副社長とわたし　３３

副社長とわたし

３３

　昼休みが終わって書類を広げた。パソコンのデータと照らし合わせながらの確認をしていると金田さんが少し遅れて銀行から戻ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま。瑞穂ちゃん、三上君から連絡はあった？」
「はい、さっきありました。資料をもらってこれから帰ってくるそうです。三時くらいには帰社する予定だと言っていました」
「そうか、ありがとう」
　やがて三上さんが出張から戻ってきて、たくさんの書類や資料を持ち帰っていた。重みで破れないように二重にした大きな紙袋にいっぱいだった。
「ふんっ！」
「あ、瑞穂ちゃん、そんな重い物持たなくても。俺がファイルするから」
「いいんです！　三上さん」
「そ、そお？」

「これ、お土産」
「きゃー、肉まん！　しば漬け！　ようかん！　ありがとうございます。でも、食べ物ばっかりですよ？」
「目につくものを買っていたらそうなった」
　孝一郎さんは金曜日の夜遅くにマンションへ帰って来た。お土産とともに。
「お疲れ様でした。お風呂入る？」
「悪いね。瑞穂に用意させて。もっと早く帰ってきたかったんだけど」
　そう言って孝一郎さんは上着を脱ぎ、ネクタイをゆるめてカフスのボタンをはずしながらわたしの前に立った。
「やっとキスができる。ただいま」
「おかえりなさい」
　もう一度言って、そしてキス。

「一緒に入ろうか？」
　わたしがパジャマではなく普段着を着ているのを見て孝一郎さんが聞いた。
「えっと、今日はだめなの」
　生理だから、と言わなくても孝一郎さんは察してくれる。
「あ、そうか。じゃあ、先に入ってくる。瑞穂は後でゆっくり入って」

　わたしがお風呂から出てベッドへ行くと孝一郎さんはまだ起きていた。彼が羽根布団をめくると布団の中は孝一郎さんの体温で温まっていた。ふんわりとした布団のあたたかさに包まれてベッドの中で寄り添った。
「こうしているだけならいいよね」
「うん……」
「しんどくない？」
「うん、あたたかい……」
　彼の胸のほうがもっとあたたかい。
「ね、瑞穂。この部屋に来たら？　来週は一週間出張だ。僕が出張でいない時でも瑞穂がここにいてくれると思うだけで安心できる」
「そうね。でも……」
　わたしは目を閉じた。
「もう少し。もう少ししたらね……」

　気にしなければいい。
　総務課長の言ったことなんて。

　だってわたしはやましいことなんてしていない。島本さんのことも、孝一郎さんのことも。あの人が勝手に言っているだけ。気にしなければいいんだ……。

　月曜日から孝一郎さんはまた出張へ出かけてしまったけれど、営業所には金田さんや三上さんはいる。大丈夫。そう思っていたのに金田さんと三上さんから木、金曜日に出かけると言われてしまった。
「そうですか……」
「なに？　木、金に何かあったかな」
　金田さんが首を傾げた。
「瑞穂ちゃん、寂しそうな顔する相手が違うよ。所長や俺にじゃないでしょ」
　三上さんが誰もいない向かいの部屋を見てにこにこしながら言った。
「えー、三上さんがいないと静かでいいですよ」
「なにぃ？」

　そうだよね、総務へ行く用事なんてそれほど多くない。たとえ行ったとしてもわたしが課長と会う用事なんてない。取りあえずあの課長と顔を合わせなければいいんだ。そうは思っていたけれど、水曜日の昼休み、営業所のドアがノックされてびくっとしてしまった。心臓をぎゅっとつかまれたかと思った。

「あ……、島本さん」
　ガラスの向こうから島本さんが顔を見せている。ほっとしてドアから出た。
「山本さん、カフェテリアに行かない？　忙しい？」
「う……ん、ちょっと」
　ちょうど外へ出ていた三上さんが戻って来たので、交代をしてもらって営業所を出た。島本さんと一緒に下の階にあるカフェテリアと呼ばれている広い休憩所へ行くためにエレベーターに乗って降りた。
　エレベーターから出たところはけっこう混んでいて、わたしたちはちょっと立ち止まった。まわりにはたくさんの三光製薬の社員たちがいた。それなのに。

　一番、会いたくない人がいた。

　こちらへ歩いてくる総務課長の歩き方がわざとらしくゆっくりになった。
　……だけど、島本さんもいる。まわりには他の人もいる。すれ違うだけ。そう思って平静に歩いた。

「今日は直通エレベーターじゃないんだ」
　通り過ぎながら言われた言葉。
　あてこすり。皮肉。わたしにしかわからない意味だった。
　
「山本さん？」
　気がつくと島本さんがわたしを心配そうに見ている。
「あ、……なんでもないです」
「どうしたの？　さっきのなんだったの？　課長の言ったこと」
「さ……あ」

　わたしは孝一郎さんが一緒の時だけだけど直通エレベーターを使っている。使っていいとは言われたけれど、ほかの誰も使っていないエレベーターだ。ほかの人たちには知られたくなくて都合良く使っていた。使っていたけれど。

　なにも言えなかった。言える状況じゃなかった。
　あの言い方。あの皮肉。

　……男の人にもこんな意地悪があるなんて。
　どうしてあんなこと言われなきゃならないの。なんで？
　腹が立つ。腹が立って。

　そして悲しい。

　大きな会社で人が大勢いればいるほどこうなるのだろうか。わたしは今までそういうことを知らないできてしまった。

　いいことばかりじゃないって、お父さんが言っていた。それはこういうことなのだろうか。
　孝一郎さんと結婚するっていうことは、こういうことなのだろうか……。

「六時か。早く着いたな」
　金曜日に社へ戻ってくると時間を見た。この時間ならまだ瑞穂は会社にいるだろうかと考えながら稲葉と一緒に上がって行くとエレベーターを出たところで浅川が待っていた。
「おかえりなさいませ。副社長、ちょっと」
「なんでしょうか」
「総務の島本が来ておりますが」
「島本さん？」
「はい。秘書室に待たせてあります」
　浅川がそういうのを聞いて稲葉が俺の顔を見ている。稲葉の視線を感じながらもう一度腕時計を見て時間を確かめた。
「会おう。瑞穂さんは？」
「先ほど帰られました」
　それを聞いた稲葉が先に副社長室へ向かって行った。
「島本さんを私の部屋へ通してください」
「かしこまりました」

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