いつかの海辺で 5
   
   
    
    いつかの海辺で
   
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 案の定、漣は社長から呼び出された。社長室へ入ると林田もいた。悪い予感がする。 
「おまえ、家に帰っていないそうだな」 
「ええ、まあ、忙しくて」 
「何が忙しいんだ。一人暮らしがしたいならお母さんにそう言えばいい。違うんだろう?」 
「ご存じなんでしょう? 僕が彼女の部屋にいるってこと」 
「売れない小劇団の女優だそうだな」 
「そこまでご存知なら……」 
 漣の父親である社長が手にしていたファイルをぱしっと机に置いた。 
「知っているから言ってるんだ。おまえ、婚約者はどうするんだ」 
「解消します」 
「わかってないな、漣。お前も納得して婚約したんだ。向こうの立場はどうなる」 
「立場で結婚するものだとは思いませんが」 
「生意気を言うな!」 
 父が立ちあがった。 
「お前がそんなわからないことを言うなら、お前の相手の人へ言うまでだ。お前よりも年上で女優なんかやっているくらいだから苦労しているだけあって、お前より彼女のほうが解りがいいな」 
「緒都に何を言ったんです?」 
 漣が思わず立ち上がりながら叫んだ。 
「緒都に何を……」 
「お前に婚約者がいることを。いずれ会社を継ぐおまえにはふさわしい結婚相手が必要なこともな。林田を行かせて話させたよ」 
 
 アパートへ戻ったが緒都はいなかった。消えてしまっていた。 
 
 今度ばかりは緒都は戻ってこないかもしれない。 
 それでも漣はアパートに居続けた。前に緒都がいなくなった時よりも多く、毎日何度も携帯を コールし、毎日メールを打った。携帯は確かにつながっていたが、電話にも出ず、メールの返事も来ないただの一方通行では本当につながっていると言えるのだろうか。
なんとか緒都を捜し出す手立てがないかいろいろ考えて、前に緒都の踊っていたクラブにまで問い合わせてみたがやはり緒都は見つからなかった。興信所のようなところを使おうかとも思ったが、できれば自分で探したかった。……日にちだけがいたずらに過ぎていく。 
 
「漣、どうした?」 
 いとこの雄一に尋ねられて漣は苦笑いした。漣は飲食店専門のリサーチ会社の資料を雄一から受け取りに来ていた。 
 漣よりも一歳年上のいとこの高宮雄一はその若さで広告代理店の社長だったから、こういったリサーチ会社にも仕事柄詳しい。いいところを紹介して欲しいと前から頼んでいた。 
 飲食店は店を出しておいしければ流行るというものではない。立地や客層などが重要なポイントで、そういったことを事前に詳しく調べる会社がある。頼めば店を出す付近一帯にある飲食店のメニューから客層、回転率、売り上げまで調べてくれる。
そういったことを調べたうえで店を出すかどうか決めるのだ。 
 年の近い漣と雄一とは兄弟のようにしてきたが1歳しか年が違わないのに気楽な漣と違って雄一は社長だけあってさすがに人間ができている。
雄一は漣の親戚であっても親に告げ口したりはしないとわかっていたので、なんとか緒都を探したいと忙しい雄一をつかまえて資料を受け取るついでに相談に来ていた。 
 
「何だ、元気がないなあ」 
「彼女に逃げられた」 
 雄一はくくっと笑った。 
「そりゃ、お前が悪いだろ。探してつかまえ直せばいい」 
「それができないからこうして相談に来ているんだよ。もうひと月になるのに彼女は見つからないんだ」 
「彼女とはどこで知り合ったんだ?」 
 伊豆の別荘でのことを話したが、管理人の吉田さんにはとっくに緒都が来ていないか尋ねて、来たら連絡してくれるように言ってある。 
「管理をしてくれる人のところへ行ったらお前に知られてしまうことくらい彼女もわかっているだろう。それ以外では?」 
 見当もつかない。 
「東京に友達がいるだろうけど……僕は知らないんだ」 
「友達のところもありえるが彼女は他に行くところがないのかもな。前にも結局は管理人さんのところへ行ったんだろう? あんがい管理人さんは黙っているのかもしれないぞ。管理人さん以外の土地の人に聞いてみたらどうだ?」 
 雄一の言葉にはっとした。両親のない緒都は吉田さん夫婦を本当の親のように思っていた。
古い言い方だが緒都が漣とは身分違いだから身を引きたいとか何とか言えば、きっと吉田さんたちは緒都のことを内緒にするに違いない。漣が婚約をしていることを知ればなおさら。 
「携帯はつながってはいるんだろう? 本当はおまえのこと待っているんじゃないかな」
 「きっとそうだ、雄一!」 
 漣は言うなり立ちあがった。もうドアへ向かっている。雄一がドアから飛び出そうとしている漣へ言ってよこす。 「今度は彼女を紹介しに連れてこいよ」 
  
