨房を見て欲しいと緒都が言って琉太を抱いて三生と一緒に奥へ入っていくふたりの後ろ姿を漣と高宮が見送っていたが、先に視線を戻したのは漣のほうだった。漣がコーヒーを注いできて雄一の前へ置いた。
「漣は相変わらず勘当されたままか」
「まあね。何度か許してもらえるように頼んでいるんだけど。雄一、俺の親父たちも披露宴に呼ぶんだろ?」
「呼ぶ。ほかにも来てくれるかどうかは別として親類の主だったところは招待するよ。俺のところは両親もいないし。おまえも知っての通り二度目の結婚だからという理由で来ない親類とは付き合いは遠慮するよ」
「雄一はそう言ってちゃんと根回しするんだろう。皆に来てもらえるようにさ」
「それが三生を認めてもらうということだからな。面倒だが。俺は別に親類に認めてもらえるかどうかなんて関係ないんだが、彼女にとっては肩身の狭い思いをするだろうし」
 漣が思わず苦笑いをした。
「耳が痛いなあ」
「漣のお母さんは許してくれているんだろう?」
「琉太がいるからね。お袋は琉太の顔を見たくてたまらないんだ。でも親父は緒都のことより俺が今はもう会社を継ぐ気がないからそれが気にくわないんだ」
「お互い苦労するな」
「まったく」

 その夜、琉太を寝かしつけた後で緒都が漣のところへ来て尋ねた。
「ねえ漣、高宮さんは二度目の結婚って言ってたわよね?」
「……うん。最初はさ、どこかの銀行の頭取の娘と結婚したんだけれどすぐに別れてしまったらしい。というより政略結婚みたいなものだったんだろう。そんな理由で結婚するなんてあいつらしくないけれどな。 まあ、あいつの会社はうちの親父の会社とは比べ物にならないほど大きいからいろいろあるんだろう。そういえば披露宴には新藤の伯父上も呼ぶって言ってたな」
「伯父さん? あなたにとってもでしょう?」
「そう、うちの親父と雄一の母親の兄だよ。大臣だった新藤泰隆」
「えっ、じゃあ国会議員……」
「まあね」
「まあね、じゃないでしょう。漣、どうしよう」
「何が?」
「メニューよ、メニュー!」
 メニューを心配するあたりが緒都らしい。当日着る服でも心配するのかと思ったら……。
 漣は緒都を引き寄せて膝の上へ乗せた。
「悪いな、緒都」
「あら、メニューのことなら心配いらないわよ?」
「いや、いつまでも親父たちに認めてもらえなくて」
「今まではお店を軌道に乗せるのに漣は一生懸命だったもの。これからお義父さんたちにもわかってもらえればいいんだから」
「そうだな」
「それよりお料理は任せてもらえるんだし。漣のご両親にも召し上がっていただけるんだから高宮さんに感謝しなくちゃ」
 緒都が漣の顔を抱き寄せるように腕をまわして自分の頬を漣の額につけた。
「でもね、高宮さんほどの人のお相手が大学生の女の子だなんて、私、三生さんに会うまでは
ちょっと心配だった。だけど……」
「あのふたり、お似合いだよな」
「私もそう思った。三生さん、きれいなだけじゃないわ。なんて言うか……きっと高宮さんにふさわしい人なのよ」
「緒都だって俺にふさわしい」
 漣の言葉に穏やかに緒都が笑う。その笑顔こそ漣を支えてくれるものだった。
 雄一も俺も愛する妻を手に入れたってわけだな……。




 2月の末に届いたアメリカからの荷物を広げて三生は礼の手紙を書いていた。伯父である
ジョージ・グレイから送られてきたのは象牙色のドレスだった。ちゃんと三生のサイズに合わせてあり、もしかしたらこれは 高宮が結婚する事をジョージへ知らせてくれたのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。
 ドレスに添えられたカード、そこには短い祝いの言葉。

        結婚おめでとう
        離れていても、いつでもあなたの幸せを祈っています
        今も私の小さな宝物である三生へ     キャスリーン


「三生」
 高宮がそばへ来た。三生の手を取る。
「ジョージへ知らせてくれたのは雄一さんでしょう?」
「ああ、彼には言っておいたほうががいいと思ってね。彼が喜んでくれることがわかっていたから」
 三生はジョージへの礼とは別にキャスリーンへも短い手紙を書いていた。きっとこのドレスはキャスリーンが贈ってくれたものに違いない、と思いながら。
 高宮はゆったりと三生を腕の中に抱くと三生の顔がよく見えるようにして尋ねた。
「三生、お母さんに会いたくはない?」

