副社長とわたし 23
副社長とわたし
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23
翌週、月曜日の朝。
電車の駅を出たところで前を歩いている島本さんの姿を見つけたのは偶然だった。
あのこと、忘れていたわけじゃない。内心気になっていた。でも、聞く機会もなかった。
「島本さん、おはようございます」
「あ、山本さん」
振り向いた島本さんは立ち止ってわたしを見た。そして、わたしが尋ねる前に早口で話しだした。
「わたし、もう副社長室には行かないから。心配してもらったけど」
「え」
「なんだか失望しちゃって」
「失望って、どうして」
「副社長にお話しするんじゃなかったんですか」
「そう思っていたけど、総務で課内の組織変更がされたのよ。課内で仕事ごとにグループを作って、これからはグループ単位で仕事を調整していくってことになったんだ」
「じゃ、もしかして島本さんの仕事も変わったんですか? 希望の仕事に」
「変わらない。ほとんどの人が変わらないわよ。変わるわけ、ないじゃない!」
島本さんの強い言い方に驚いた。吐き捨てるような言い方だった。
「それは……」
「グループごとにリーダーを決めてって、それはいいわよ。でもそのグループリーダーがみんな男性社員なんだもの。リーダーになってもおかしくない女性社員だって何人もいるのに。グループリーダーにするために男性社員をひとり動かしただけ。これじゃ前と全然変わらない。ううん、前より悪いくらい。そのグループリーダーを決めたのは課長だもの。女性社員と協力してお互いに引き立ててこそのグループ化かと思っていたのに」
「島本さんは……」
「同じよ。以前と。みんなだってそう。なーんだって言っている」
「副社長が乗り出してなにかしてくれるってみんな期待していたのに。わたしだけじゃなくて配置転換の希望を出した女性は他にもいるのに、今回のグループ化ではぜんぜんそれにも関係なかった。検討してくれたかどうかもわからないけれど、副社長の答えってこれなのかって。期待持たせておいて」
「そんな……」
「ごめんね。関係のない山本さんにこんなこと聞かせて。でもそういうことだから、もうこの話は忘れて」
島本さんは足早に歩き去っていった。
「瑞穂ちゃん、ここの数字の訂正がされていないよ」
「あ! すみません。すぐにやり直します」
金田所長に出荷表を戻されてパソコンと突き合わせて訂正を入れた。訂正したと思っていた数字が直っていなかった。
「瑞穂ちゃん、俺のこの前の出張旅費の精算、できてる?」
「はい。あ……、現金」
パソコン越しに三上さんに言われて気がついた。午前中に銀行へ行かなければならなかったのに、まだ行ってない。
「すみません、まだ銀行へ行ってませんでした。今から行ってきますので」
わたしはあわてて立ち上がった。金田所長も三上さんも午後から出張で出かけてしまう。銀行は近くだけれど、急がないともうすぐお昼になってしまう。
「今から?」
金田所長に尋ねられた。
「じゃあ、私が行ってこよう。瑞穂ちゃんはその訂正のほうを済ませたらプリントアウトしておいて」
「でも」
「三上君、ついでに俺たちの昼飯を買ってこようか。弁当でいいかい?」
「はい。俺には大盛りのやつをお願いします」
金田所長が笑いながら出ていったが、でもわたしは笑えなかった。
午前中の金田所長がいるうちに出荷表を出来あがらせなければならなかったのに。営業所を無人にするわけにいかないから、ふたりがいるうちに銀行へ行ってこなければならなかったのに。
金田さんが銀行へ行っているあいだにわたしは集計の訂正のほうへ集中した。間違いがないかどうか小計や合計なども何度も見直してからプリントアウトした。こんな初歩的なミスをするなんて恥ずかしすぎる。それを金田所長の机の上に置いておき、金田さんが戻ってきた時にはすでに昼休みになっていた。
お弁当を食べるふたりにお茶を淹れて出した時だった。金田さんはお弁当を食べる前にさっきの出荷表を見ていた。
「瑞穂ちゃん、グラフが直っていない」
「えっ」
どうして。数字に連動しているはずなのに。
「数字は間違ってないんだけどね、集計の計算式がおかしくなってない? そっちをいじってない?」
「すみません、もう一度確認します」
「みーちゃんにしては珍しいね。どうかしたの?」
金田さんの言葉に三上さんも食べ始めたお弁当の箸を休めてわたしを見ている。
「なんだか顔色が悪そうだけど、具合でも悪いのかい? 大丈夫?」
心配してくれる金田さんにわたしは無理に笑った。
「そんなことありません、大丈夫です。すみません、プリントできましたので確認お願いします。何度も申し訳ありません」
「もし具合が悪いようなら早退してもいいからね。いいね」
「はい、ありがとうございます。でも大丈夫です。あとは留守番だけですから」
「そう、じゃ何かあったら連絡して。行ってくるよ」
金田さんと三上さんは昼食を済ませるとあわただしく出かけて行った。ふたりだって忙しいのに、わたしのミスを怒るどころか……。
お弁当を食べる気にもなれず、わたしは部屋のブラインドを閉じてしまった。
「残業時間はあまり変わらないようですが」
「グループ化してまだ間がありませんから。当初はどうしても慣れない者がおりますし、年末が近いということもありますので、それを過ぎればだんだんと落ちついてくるはずです」
「そうですね。では来月以降の状況をまた報告してください」
報告を持ってきた総務部長が部屋を出ていった。その時にガラス越しに見える向かいのトーセイ飼料の部屋のブラインドがすべて閉じられていることに気がついた。
夕方になってもブラインドは閉じられたままで、いつのまにか部屋の明かりも消されていた。
「帰ったのか」
珍しいことではない。瑞穂は会社では決して必要以上にこちらに接してはこない。
彼女にとってふたりのことを周りに知られたくないという気持ちもわかる。仕事にまじめな彼女らしい。
「もう言ってもいいのだけれどな……」
あのことを。
クリスマスに言ったら瑞穂はどんな顔をするだろうか。あのねずみちゃんがまた驚くのは予想できる。瑞穂の驚く顔が見たくてやっていると思われるかもしれないが……。
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