副社長とわたし 9
副社長とわたし
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常盤副社長がなんだか物珍しそうにガラスビンを手にして魚のエサを眺めている。そりゃ、そうか。
「特徴というのは?」
「魚によっては水面に浮いているエサを食べるものや底に沈んだものを食べるものとか、習性が違うそうなんです。ですからそれに合わせてエサも浮くものや沈むものなどがあります」
「そうか。エサといってもいろいろなんだね」
感心してくれている。製薬会社とは畑の違う仕事だからだろうけど、でも口実にしてもこうして聞いてくれるなんて、ちょっとうれしい。
「これ、開けてもいいかな」
「あ、待ってください」
常盤副社長がビンのふたを開けたそうにしているのを止めた。
「ん? 開けないほうがいいの?」
「匂いがかなりしますから」
「どんな?」
「えっと、金魚のエサみたいな、あれを強力にしたやつだと思っていただければ」
「金魚のエサ? って、どんな匂いだったかなあ」
少しだけふたをずらすようにして常盤副社長が匂いを嗅いだ。
「うーーん。瑞穂さんの言ったとおりだ」
だから言ったのに。口がへの字になってますよ、副社長。
「じゃあ、このエサがあれば魚を飼うことができるのかな。水槽の中でタイやヒラメとか」
タイやヒラメ?
「ずっとこのエサで養殖してきたものならいいかもしれませんが、魚を捕まえてきていきなりこのエサをあげても食べないと思いますよ」
「それはどうして?」
「わたしも所長から教えてもらったのですが、魚っていつも食べているものの味をちゃんと覚えているそうなんです。それに天然物を捕まえてきても警戒心が強いので養殖用のエサなんて見向きもしないそうです」
「ほう」
「うちはウナギのエサも扱っているんですが、養殖ウナギなんて小さい時に最初に食べたエサと同じでないと食べないそうですから、最初のエサが肝心なんだそうです」
「へえ、そうなんだ。知らなかったなあ」
副社長がなんだか熱心に聞いてくれているので、ついべらべらと話してしまった。じつはこの話は妙に男の人、それもおじさん受けする話なのだ。おじさんって釣りとか好きな人、多いから。常盤副社長はおじさんじゃないけど、やはりこの人も男の人だったのね。
「それにしても瑞穂さんはよく勉強しているんだね。こんな話が聞けるとは思わなかったよ」
え……。
「そんなことありません。わたしの知っていることはみんな所長に教えてもらったことですから」
それを聞いて常盤副社長がにこっと笑っている。
これがいけないのだわ、この人のこんな顔が。おまけにさりげなく褒めてくれるなんて。
ちょっと自分でも頬が赤くなったのがわかった。
「ところで、今日の本題だけど」
はい、本題?
え? と思って見るとくすりと副社長が笑った。
「瑞穂さん、どうして直通エレベーター、使ってくれないの?」
……えーと。
いくら使っていいと言われたからって、はい、そうですかと使えるわけがない。でしょう?
「すみません、なんだかそれは申し訳なく思えてしまいまして。でも、急ぎの時などにはお言葉に甘えて使わせていただきますので」
「そう。いつでもどうぞ」
そう言った副社長のなんだか含みのあるほほ笑み、それって? でも、あの、わたし、べつに変なこと言ってないよね。どうしてそんなふうに笑うのかわからない。
それにただでさえ綺麗な顔なのだから、目の前でそういう顔しないでください! 女のツボを刺激してどうしようってんですか。
「副社長、そろそろ」
気がつかなかったが、いつのまにか稲葉さんがドアの外で待機していた。常盤副社長が帰った? と尋ねると、はいと答えた。それはあの新庄さんのこと?
「ありがとう、瑞穂さん。とても面白い話だった。また話を聞きたいな」
「はい、ありがとうございます」
向かいの部屋へ戻る副社長をお辞儀をして見送った。
常盤副社長がここにいたのはほんの三十分くらいのこと。そして副社長が魚のエサの匂いを嗅いだ顔を見たのは、たぶん……わたしだけ。
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