副社長とわたし 26
副社長とわたし
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「総務の配置転換希望の書類が出ていませんね」
そう言うと、向かい合って座らせた総務部長と課長がちらりと目を見合わせている。
「本人に確認しました。総務の女性二名が配置転換の希望を出したのに、どうして私に出ていないのですか。私へ出すように言ったはずです」
総務部長の目が落ちつかなげに動いている。
「それは、その社員の仕事の現状と能力を考えて判断しました。総務でのグループ化で担当の仕事が柔軟化されればわざわざ配置転換をしなくともグループ内の仕事の配分で」
「では、グループ内での配分の報告は?」
「そ、それは、これから」
「グループリーダーがすべて男だというのはどういうことですか」
「それに気がつかなかった私も私だ。人のことは言えませんね。女性社員の感覚とずれていたと言われてもしかたがない。トップダウンだけでは女性社員はついてきませんね」
「トップダウンというならば、副社長になら女子社員も喜んでついていくことでしょう」
「部長、今の言葉は聞かなかったことにします。私についてこさせるのではなく、上司であるあなたや総務課長についてこさせるようにと言っているのです」
「そんなことをしなくても仕事はまわっているではありませんか」
「『漬け物』が何人いても? 待っていても彼女らは退職などしてくれませんよ」
総務課長へ向きなおる。
「課長、グループ分けの際に配置転換の書類を出した社員がいたかどうか、私がそれを確認した場にはあなたもいましたね」
「……はい」
「あなたも部長と同じ考えだということですか」
総務課長が下を向いたまま答えない。
「書類を提出しなかったのは重大な責務違反だ。単なるミスとは思えません。部長、申し開きがないようでしたら、あなたには異動をしていただく。総務課長は訓告処分とします」
「課長は訓告だというのですか」
「あなたも上司らしくない。部下が訓告で済むのならそれを喜ぶべきです。異動をさせることはいつでもできます。が、それが私の目的ではありません。課長にはもう一度グループ化のやり直しを命じます」
「私は部長職です! 処分は社長も承知なのですか。副社長の権限だけでそんなことは」
「部長もご存知の通り、今回のことは社長以下重役の承認を得て行っていることです。私の独断ではない」
「な……だが、社長は」
総務部長は言いかけてやめた。わざとらしく座り直して体を前へ乗り出した。
「副社長。失礼だが、あなたは総務をご存知ない。私から社長に申し上げましょう。副社長にはもっと表舞台で活躍の場を与えるべきだと。それこそ副社長にふさわしい。そうでしょう? 副社長だって総務の改革などやりたくてやっているのではないのでしょう?
私から社長にぜひ申し上げましょう」
「いいえ、その必要はありません」
片手を上げて総務部長を制した。
「部長、あなたは何か思い違いをされている。総務の改革が私の実績作りだとか、やりたくもないのにさせられていると思っておられるようだが」
「それは……だが、社長は」
「社長に話すのならどうぞ。だが、この件の責任者は私だ。他に言いたいことは?」
苦々しげに立ち上がるとお辞儀もしないで総務部長が部屋から出ていき、あとに課長が続いた。
「部長」
「なにが、なにが副社長だ。若造のくせに!」
「部長」
「社長に話してやる。私を簡単に異動させられると思っているのか。副社長なぞ、所詮顔だけだ。打つ手は何かある」
「部長」
「それまで君もせいぜいがんばることだ。君まで異動させたら総務をまわして行けない事実を副社長もわかっているようだからな」
今日はブラインドを開けておいたが、わたしはなるべく外から姿を見られないように営業所の隅のほうで仕事をしていた。それでも時々は副社長室が目に入ってしまい、ガラス越しに副社長室から出てくる人が見えた。総務部長と総務課長だった。声は聞こえなかったが、ふたりは副社長室へ背を向けながら怒っているような表情だった。
なんだか尋常な雰囲気ではなかったような気がして、デスクの上の本棚の陰に隠れるようにして仕事をしていた。
それからしばらくして、また副社長室から出てきた人を見てわたしは思わず椅子から立ち上がってしまった。
「あ……!」
副社長室から出てきたのは島本さんだった。わたしと目が合う。
島本さんの後ろには浅川さんが付いていたが、それでも島本さんはわたしへ向かって小さく会釈をした。島本さんの顔は泣いたあとのような顔だった。
常盤さんを見た。
ガラスの向こうの常盤さんは島本さんを送り出すようにデスクの前に立っていた。
常盤さん……。
常盤さんは島本さんとなにを話したの?
島本さんは常盤さんにあのことを話したの?
今、話すことなどできなかったけれど、わたしはじっと常盤さんを見ていた。常盤さんも動かずわたしを見ている。彼の表情は変わらなかった。まっすぐに立ち、ただ平静な表情でわたしを見ていた。
ノックの音がする。気がつくと稲葉さんが営業所のドアをノックしていた。わたしが稲葉さんに気がつくのと同時に常盤さんの視線がはずされた。
「はい」
わたしがドアを開けると稲葉さんはそのままそこで言った。
「常盤副社長からのご伝言です」
「……はい」
「瑞穂さんに心配は無用だから、と」
心配は無用。
「……はい」
「副社長へなにか、ご伝言は」
わたしを見る稲葉さんの声にいつもはない案じるような気配を感じて小さく頭を下げた。
「……いいえ。ありがとうございました」
稲葉が去ると瑞穂がこちらを見ていた。立ったまま、泣きそうな目をしてじっと俺を見ていた。
でも瑞穂は会社では泣いたりしないだろう。
ねずみ。
働き者の田舎のねずみ。
瑞穂が怒っていたのは、俺に対してだったのかもしれない……。
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