いつかの海辺で 3
   
   
    
    いつかの海辺で
   
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 次の日の月曜日にはもう漣から電話があり、ふたりは会うようになった。たいていは漣の仕事が終わるのを待って落ち合う。 
「漣、たまには飯でも一緒に食おう」 
 珍しく社長である父から内線がかかってきたが、その日も緒都と約束していた。 
「すみません、ちょっと先約があるので」 
 にべもなく断ってしまう。 
「少し話したいこともあったんだが……しかたない。また今度な」 
 しかし父の誘いを漣は二度、三度と断ってしまった。 
「何だ、あいつは」 
 ぶつぶつ言う社長のそばで、その電話を聞いていた高階が尋ねた。 
「漣君、忙しいようですね」 
「ああ、すまない。なんだかあいつは最近遊びまわっているみたいで……」 
「若いんだからいいじゃないですか。結婚したらそうそう遊ぶこともできないでしょうし。ご心配なら私から漣君に言っておきましょうか? なに、ちょっと釘を刺してやるだけですよ」 
 父の親しい友人で取引先でもある高階は漣のこともよく知っていて叔父のような存在だった。 
「そうか……じゃあお願いしますか」 
 父も安心して言ったのだった。 
 
「緒都、待った?」 
 会社のすぐ近くに緒都は待っていてくれた。 
「ううん、そんなことない」 
 緒都がうっすら笑って答えた。 
「お腹すいたなあ」 
「食べに行く?」 
「それもいいけど、僕は緒都の料理が食べたいなあ。もうずっと食べてない」 
 漣が甘えたふうに言う。 
「……じゃあ、食べに来る?」 
「どこへ?」 
「わたしのアパート」 
「ほんと、いいの?」 
「そのつもりのくせに」 
 緒都の言葉に漣は笑った。 
「じゃあ、買い物に行こう。材料は何が要るの?」 
 
 緒都のアパートは1Kに洗面所とトイレの一緒になったユニットバスというこじんまりしたもの だった。 
 緒都が手早く海老のつけ焼きを作ってくれる。それからポトフ風のコーンドビーフが出てきて漣にはうれしい驚きだった。あらかじめ時間をかけて作っておかなければならない料理だからだ。 
「ここにはオーブンもないからあんまり凝ったものは出来ないけど」 
 緒都はそう言っていたが漣はすっかり満足だ。食事の後片付けを一緒にして緒都がお茶を淹れてくれると漣は緒都にくっついて隣りへ座り腰に手を回して引き寄せる。 
「キスしていい?」 
 もうしっかり抱きしめているのにそんなことを聞くから緒都は笑ってしまう。これまでキスもしなかったのが不思議なくらいだ。 
「好きだよ。緒都」 
 そう言いながら漣の手は緒都のシャツブラウスをめくりあげている。キスをしながら漣の手がどんどん緒都の体を裸にしていく。 
「立って」 
 漣は唇を離すと緒都を立ちあがらせた。シングルのベッドへ横たえさせるために。 
 
 ひきしまった体の緒都は裸になってもやっぱり若く見える。
こんな緒都が一度は他の男のものだったなんて。漣はこれが嫉妬だと気がついた。かつて緒都は結婚していたという相手にではなく、結婚という事実に妬けた。 
「許せないな……」 
 キスの合間につぶやく。 
「何……何が……?」 
「君が誰かのものだったなんて……」 
 漣の指が緒都の中心をとらえた。もう熱く潤んでいる。 
「あ……」 
「でも、もう僕のものだ」 
 くいと力をいれて緒都の足を開かせた。すばやくその中心へ自分自身をあてがって割り込ませる。 
「……」 
 強引過ぎただろうか。 
 緒都が一度は結婚していたからといってその体を性急に求めすぎただろうか。 
「強引……なのね」 
「君が経験があるからじゃない。もう僕が君を欲しくてたまらないんだ。だから妬けるんだ」 
 それでも入ってきた漣を緒都は受け止めてくれた。きつかった緒都の中が漣が動くたびに柔らかく溶けていく。 
「れ……ん、……あっ」 
 体を震わすと緒都は漣の体をつかむようにして引き寄せた。蓮もこれ以上は入れない。さらに漣が動きを続けると緒都はぎゅっと手で漣の背中を引きつけてのけぞった。
その背中の痛さを感じてもう漣も一気に上り詰めて行った。緒都の中へ、緒都の中心へと落ちて行く。 
 
