六月のドレスは花嫁の色
六月のドレスは花嫁の色
目次
「あー、迷っちゃう」
ずらりと並べられたウェディング・ドレス。まるで白い洪水のように並べられたドレスは明るい照明に照らされて青白いシャープな白や薄い布地の透き通る白。
オフホワイトからシャンパンカラーのような微妙な色までさまざまな白いドレスはどれもステキなデザイン。だけどこれってモデルさんが着て似合うデザインじゃないの? 華やかなヒラヒラのドレスも、大人なオフショルダーのドレスも普段の服とは違うってわかるけれど、わたしが着てもいいの? って感じ。
「最初はどんなものがお好みか感覚でよろしいですから、目に付いたドレスをどんどんピックアップしてください」
ひと通り見ながら良いと思ったものを挙げていくと自然とその人の好みや傾向がわかるのだとアドバイザーの人に説明されたけど、ハンガーにかけられたたくさんのドレスを見ていくだけでも時間がかかりそう。どれもボリュームのあるロングドレスだからドレスを取り出して別にかけてもらうだけでもなんだかドレスに取り囲まれていくよう。
「えっと、こういうサテンのつるっとしたのじゃなくて。あ、そんな大きなキラキラした飾りがついているのもちょっと……」
ここのドレスはオフショルダーや肩の出るデザインが多いみたいな。きっとこれが今の流行なのよね。うーん、でもわたし、肩や背中を人目に晒す自信がない。余分なお肉がついていてお手入れだってろくにしてない。どうしよう。
「お袖のあるデザインのほうがお好きですか?」
はい、できれば。
あー、でもこんなことしていてもちっとも進まない。
「あの、孝一郎さん、ちょっと時間がかかりそうなので……」
「僕はかまわないよ。瑞穂が気に入ったのが見つかるまでゆっくり見て」
振り向いた孝一郎さんはにこっと優しい笑顔。
ほーっとため息のような声。でもこれ、わたしじゃないよ。
「まあ、おやさしい。なんてステキなご新郎様でしょう!」
女性スタッフたちの讃美の言葉。きゃーと黄色い声が聞こえたとしてもわたしには不思議じゃないね。
だってこの人は常盤孝一郎だよ。結婚式の衣装を選ぶために来た、この大きなブライダルドレスショップに入った時から女性スタッフさんたちの目は孝一郎さんにくぎ付けだった。結婚式を控えたカップルを毎日のように見ているスタッフさんたちだから、そこは失礼がない程度に、だろうけれど。
「でも迷ってしまって」
「それならアドバイザーの人に瑞穂の好みそうなものを選んでもらったら? 僕も一緒に見てもいい?」
そう言って孝一郎さんはわたしと一緒に部屋に置かれていたソファーへ腰を降ろした。
「じゃあ、ドレスを持って来て下さい」
孝一郎さんがそう言うとスタッフの女性たちがドレスを一着ずつ掲げるように持って来てくれた。
「瑞穂は大げさな飾りがついているものは似合わないよね。僕もそう思うよ。こんなのはどう?」
え、え、え?
