副社長とわたし 12

副社長とわたし

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12


「本社の事務系社員のすべてのレビューをおまえがやるだって? なにを考えているんだ」
「内務社員のモチベーションを高めることが必要です」
「内務社員の半数以上は女性だぞ。それに総務や経理の社員に目標達成したかどうかの検証(レビュー)の面接をやってどうするんだ。そういうのは人事や総務の部長にまかせればいいだろう。それとも女性社員の受けを狙っているのか」
「それはつまらない冗談ですね。でもそうだと申し上げたら?」

 社長室の部屋の中で、久々にここの社長室へ来た父親である社長が座るデスクの前へ立っていた。
 社長は俺がデスクの上へ置いたレビューに関する計画書に触りもせずに置いたままだ。

「女性社員の意識向上なしにこれからの会社はやっていけないと思います。男女の性差を考慮するにしても社長のようなワンマンが女性社員の支持を得ているとは思えません」
「だが会社を動かしているのは男だぞ」
「その意識は変えたほうがいいのでは」
「確かにおまえなら女性社員の支持は楽勝だろう。母さん譲りのその顔でな。だからそんなことを思いついたのか」
 ふんと、鼻先で笑われるようにされて。

「いいえ。顔は母親似ですが、性格は父親似ですから」
「……憎まれ口をたたくな」

「おまえが社内業務、総務を中心とした社員の仕事の効率化と能率化の向上という提案をするとはな。最も地味で成果のわかりにくい部門だぞ。研究開発や営業部門の提案をなぜしないんだ」
「それは社長であるあなたの仕事でしょう」
「だが、将来の社長ならば実績が必要だと言ったはずだ。今の世の中では同族会社でも跡取りが簡単に経営者をやっていけるわけがない。だから目に見える実績が必要だと言っているんだ。顔だけで社長になれると思うなよ」
「だからこそです。顔がいいのは自覚しています。それを利用する手も知っています。けれども社員全員の、それも地味な部門の社員の質を上げて維持することこそ長い目で見ても必要なのではないでしょうか。研究部門でも営業部門でもこれからは女性社員の数ももっと増えていくはずです」
「だが、それは人事や総務のやることだ」
「それが出来ていません。とにかく最初の一回は私にやらせてください」

「まったく、おまえは」
 それはいまいましげにしか聞こえなかったが。

「もう一度聞くが、どうしてそんなことを思いついたんだ」
「そうですね、働き者の田舎のねずみが来たから、とでも言っておきましょうか」
「ねずみ?」
「都会に惑わされないねずみ、ですよ」

 社長である父は珍しくため息をひとつした。
「意味のわからんことを言って。おまえは私がして欲しいということをしないな」
「いいえ、そんなことはありません。会社は人だと、すなわち社員だと社是にもあるではないですか。あれは重役や営業や研究に限ったことだとでもおっしゃるのですか。違うでしょう。私たちが顔も知らない社員でも三光製薬の社員です。そういう社員たちによってこの会社は動いているのですから」
 社長は小さくトンと机をたたいた。
「それがおまえのやりたいことか」
「そうです」

「……重役会議へかける。人事、総務は課長クラスも出席させろ。医は仁術なり。会社もしかりだ。好きにしろ」
「はい」
「おまえ、顔だけかと思ったら」
「……ありがとうございます」





 社長室を出て副社長室へ戻り、席に着いた。
 廊下の向こうにはトーセイ飼料でそこにはいつもの山本瑞穂の働く姿があった。自分の真面目さがごく普通のことだというように仕事をしている山本瑞穂がいる。

「稲葉」
「はい」
「田舎のねずみはやはり最後には田舎へ帰ってしまうのかなあ」
 見ている向こうでは立ち上がってキャビネットからファイルを取り出している山本瑞穂がいる。
「帰って欲しくないから誘ったのでしょう?」
「そうだが、断られた」
「もっとわかりやすい方法でやったほうがいいと思います。あなたみたいなやりかたは彼女には通じませんよ。それにただでさえあなたは誤解されやすいのですから」
「この顔のせいで?」
「いいえ、性格で」
 わざとにらむが、稲葉は知らんふりを決めつけている。

 ――都会にやってきた田舎のねずみは都会のねずみが出してくれたごちそうに、にぎやかな町の様子にびっくり。夢中でごちそうを食べようとしますが、でも都会には怖いものもあって――。

 くるくるとよく動く、働き者のねずみちゃん。
 俺の差し出した手にも、誘いにも、そんなごちそうに乗ることもなく。
 都会に惑わされない、しっかり者のねずみちゃん……。



「はい、トーセイ飼料でございます」
『瑞穂さん、常盤です』
 その声に思わず受話器を耳にあてたまま振り向くと、廊下の向こうの部屋でわたしと同じように耳へ受話器をあててこちらを見ている常盤副社長と視線がかち合った。

『瑞穂さん、この前は急に誘って済まなかった。でもこれから仕事が忙しくなるので、その前に瑞穂さんと話がしたかったんだ。しばらくは話をする暇もないと思うのでいつとは言えませんが、必ず時間を取ります。その時には食事に付き合ってもらえますか』
「あの……」
 常盤副社長を見たまま受話器をぎゅっと握りしめた。
「どうして、……わたしなんでしょうか」
『それは』
 常盤副社長がほほ笑んだ。まるでテレビ電話のようにガラスの向こうに笑顔が見える。

『瑞穂さんが好きだからです』


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