 漣はカズの電話番号を調べて電話してみた。 
「緒都さん? ああ、ちらっと見かけたよ。このまえ、先週だったかな」 
「ありがと!」 
 それ以上聞きもせず漣は伊豆へ向かった。もう仕事もなにもかも放り出して。社長の息子だからわがままなんだよと自分でつぶやきながら。 
 
「漣……」 
「やっと見つけた。緒都ってすぐに消えるんだね」 
 目の前の漣は笑っている。何で笑うの。 
 別荘に来た漣を見つけた時、緒都は逃げ出そうと思ったが足が動かない。それとも漣がここへ来ることをわたしは待っていたのだろうか。 
 車を止めてその足で漣は緒都のほうへ歩いてきた。 
 
「冗談はよして」 
 緒都がぐいと目をぬぐった。涙を見せまいと。 
「漣……わたし聞いたのよ。あなたに婚約者がいるってこと……あなたにも、あなたの家にも仕事にもふさわしい人がいるってこと……なのに、あなたは……」 
 そう言われると漣は何も言い返せない。 
 いままで平穏に何不自由なく過ごしてきた。親に勧められるまま当然の成り行きで婚約もした。別にいやと感じることもなく、こうしていくものだと思っていた。緒都に会うまでは。 
 こんなにも緒都が好きなのに、緒都しかいないと思っていたのに漣は婚約のことを自分で目をつぶって見ないようにしてしまっていたのだ。まったくこれではお坊ちゃん扱いされても何も言えない。 
 
「……わかった。はっきりさせるよ」 
 漣は車のキーを持った。 
「婚約は解消する。と、いくら緒都へ言ってもそれだけじゃだめだろう? 今から家へ戻って解消してくる」 
「え……」 
「待っていてほしい。何日か、かかるけど」 
 驚いている緒都のその唇へちゅっとキスをして漣は車へ向かった。さっき東京から着いたばかりでとんぼ返りするつもりだろうか? ……でも、でも漣はもう車の窓から手を振っている。 
 あっけにとられている緒都を残して漣は行ってしまった。いつでも漣の行動力の良さには驚かされる……。 
 
 漣の行ってしまった後、緒都は待ち続けた。今度は緒都が待つ番だった。 
 何日かしての夕方、緒都は窓を開けて空の雲を見ていた。むこうにある別荘の建物の白い壁。そのはるか向こうに広がる空も海もすでに暗くなり始めている。 
 漣はいつ帰ってくるのだろう。けれどももう今日は漣も帰ってくることはないだろう。また明日待つしかない。 
 しかしその時、別荘のほうに人影が見えた。背の高いその人影。 
 
「漣!」 
 緒都が飛び出した。 
「いつからそこに? どうだったの? 東京のほうは?」 
 漣の前で緒都が心配そうに尋ねる。 
「勘当されてきた。でも安心して、婚約はちゃんと解消したから」 
「かんどう……勘当って……」 
 茫然とするのは緒都のほうだった。今時そんな、勘当なんて……漣は大きな会社の跡継ぎなのに……わたしのせいで…… 。 
 
「あなたの仕事は……会社は……」 
「辞めたよ。でも君のせいじゃない。僕が自分で辞めたんだ。君と一緒にレストランでもやろうかと本気で思っている。カズに魚を送ってもらうっていうのはどう? あいつ若いのに漁協では結構な顔なんだ」 
 ……そんな簡単にできることじゃないのに、この人ったら……。緒都は思わず涙ぐんだ。 
「明日は東京へ戻ろう。君のアパートに住まわせてくれる? もう住んでいるけど。それからすぐに準備に入る。店を持つためにね。協力してくれるだろう? 緒都」 
「漣、後悔しない?」 
「これから君を抱くことに? まさか」 
 わざとはぐらかした答えに緒都はわかった。気楽で屈託のないこのお坊ちゃんはいい加減ではない。ちゃんと考えている。それが緒都にうれしさを込み上げさせる。 
「君が欲しい。後悔しなきゃならないなら後でするから。でも僕には関係ないな」 
 そう言って漣はきつく緒都を抱きしめた。 
 
 終わり 
     2007.10.19掲載
 
     
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