副社長とわたし 25

副社長とわたし

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25


 瑞穂からはあれから電話もメールもない。
 今日はいつも通り出社して仕事をしているようだが、トーセイ飼料の部屋はブラインドが閉じられたままだ。

 キスをした時。
 腕を押す力、それが瑞穂が押しているのだとわかって唇を解くようにゆっくりと顔を離した。
「いや……」
 瑞穂がこういうことを言ったのは初めてだった。好きだと言ってくれたあの日から、恥ずかしがることはあっても拒否されたことはなかった。むしろ瑞穂は素直すぎると思えるほどだったのに。
 あの時の瑞穂は何か変だった。言っていることもよくわからなった。疲れていたのかもしれないが、瑞穂は今まで感情的に揺れることなどなかったのに。

 クリスマス・イブには指輪を贈ろうと思っていた。そして結婚してほしいと言うつもりだった。瑞穂は驚くだろうけど、それでもうんと言ってくれるだろうと思っていた。一緒に指輪を選びに行って、それから瑞穂の両親にも挨拶に行きたいと言うつもりだった。

 それなのに。
 瑞穂の様子がおかしかったのはなぜだ?
 仕事のときは変わらないように思えた。

 だが。

 トーセイ飼料の部屋ブラインドは閉じられたままだった。

 …………
 なぜだ。なぜ、ブラインドが閉じたままなんだ?






「――副社長」
 じっと向かいの部屋を見ていてノックの音に気がつかなかった。
「書類をお持ちしましたが」
 浅川の声にやっと視線を戻した。 
「浅川さん」
「はい」
「トーセイ飼料さんのブラインドが閉じていたのは、いつから?」
 浅川がトーセイ飼料のほうを振り返って見ている。
「月曜日からですね」
 それはわかっていたが。
「副社長、失礼ですが瑞穂さんとケンカでもされたのですか」
 あれはケンカと呼べるものなのだろうか。
「いや。でも、どうして?」

「副社長、じつは先週のことですが」
 そう言って浅川が話しだしたのは俺が留守のあいだに総務の女性がひとり、このフロアへ訪ねてきたということだった。
「総務の女性が?」
「はい。トーセイ飼料さんへ用があると言っていましたが、どうも副社長を訪ねてきたような様子でした」
「その人は瑞穂さんも知っている人だろうか。瑞穂さんと仕事上で関係のある人?」
「はい」
「浅川さん、それが総務の誰かわかりますか」
「はい。備品発注を担当している島本さんです」

「瑞穂さんはそのことは何もおっしゃらなかったのですか」
「……うん」
「瑞穂さんらしいですね。でも、わたしはもしかしたら瑞穂さんが島本さんのことを副社長へおっしゃられて、それでなにかあったのかと思いました」
「どうしてそう思うのだね」
「それは……」
 浅川が少し迷ってから口を開いた。
「瑞穂さんがおっしゃらないのでしたら、これは瑞穂さんとは関係ないということでお願いいたします。あの後、わたしは島本さんのことが気になりまして総務の同期に聞いてみました」
 …………
「それで?」
 話の先を促した。それは浅川に話せと命じたのと同じだった。

「本人から聞いたのではないのですが、島本さんは配置転換希望の書類を出したらしいと。提出したとすれば、総務ですから総務課長へ提出したはずです」
「……なに」
 記憶を確かめ、念のためにキーボードを叩き保存しておいたファイルをひらく。レビュー後の配置転換に関するファイルの中にはどこにも島本の名前はなかった。総務からはひとりも出されていない。ひとりも。
 パソコンの画面を見る。その向こうに見えるトーセイ飼料のブラインドは閉められている。

 島本は瑞穂になにを言ったんだ?

「瑞穂さんはなにもおっしゃらなかったのでしょう? 島本さんに聞いてみたらいかがでしょうか。それがおできになるのは副社長だけです」
「……浅川さん、今日の予定はすべてキャンセルして下さい。午後から社長と一緒に出かける件は社長おひとりでとお願いしてください。それから稲葉を呼んで下さい。今日は帰りが何時になるかわかりませんが、そのつもりで」
「はい」


 昼休みの時間が始まっていたが、社員たちがそれぞれに自分のデスクから離れて出ていく気配もここには届かない。
 浅川が重役用の会議室のドアをあけた。開けたドアの向こうで浅川に伴われてきた島本が驚いて棒立ちになっている。
「島本さん、どうぞ」
 手でテーブルをはさんだ椅子を示した。それでも島本は動けないように立ったままだった。浅川が彼女の背を押すように一緒に入ってドアを閉めた。







「はい、トーセイ飼料でございます」
『瑞穂さん』

 電話の声にはっと振り向いた。ブラインドを閉じていたことも忘れて。
 わたしが開けられなかったブラインドの向こうの副社長室から孝一郎さんは電話をしている。

「は……い」
『どうしてブラインドを閉じたままにしてあるの?』
「それは……」
『なにか気になることでも?』
「あの、べつに、なんでもありません。開けるのを忘れていました。それだけです。すみません」
『いや、謝らなくてもいいのだけど。それなら開けておいてもらえるかな。僕は瑞穂の姿が見えないと寂しい』
「あの……」
『明日は開けておいて。いいね、僕のためにそうして』


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