春を待つ 5

春を待つ

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 アンティークな雰囲気の象牙色のドレス。
 19世紀ベルギーのポアン・ド・ガーズを模した凝った細かい花模様のレースと刺繍がハイネックの襟元やヨーク、袖口に配されている。19世紀末から20世紀初頭にかけてのドレスのデザインを取り入れたものだったが、 全体のボリュームは抑えられスカートも床までの長さで広がり過ぎないものだった。 高宮から贈られた真珠で揃えたアクセサリーをつけ、神前ではなかったからベールはつけず髪にクリーム色の薔薇の花を飾り、同じ薔薇を小さめにまとめたブーケを持つ。すらりとした三生にはとても似合って高宮は三生のドレス姿を感嘆の目で眺めていた。 華麗な最新のウェディングドレスとはまた違った趣のものだが、高宮の車で漣の店に着いた三生へ漣も緒都も同じような感嘆の目を向けた。
「三生さん、きれい。……雰囲気があってとてもすてき。お似合いだわ」
「ありがとうございます、緒都さん」
 頬を染めて三生が答える。
 高宮は黒いフロックコートのスーツだった。グレーのベストに立襟のシャツ。そしてアスコット・タイが三生のドレスの色と同じ色。クラシカルなスタイルを高宮が若さと落ち着きを兼ね備えて着こなし、三生のドレスともぴったりと調和している。 上着の襟に挿したブートニアが花婿のしるしだった。
「高宮さんもすてき。どうぞこちらで写真を撮る準備ができていますから」
 プロのカメラマンを呼んであり、緒都が三生のドレスを手早く整える。店の落ち着いた内装をバックにして撮影が行われるのを漣と緒都が見守る。
「先に漣のご両親に来てもらうようにしてあるんだ」
 写真を撮り終わると高宮が漣へ言った。
「え? 先に?」

「親父……」
「漣、緒都さん!」
 高宮と三生へ結婚の祝いを言うと漣の母の雅代がすぐに飛ぶように緒都の元へ行くと緒都の腕から琉太を抱き上げて笑いかける。
「とってもかわいいわ。ほーら琉ちゃん、ばあばですよ。もうばあばって言えるかしら」
「言えるわけがないだろう」
 憤然と漣の父が言う。
 高宮がさりげなく漣を見て漣も雄一の意図するところがわかった。父親の前へ行く。
「お父さん、僕たちの結婚を認めてもらえませんか」
 漣の言葉に父親はぶすっとした表情を変えようともしない。漣と緒都の結婚を認めるのは漣のレストラン経営という仕事を認めることになるからだ。
 三生はあらかじめこのことについては大丈夫だから、私にまかせてと高宮から言われていたのだが緒都のことが心配になって高宮の顔を見上げた。漣の父も母も三生のその表情に気がついたようだった。
「まあ、あなた、漣と緒都さんの披露宴はいずれということで」
「何を言っておるんだ、おまえは」
 冗談のような漣の母の言葉に漣の父は苦い顔で答えた。かまわず母の雅代が言う。
「緒都さんはこんなにかわいい孫を産んでくれたのよ。お嫁さんとしても漣にはもったいないくらいだわ。あなたは琉太がかわいくはないの」
 雅代は琉太を抱いたまま離す気配もない。
「もう意地を張らないで。雄一さんも三生さんもお困りよ」
「しかし」
 漣の父は漣が緒都と結婚してしまったことよりも漣が会社を継ぐ気がないことを許せないのだ。高宮と三生、漣と緒都、そして琉太を抱いた自分の妻に囲まれて漣の父はぐっと詰まった。
「もう許してやったらどうかね」
 その時、後ろから声がかかって漣の父が振り返った。
「兄さん!」