いつのまにかサロンで行われるドレスショーのようにわたしと孝一郎さんの前に次々とドレスが運ばれてくる。ソファーに座ってスタッフたちにさりげない指示を出す孝一郎さんはそれがいかにも自然で、なんだかこう、人に指示を出すのに慣れているような雰囲気にスタッフさんたちも喜んで従っているみたいに見える。
そうか。
この人は生まれながらの御曹司。あの三光製薬の副社長だった人。今は総務課長だけど。
そして、そんな孝一郎さんの衣装の試着が普通で済むわけがない。わたしは迷ってばかり だったので先に孝一郎さんも選んでみたらと勧めてみたのだけれど、男の人の試着っていうのはあまり時間をかけないものらしいのにすでにスタッフの気合いが違っていた。
試着をして部屋に入ってきた孝一郎さんは真っ白なスーツだった。タキシード? ううん、上着の丈が長めで、フロックコートというのだろうか。タイはスカーフみたいな柔らかな薄手の生地でクラシックな雰囲気で結ばれている。刺しゅうのある上着の襟。うわ、白い手袋まで持っているよ。ちょっと、それじゃあまるで……。
「どうかな」
にこっと笑った孝一郎さん。他の人にはわからない笑いを秘めた目でわたしを見つめる彼の目がなかったらこれはきっと夢か幻だと思うところだわ。
「とてもお似合いです。体型、雰囲気、そしてなによりそのお顔! 最高です。こんなにお似合いなご新郎様は滅多にいらっしゃいませんわ」
「そう。ありがとう」
うっひゃー、さらっとお礼なんて言っちゃってるよ、常盤孝一郎。
「ぜひほかの衣装もご試着ください。デジタルカメラで撮影させていただきますので、すぐに モニターでご覧いただけますよ」
頭ではいろいろ考えていたのに、わたしはぼーっとしていたに違いない。彼を見るほかの スタッフさんたち以上に。
「瑞穂?」
「あっ! はい」
「どうしたの。赤い顔して」
「えっ、いえ、あの」
「僕に見とれていた? そういうのは結婚式の時にして欲しいなあ。これはまだ試着。スタッフの人がどうしてもって言うから着てみたけれど、やっぱり本番はダークスーツがいいな」
「えっ、どうして」
だってすごく似合っているのに。色の黒くない孝一郎さんはクラシックな白いスーツがまるでモデルか芸能人、それとも王子様かってくらいに似合っているのに。
すると孝一郎さんはほほ笑んだままわたしの耳に口を寄せた。
「白は花嫁の色だからね」
「ね、瑞穂も試着してみたら。せっかくだから」
まだ候補も絞り込めていなかったけれど、スタッフと孝一郎さんに勧められて試着をしてみた。でも、ゴージャスなひらひらフリルのたくさんついたドレスを着てもわたしってなんだかドレスに負けている。マーメイドラインのドレスを着るには身長と体のラインが追いついてないし。
なにより負けているのはとなりにいる彼にだ。白いスーツでとなりに立つと大きな鏡の中にはほほ笑んでいる孝一郎さん。その顔、その姿、決まり過ぎている。その彼のとなりに立つわたしはどう見ても衣装着てます、なだけの花嫁。
結局、その日はドレスは決まらなかった。さんざん迷って、でも決まらなかった。
「大丈夫だよ。また次の休みにも来ようよ。ね?」
孝一郎さんはそう言ってくれたけれど、もしかしたらこの人と一緒に来ないほうがいいのかも。今までこういうことは意識して考えないようにしていたけれど、今日ばかりはわたしなんて……といじけた気分になってしまった。最初からわかっていたことだけれど、こんな気持ちになってもどうしようもありゃしない。
式まであとひと月。ドレスだけじゃなくて準備しなければならないことがまだいっぱいあるのに。うわーん……。
「どうしたの?」
わたしはマンションの部屋へ帰ってくるとがっくり突っ伏してしまった。
「疲れた……」
ドレス選びに、っていうよりも孝一郎オーラに疲れた……。
結婚式と披露宴を行う予定のホテルでも、レンタルドレスショップでも、どこへ行ってもこの人は目立つ。きれいな顔だけじゃない、すらりとした立ち姿と落ち着いた身のこなし。会話や態度。どれをとっても。
彼は変わらない。
副社長でなくても。
