副社長とわたし 14

副社長とわたし

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「瑞穂さん、お昼いっしょに食べましょうよ」
 浅川さんは最近よくわたしのところへやって来る。わたしがいつも昼休みでも営業所から離れずにいるのを知っているので、浅川さんがわたしのところへお弁当を持って来るんだ。うちの営業所は親会社の明研製薬で間借りをしていたときから来る者拒まず、というよりもあそこでは仕切りがあるだけで拒めなかったので今もオープンだ。
 副社長は昼休みも部屋へ戻ってきていなかった。

「総務もひと通りレビューが終わったから、あとはレビューが残っているのは秘書課だけよ」
「そうなんですか」
 この頃思うのだけど、いくらグループ内の会社だからといって三光製薬の内部でのことをわたしみたいな間借り会社の社員に話してもいいんですかね。
「あら、瑞穂さんは副社長の動向を知りたくはないの?」
「……知りたい、ですけど」
「素直ね。大丈夫、会社としてまずいことは言わないから。リークじゃないし」
 そういって美人な浅川さんは余裕でお弁当のごはんを口へ運ぶ。
「それに女性社員の待遇とか仕事とか、あなたにとっても気になるでしょ? わたしにも切実な事なのよ。いずれは子どもも欲しいし」
 そうだった、浅川さん、半年前に結婚した新婚さんだって言ってた。
「ご主人、どんなかたですか」
「同じ会社。と言ってもわからないでしょうけど」
「えー、そうなんですか」
「秘書課の女性社員は今まで結婚退職している人たちがほとんどなのよ。女性秘書って若くてキレイでっていうイメージが抜けないのよね。女性秘書にまかされる仕事も限定されているし」
 そうなんだ。
「うちの会社は育児休業制度が整えられているけれど、実際には利用する人はほとんどいないわね。制度としてあってもそれを利用しづらい雰囲気があるっていうか、そういうところを常盤副社長になんとかしてもらえないかとみんな密かに期待しているわけよ」
 育児休業制度か。そんなのわたしは考えてもみなかった。うちの会社にはその制度ってあるのだろうか。
「かといってそういう制度と引き替えに女性社員に仕事最優先という考え方を押しつけられるのも困るわね。営業のベテラン女性社員なんて女を捨てている人しか残ってないなんて今の時代あり得ると思う?」
「常盤副社長はそれも変えようとしているんですか」
「かもしれない。でも、それはとても時間のかかることね。でも、やって欲しいわ」
「レビューのこと、皆さんはどう思っているんですか」
 浅川さんはちょっとため息混じりに答えてくれた。
「あの副社長だから気まぐれとか人気取りとか陰で言われちゃってるわね。瑞穂さんも耳にしたことあるでしょ? まあ、すべてのレビューが終わったわけではないし、今のところは社員たちも重役たちもお手並み拝見って感じでかまえているみたいね」

 最近、副社長室への人の出入りが多いように思える。
 好意的な話をしたらしく笑顔で部屋を出ていく人たちに対して厳しい表情で出てくる人もいる。そんな外の様子もわたしは見るだけで、常盤副社長がなにをしようとしているのか、わたしにはわからない。
 だけど……。

 お手並み拝見。

 今までとは違ったことをしようとしている人に対して出方をうかがっている。まあ、せいぜいがんばってよ、みたいな。そんなまわりの空気なんだ。
 これが大会社ってことなのか……。





『瑞穂ちゃん、ご苦労様、助かったよ。私たちはこれから直帰で帰るから瑞穂ちゃんも上がって』
「はい、そうします。お疲れ様でした」
 月末の注文を今日中に入れて欲しいという金田所長の指示で残業をしていた。ほかの仕事をしながら金田さんからの連絡を待って、やっと注文が入った時にはもう夜八時を過ぎていた。
 ここのところ、うちの営業所の売り上げはかなり厳しくて、金田さんも三上さんも取引先を飛び回っている。でも思うように売り上げが伸びなくて、月末で週末の今日はどうしても注文を入れなければならなかった。ともかく無事に注文が入って良かった。

 帰り仕度をしてバッグとコートを持って営業所の部屋を出ると、いつもはわたし以上に帰るのが遅いのに今日の副社長室はもう暗かった。
 そうだよね、たまには早く帰らなきゃね。わたしから見たってこのところすごい働き方だったもの、あの副社長。

 エレベーターホールへ行き、ボタンを押してエレベーターが来るのをぼーっと待つ。待ちながら、もう誰もいないからちょっと気を緩めてわたしは声に出して言わせてもらった。
「疲れた……」
 なんだか疲れた。慣れない東京でのひとり暮らしも、このビルでの仕事も。誰かの前でこんなことは言えないけれど。金田所長、三上さん、……そして、副社長。
 たまには早く帰ってください。そしてゆっくり休んで、また手を振ってください。わたしも今度は手を振りますから……。


 その時だった。
 エレベーターの音がして顔を上げたら、横からすっと腕が伸びてエレベーターのボタンを押さえた。
「遅くまでご苦労様、瑞穂さん」

 うわっ、副社長!
 びっくりした。いると思わなかった。今日はもう帰ったと思っていたのに。

「どうしたの? 驚かせた?」
 驚いているわたしをこの人特有のにこやかな笑顔で見ている。そう、この笑顔。
「い、いいえ、もうお帰りになったのかと思っていたものですから。すみません。副社長こそお疲れ様です」
「今日は遅いんだね」
「はい、月末ですので」
「それ、前にも聞いたね。そうだと思って待っていたんだ。こうでもしないと瑞穂さんを誘えないから」
 え……。
「このところ瑞穂さんの顔も見られなかったからね」
「……お忙しいんでしょう?」
「忙しい。大事な仕事だから」

 わたしにはわからない仕事。知るすべのない仕事だ。常盤さんは副社長なのだから。

「でも、どんなに忙しくても自分のことまでおろそかにするつもりはないよ。僕も瑞穂さんも今日の仕事は終わった。よかったら、これから食事を一緒にしてもらえませんか」

 その人の顔はやっぱりほほ笑んでいて。
 やさしい眼差しはからかっているようにもふざけているようにも見えない。
「答えようがない? それともやはり予告が必要だったかな?」
 ほほ笑む副社長にわたしはゆっくりと首を振った。

「予告は……必要ないです」


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