夜の雨 11
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目次
シャツについている赤い色。
なにかの事柄に違う面があることに急に気がついたときのように心臓がどきどきと脈打っている。確かめるのが怖いのにその赤い色をまじまじと見ずにはいられない。なにかの間違いだと思いたいのにストライプのシャツの襟についた赤い色は何度見ても消えない。
消えないが、赤い色はくっきりとついているわけではなく、指で擦りつけたようにかすれていた。襟の、ちょうど首の真後ろの部分だ。襟の内側ではなく表に出ているところで上着の襟に隠れてしまうところだ。
……こんなところにつくものだろうか。
シャツについた口紅のあとなんてテレビドラマくらいでしか見たことがない。でもなぜか首の後ろ側というのが不自然な気がして……。
「希和」
急に呼ばれてはっと我に戻った。秋孝さんが横に立ってわたしを見ていた。
「どうかしたのか」
聞かれても声も出ず突っ立っているわたしを見る秋孝さんの視線がちょっと不審げなものに変わった。慌てて手に持っていたシャツをぎゅっと握り締めてしまったが、横から秋孝さんの手が伸びてきてシャツをつかんだ。わたしの手からはがされるようにシャツが広がっていく。
シャツの襟を見た秋孝さんの表情が一瞬、明らかに変わった。彼はさっきわたしが見ていたのと同じところを見ていたが、黙ってシャツを洗濯機の中へ入れた。そして目の前の棚に置いてあった洗剤を入れると洗濯機のふたを閉じてスイッチを押した。
唖然として秋孝さんのすることを見ていたわたしになにも言わず、秋孝さんは背を向けて書斎へ戻って行った。
洗濯機は静かな水流の音をたてながら回転していた。秋孝さんが行ってしまうとわたしは足に力が入らないような気がしてキッチンに置いてあった小さなスツールに座り込んでしまった。
秋孝さんはなにも言わなかった。彼もあの赤いあとを見たはずなのに、それなのになにも言わないのはあれが口紅だってわかっているからだろうか。
よくわからなかった。彼には口紅がつくようなことに心当たりがあるのか、それともないのか。
額に手を当てて考えようとしても考えがまとまらない。そのうちに洗濯機が止まってシャツを取り出して見てみると、かすれたようだった赤いあとはあとかたもなく消えていた。
シャツとほかの洗濯物を干し、リビングへ戻るとやはり秋孝さんはそこにはいなかった。気持ちは落ちつかなかったが、それでも機械的に家事をしていると昼近くなって秋孝さんが部屋から出てきた。
秋孝さんはまるで平然としていた。いつもと変わらず、わたしのほうを気にするそぶりもない。
あれはなんだったのか。そう思えるほど秋孝さんの態度は変わらなかった。彼にはやましいことなどないということか。ときどき窺うように秋孝さんの顔を見てしまう自分のほうがやましいことをしているように感じられて、自分自身でもわけがわからなくなってしまった。
表面的にはいつもと同じ一日を過ごしてお風呂に入っていた。ゆっくりとお湯に浸かろうと思っていたのに心の奥が落ちつかない。
秋孝さんは一見厳しそうな人だ。表面の素っ気なさがそう思わせるのだろうが、思いやりのない人ではない。少なくともわたしにはそうだ。彼は自分のことを自慢したりするようなことはしないし、甘さや優しさは少ないけれどそれも彼の人柄だと思うし、自分を確立させている人だとは思う。でも彼はわたしと同じくらい自分のことを話さない人だ。
シャツの汚れは消えていたが、わたしの心からあの口紅のあとが消えてしまったわけではない。かといってあれは何だったのかと秋孝さんに聞けない自分がいる。昨日、秋孝さんがお義父さんのところへ挨拶に行こうと言ってくれたときはあんなにうれしかったのに、今はそれが遠いことのように思えた。
お湯に浸かっているのに体の芯が冷たく、なんだか体のだるさが戻ってきたような気がする。そういえば昨日までは風邪気味だった。手早くお風呂からあがって髪を乾かしたが、いざ寝室へ入ろうとしてわたしはどうしていいのかわからなくなってしまった。
秋孝さんは先に入浴を済ませて寝室にいる。いままでのことから思うときっと今夜も抱かれるような気がする。でも、シャツのことは。そう考えると足が動かなくなりそうだったが、入らないわけにもいかない。ベッドがツインだったら良かったのに。いまさら床に布団は敷けない。
寝室は暗く、ベッドで秋孝さんは仰向けで寝ていたが、わたしはそっとベッドの掛け布団をめくると秋孝さんに背を向けるようにしてなるべく端に横になった。布団の中が自分の体温で温まるのを待ってじっとしていたが足先が冷たくてなかなか温まらなかった。それでもやっと温まってきたと思って眠りに入りかけたそのときに秋孝さんの手が触れてきた。
パジャマの上から撫でる手に意識を引き戻されてはっとしてしまった。横向きになっている体を後ろへ引き寄せられて丸くなってしまったが、秋孝さんの体が後ろに同じ体勢でつけられていた。秋孝さんの手が上着の裾から入ってきて素肌に触れると彼の手の冷たさに思わず震えが走った。
秋孝さんの手が上へと這っていく。胴を丸めるようにしているわたしの胸の下側から手が入り先端に触れる。軽くつままれたそこが肌着の中できゅっと尖った。胸を触っていた彼の手が肌を下がっていくと今度はズボンの中へ入っていく。お尻の丸みを撫でるようにするっとショーツの中へ入ってきた彼の手はもう冷たくはなかった。差し込むようにお尻の割れ目を探られたが、恥ずかしさと横向きの体勢でわたしは足を開かなかった。
「希和」
横向きのままの顔に彼が口を近づけて低い声で言った。耳にささやかれた声を聞くだけで体がびくっとしてしまったが、わたしを抱く秋孝さんの腕は離れなかった。わたしが動いてしまったのを待っていたかのように秋孝さんの指がさらに両足の奥へと入ってきた。奥へと差し込まれた指に襞を押し広げられるようにされると、そこはもう……。
いや。
嫌なのに、言えない。
こんな体勢も、こんな気持ちで抱かれるのも嫌なのに。
それなのに濡れている自分が嫌なのに。
抱き込まれ、わずかに開いている隙間の中を抜き差しされるように彼の指が動かされる。動くたびに彼の指が小さな水音をたてる。もうどうしていいのかわからずに両手で顔を覆ってしまった。
「希和」
暗い中でもう一度名前が呼ばれた。わたしの内部を突き崩す声で。
「俺はやましいことはしていない。だから希和を抱く」
それからの秋孝さんはいつもより強引だったと思う。わたしをうつぶせにさせて足を開かせたが、わたしはもう逆らう気力もなくされるままだった。足を開かれたわたしの中を彼の指が這うと前後にさすられるたびに痛いほど敏感なところが擦られて腰がびくびくと揺れる。お尻をあげてしまい、暗い中でも恥ずかしい体勢をしてしまっているということがさらにわたしを濡らした。秋孝さんが入ってきて押される衝撃を枕に顔をつけて耐えながら彼の動く快感に迫り上げられていく。体を揺らされ、押しつけた枕で顔を隠しながらわたしは泣いていた。
こんなにも大きな快感を与えながら、なにも言ってくれない秋孝さんに。
そして、なにも言えない自分に。
翌日、わたしは熱を出して起き上がることができなかった。
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