「雄一君、結婚おめでとう。こちらが新婦の三生さんか。美しい」
 高宮が手を差し出して握手をする。
「伯父さん、お忙しい中お越しいただいてありがとうございます。妻の三生です」
 高宮雄一と漣の伯父、つまり漣の父の兄である代議士の新藤泰隆へ高宮が三生を紹介した。三生と新藤が握手をするのを皆が見守る。
「初めまして、三生です。おいでいただき光栄です」
「雄一君をよろしくな、三生さん。私らの血筋は揃いも揃って強情なやつらばかりで」
 そう言って新藤が弟である漣の父を見たので漣の父がまた渋い表情をしたが、新藤が漣に緒都を紹介してもらいたいと言うのを聞くと仕方がないといった顔をした。そんな弟の顔を新藤泰隆はちゃんと見ている。
「三生さんも緒都さんもすばらしい女性だ。雅代さんもな。私ら男どもはとうていこんな女性達にかなうはずはないんだ。なあ、雄一君」
「ごもっともです」
 高宮があっさり答えたので漣も、そしてつられて漣の父もうっかり笑ってしまった。
「お願いします。お父さん」
 こんどは漣がまじめな顔に戻って父へ言う。そばには緒都。
 漣はこの父が長兄に頭が上がらないことを知っている。雄一だって知っているに違いない。だから……。しかし、父に許してもらえるようここは真剣に頼むしかない。
「お願いします」
「……兄さんの言うとおり緒都さんはいい人だ。それくらい私にもわかる。今日結婚した雄一君と三生さんに免じて許してやる。そのかわりもう母さんに心配かけるな」
「あら、わたしは最初から心配なんてしていませんでしたわよ」
 漣の母の言葉に笑い声が上がって皆がいっぺんになごんだ。うれしそうな緒都の顔。漣が
一歩前へ出た。
「では皆さん、雄一と三生さんの結婚を祝いましょう」

 ほどなく高宮英二叔父夫婦や三生の親類たちも訪れはじめ高宮と三生が出迎える。文芸四季編集長の三崎と高宮も挨拶を交わす。その合間に高宮は新藤代議士についてきていた秘書の広沢を三生へ紹介した。
 三生の高校時代の友人である今日子や沙希たちや大学の友人たちが現れると一気に若々しい華やぎに包まれた。
「三生、結婚おめでとう」
「尋香!」
 尋香(ひろか)はT企画の若林社長と一緒に来ていた。若林と広沢はともに高宮の大学時代の友人だったからおおっと声をあげている。
 なつかしい人たち。親しい人たち。
 やがて友人を代表して若林が祝いを述べ、乾杯がされる。それだけだったが、あとは高宮と三生は出来る限り客たちと言葉を交わし挨拶をしてまわるというくだけたものだった。
 高宮と一緒に祝いの言葉をかけられる三生はゆっくりと客達のあいだをまわりながら時々まわりを見回す。漣と緒都が漣の両親へ礼を言っている。三生の伯父や伯母が新藤泰隆となごやかに挨拶をしている。 すっかり高校生に戻っている尋香や今日子や沙希たち。たくさんの笑顔、そして琉太のあどけない笑い顔。
 それらを笑顔で見まわしている三生に気がついて高宮が三生の手を取った。ほほ笑んで見上げる三生。ふたりはホールの中央にいた。
「三生」
 静かに顔を寄せた高宮が三生に口づけをした。目を閉じてそれを受ける三生。
 わぁと若い娘たちの声が上がる。背の高いふたりのまわりにふわりとあたたかな波が広がりそれは客たちを包んでいく。夢のように美しく、やわらかく……。




 結婚披露のパーティーの行われたレストランから客たちが帰ってしまうと今度はそのレストランのオーナー夫婦がふたりを見送るために出て来た。
「気をつけて行けよ」
「ああ、ありがとう。漣」
 高宮が車に乗りながら答える。
「漣さん、緒都さん、お世話になりました」
「三生さんもお気をつけてね。またいらして下さいね」
「ありがとうございます」
「ありがとう、緒都さん」
 高宮も答え、助手席に座った三生がまた漣たちにお辞儀をした。
 高宮の冬用の4WD車がレストランの前から出ていくのを漣と緒都は暗くなり始めたドアの外に立って見送っていた。