「君が高校生だった時にキャスリーンの来日を止めさせたのは私だ。あの時はそれが仕方のないことだと思えたけれど君がお母さんと会える機会を奪ってしまった。君のお父さんがそうしていたように私も時々ジョージと連絡を取っている。 三生、君が望むならお母さんに会うこともできるよ」
 高宮の目がじっと三生を見つめている。きっと彼はこのことをずっと気にかけてくれていたのだろう。

 お母さん……。
 母のことはずっと考えないようにしていた。考えてどうなるものではない、違う世界で生きてきたのだから三生の父がそうしたように三生もこのままでいいと思っていた。血のつながりはあっても心のつながりのなかった母。 父は隠さず母のことを話してくれたけれど、それは過去の事実だけで父は自分の気持は話さなかったし、三生の気持も尋ねはしなかった。 それでも父は三生が母に会いたいと言えばきっと会わせてくれただろう。英語もそのために教えてくれたのだから。
 ただキャスリーンからは何も言ってはこなかったし、割り切った生活が長かったから父はそうしただけだ。

 キャスリーンからのカードを見た時、三生は不思議と平静でいられた。母を愛しているという気持ちとは違ったが、かといって恨むこともなく生きてこれたのは父のおかげだ。 自分の母が女優のキャスリーン・グレイだということでいろいろなこともあったが、やはりわたしもお父さんと同じように生きていこう。
「会おうと思いさえすれば今までも機会はあったよ。でも、どうしてかな。今はまだ会う時ではないって、そんな気がする。まだ今は……。でもね、きっといつかは会える時が自然に巡ってくると、そう思っている。 いつか……その時に雄一さんが一緒にいてくれるとうれしい」

 いつかはキャスリーンに会う事ができるだろう。それは三生が望みさえすれば出来ることなのだと高宮も言ってくれている。三生がすぐにキャスリーンと会うことを望まなくとも、彼は三生と
キャスリーンの間に目に見えない糸を繋ぎ続けてくれるだろう。 それでもキャスリーンはキャス
リーンだ。わたしは自分の足で立って生きていけばいいのだから。
 三生の答えを聞いた高宮が力づけるようにうなずく。それは三生にとって愛する人の愛しい顔。
「もちろん一緒だ」
 いつか……そう、いつかきっとその日は巡ってくるに違いない。


「新婚旅行は長野の別荘でいいの?」
「うん、またあの別荘へ行きたい」
「よし、結婚披露のパーティーが終わったらすぐに出かけるようにしよう。またあの別荘で過ごすんだ」
「北村さんは今も別荘の管理を?」
「ああ、もう連絡してあるよ。北村さんもとても喜んでくれた。北村さんはね、東京でも一流のホテルマンだったんだ。でも体を壊して地元の長野へ戻っていたのであの別荘の管理を頼んだんだよ」
「そう……」
 ふたりにとっての忘れられない記憶。雪の降るあの別荘での夜。
「私も君と一緒に行ったあの時以来、別荘には行ってなかったんだ」
「ずっと……?」
「ああ、君との思い出が壊されてしまうようでね。行けなかった。でもこれからは違うよ」
 三生は高宮に寄り添っている。その三生の肩にまわされた高宮の手。
「一緒に行こう。きっと雪が降っているよ」


 結婚の式は高宮の祖父の家で行った。
 いわゆる人前結婚式というもので祖父の前で指輪を交換し婚姻届にサインをしただけだ。すでに高齢の祖父高宮誠一郎はベッドを離れられなかったが、しっかりと起き上がって孫の雄一の結婚を祝ってくれた。 雄一の叔父である英二夫婦が今では一緒に住んでいて祖父と叔父夫婦、そして三生の伯母夫婦の立ち会いによる結婚式だった。 前日には三生の父と高宮の両親の墓参りも済ませている。
「雄一、おめでとう。三生さん、雄一を頼むよ」
「お祖父様」
 ドレスにもかかわらずベッド脇へ膝をついた三生の手を取りながら祖父の誠一郎が言う。
「もっと早くあんたにお会いしたかったなあ」
 かつて孫の雄一が好きな人がいるからと一度は中村の娘を断ったのを誠一郎は憶えている。その時雄一が想っていたのが三生だろうということもわかっていた。
「幸せになりなさい。幸せにな……若い人にはその権利がある」


2008.09.05

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