 その夜遅く帰っていく漣を見送りながら緒都はつぶやいた。 
「本気、かな……」 
 自分のことか、彼のことなのか……。 
 
 漣のことだから毎日のように部屋へ来るかもしれないと思った緒都の予想は裏切られた。 
「君の料理は食べたいけれど、作るのは大変だろ? 緒都は僕の食事係じゃないんだし」 
 そう言って彼は緒都を食事へ連れだしてくれる。
そんな漣に時には腕をふるっておいしいものを食べさせてあげたいと思うから不思議だ。 
「作戦かしら」 
 緒都は疑うが漣はのんきなものだ。 
「今週は水曜日までは仕事の予定があって会えないけれど木曜日に会おう。その時は緒都の料理を食べさせてよ」 
 漣は楽しそうに言った。 
 
 水曜日、予定よりも早く仕事が終わって漣が緒都へ電話をしようかと考えていると高階から漣へ直接電話が入った。会いたいと言われる。 
 高階に連れられて来たのは会員制の高級クラブだった。もちろん高階が会員になっているところだ。漣もこうしたところへ来るのは初めてではない。席へ案内されて座るとピアノの生演奏が始まった。少し暗めの店内は程よく間接照明が配されてテーブル毎に席が隔てられている。 
「今日は何のご用ですか?」 
 漣が席へ着くなり聞いた。さすがに高階の誘いは断れずにこうして来ていた。 
「いや、君も忙しいようだがたまにはゆっくり話したくてね」 
 高階との約束がなければ緒都と会えるのに。漣は内心おもしろくなかったが相手が高階なので態度にあらわすわけにいかない。 
「ちょっとこのあいだ、君を見かけたよ」 
 高階の言葉に漣は首をかしげた。取引先の社長である高階と自分の気がつかないどこで会うというのだろう。 
「高輪のレストランにいたろう?」 
 先週、緒都と食事に行った。……見られた? 
 漣がちょっと緊張した。緒都のことを聞かれるだろうか……。しかし高階は酒が出てくる間、ホステスと話していてそれ以上話そうとしない。
その間に店内に流れていた音楽が変わり、ピアノの横で女性ダンサーが踊りを始めた。 
 強すぎないスポットライトを背後の空間に当てるようにしてあるのでダンサーの顔がよく見えない。銀色のポールが天井まで伸びていて、ダンサーはまるでそのポールをダンスの相手のように足をからめ腕を伸ばし体を支えてゆるやかに踊っていた。
黒い革風のレオタードを着た体の線がシルエットのように浮き上がって見える。ショートカットの髪がポールへ手を伸ばして握ったままのけぞるとぱっと一瞬広がって元に戻る。なんとなく、そのショートカットに見覚えがあった。 
 漣はじっと踊りを見つめていた。しなやかな筋肉のついた鍛えられた手足がダンサーの技量をうかがわせ、同時にプロのダンサーの持つ色気さえ感じさせる。腰をくねらせ、ポールに寄り添う切なさそうな踊り。 
 漣が踊りに見入っているのに気がついて高階が隣のホステスへ何か言っているが漣はそれに気がつきもしなかった。 
 あれは……ダンサーが立つ位置を変えて顔をあお向けるとその顔に光があたった。少女のようなその顔。 
 それは緒都だった。 
 
 漣が立ちあがった。一歩踏み出そうとするその時に高階が言った。 
「あの子だろう?」 
 何を言っているのか一瞬わからなかった。しかしすぐに緒都のことだと気がついた。 
「あなたは……知って、気がついていてそれで僕をここに?」 
「お父さんが心配しているよ。ああ、君、これをあのダンサーの子へやってくれ」 
 漣の問いには答えずに高階がとなりのホステスへチップを渡しながら言った。それだけ聞くと漣は飛び出すように店を出た。 
 緒都も漣がわかっているようだった。漣が立ちあがったときに一瞬目があっている。
ライトで 翳ったその瞳。……何も窺うことはできなかったが、緒都の瞳は翳っていた……。 
 
     
   
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