「雄一ってば三生さんにぞっこんて感じだったな」
「ほんと、ふたりが愛し合っているのがとても感じられたわ。いいパーティーにできてよかった」
 漣が妻の緒都の顔を振り返った。
「親父たちにも認めてもらったし。なんだか雄一にすっかりやられたって感じだよ」
「ふたりが新婚旅行から帰ってきたらお礼を言いに行きましょ。もちろんその前にお義父様たちのところにも。でも新婚旅行が長野の別荘だなんて。高宮さんだったら世界一周でもできるのに」
「あいつらしいよ。それとも三生さんらしい、かな」
 ふたりはそう言って小さな声で笑い合った。

 高宮の言った通りになった。
 高速道路を降りた頃から降り出した雪は別荘へ着くころには絶え間なく降り続いていたが高宮のスタッドレスタイヤの4WD車は雪をものともせずに走っていく。
「奥様!」
 別荘へ着いたのは真夜中近かったが、北村が車を降りる三生と高宮の前へ飛び出してきた。
「奥様、お待ちしておりました。またこうして三生様にお目にかかれて……」
 北村が感激したように言う。奥様、と生まれて初めて言われて三生は照れくさかったがうれしそうにほほ笑んだ。
「北村さん、お元気そうでなによりです」
「ありがとうございます。ご結婚おめでとうございます、高宮様、奥様。どうぞ荷物をお運びしますので」
 北村が三生の持つ旅行バッグを受け取って玄関を開いた。高宮と三生が並んで入って北村が後に続く。静かに燃える薪ストーブで暖められた居間にはワインとグラスが用意されていた。
「遅くなってすまないね」
「ご結婚のご披露パーティーをされてから東京を出発されたのでしょう? この雪ですので心配しておりました。いつもの通り揃えてありますがご用がありましたらいつでもお呼びください」
「こっちはもういいから北村さんも早く帰ったほうがいい。雪がひどくなってきた」
 高宮が窓の外を気にしていた。天気予報は発達した低気圧の通過を報じていて、その後に来たのは3月には珍しい真冬並みの寒気だった。今夜は降り続くだろう。
「では失礼させていただきます」
 言葉少なに帰ろうとする北村を見送るために高宮と三生は玄関に立った。
「お気をつけて、北村さん」
「北村さん、これからはもっとここへ来させてもらうよ。よろしく頼みます」
 そう言う高宮の手は三生の腰へまわされている。寄り添って立つふたりに北村はお辞儀をすると静かにドアを閉めた。


 お互いのぬくもりが溶け合っている。
 静かに燃える火に照らされてお互いの肌が触れ合っている。
「雄一さん」
 高宮が三生の左手をとるとその薬指にはめた指輪が光る。今日、彼が自分自身で三生の指へはめてやった結婚指輪だ。そして彼の指にも三生のはめてくれた指輪がある。
「愛している、三生。この指輪にかけて」
 答える必要はなかった。
 夫として、妻として、愛しい恋人として愛しているのだとわかっていた。それでもお互いに何度この言葉を交わしたことだろう。愛している、愛していると。 すべるあたたかい肌に、震えるような快感に、何度口にしたことだろう。愛していると。
 今またお互いを抱きしめて繰り返す口づけ。ふたりの唇がお互いを求めている。

 愛している……



 降り積もる雪。
 数えきれない雪が舞い降りて、その花のような結晶が静かに降り積もっていく。森に、林に、家々に、すべてを閉じ込めてしまうように雪は静かに降る。それでも夜になればまたふたりはお互いの暖かい肌を合わせて横たわることができる。 それは愛し合う者同士だけが知る歓びの時間。
 雪もやがてはやむだろう。陽に照らされてきらきらと輝くはずだ。また降るかもしれないが春が近づけばやがては溶けて地面を濡らし浸み込んでいくだろう。そうして繰り返される季節。 人間の思惑など及びもしないその季節の営みは年月を刻む時間。その時間の中で人は愛し合うことができる。巡り会えた幸せを感謝することができる。
 高宮と三生のふたりも…… 。

終わり   


2008.09.06
窓に降る雪 拍手する

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