「瑞穂はちゃんと自分の似合うものがわかっていると思うよ。だからきっと好みのドレスが見つかるよ。僕のほうは気にせずにいいからね」
「うん、ありがとう。そうだね、普段着るものじゃないから見慣れてないんだよね。あんなにたくさんのドレスに囲まれるなんて生まれて初めてだから」
「これ、さっきの」
孝一郎さんがデジタルカメラで今日撮ってきた画像を見せてくれた。ふたりで試着した衣装。
「ね、どうしてダークスーツにするの? この白いの、とても似合っていたのに」
いっしょに画像を見ていた孝一郎さんがいたずらっぽく笑った。
「俺は男だからね」
「え?」
「白は花嫁の純潔の色でしょう?」
白いウェディングドレス。白は花嫁の色。
そして白は純潔の象徴。バージンの象徴。
…………
だけど、孝一郎さん。
もうとっくに何度もしちゃいました。この常盤孝一郎と。
思えば初めてのデートで食事に行って、その日にしちゃいました。いくら孝一郎さんがイイ男でも、あまりな急展開にわたし自身が信じられないくらいだったんだから。
孝一郎さんがわたしに出会う以前のことなんて知らないし、聞いたこともない。彼だってわたしに聞かない。それを聞くほどお互いが子供ではない。
でも、どこへ行っても女性たちから違う目の色で見られている孝一郎さん。孝一郎さん自身もそれがわかっている。わかっていて、そういった視線や関心をそつなく無視している。それはわたしのためであるって信じられるけれど……。
…………
「瑞穂?」
ちょっと涙が出た。ばか、突発性泣き虫なわたし。
「わかりました。結婚式まではバージンでいるから」
「えっ、それって」
なによ、孝一郎さんが白はバージンの色だって言ったよ。花嫁=白=バージンだって言ったよ。
「本気?」
「本気です。わたしもせめて結婚式まではバージンになって結婚したいです! お互いに忙しいし、結婚式の日まで精進潔斎して備えましょう」
「精進潔斎? もう一緒に住んでいるのにそれはあんまりだ。それに」
は?
孝一郎さんがわたしの前に手をついて顔を近づけた。唇が触れそうに近づいて、でも触れない。
「瑞穂は僕にとって永遠にバージンだよ」
それって。よく歯が浮きませんねえ。
孝一郎さんの唇が触れる。すぐに舌が絡められてくる。ああ、その顔を至近距離で見せつけないで。腕を突っ張るのがわたしにできる唯一の抵抗。
「ほんとに結婚式までしない気?」
顔を離した孝一郎さん。いかにも自分に非はないって顔してそんなこと言わないで。
「わ? ……」
いきなり孝一郎さんの手で支えられながら体が倒された。彼の手が上着の裾から中へと入ってきて逃げようとしても彼の腕に捕えられていてそれができない。
彼の手がスカートの中へ入って太ももをするっとなでる。そっちの手を押さえた隙にまた胸をなであげられた。
「……こっ、孝一郎さん!」
わたしはチュニックブラウスの裾をかき集めて彼の手の侵入を阻止しようとした。いつのまにかスカートがめくりあげられていて、片手で上着の裾を握り締め、もう一方の手で必死でスカートを押さえる。押さえているのに。
「やっ……」
抵抗も空しく彼の手が服の中へ入り込む。
「こんなところで」
ここはベッドでもソファーでもない、床のカーペットの上。
苦し紛れにそう言ったら孝一郎さんがくすっと笑った。
「それはベッドへ連れていって欲しいってこと?」
「そんなっ」
わたしが身をよじろうとしたら孝一郎さんの体が少し浮いた。その隙に彼の体の下から這い出ようとわたしが肘をついたその時だった。
首の後ろに感じる孝一郎さんの息。背中から重みをかけられている。うつぶせのまま身動きできなくなってしまったわたしの両足は彼の膝で広げられていて……。
「瑞穂はいつまでたっても恥ずかしがり屋だね。じゃあ、うしろからでいいの?」
な、なんてこと言うんですかっ!
それって、それって、バージンに言うことなのーっ!!!
彼の顔は見えないけれど、わたしの顔のすぐ後ろに感じる。彼の心臓の音が聞こえそうなほどぴったりと体をつけられている。
「結婚式までしないなんて言わないで。それでなくても瑞穂がそばにいてこっちは自分を抑えるのに苦労しているのに」
彼の手が差し込まれる。指が隙間を開くようにして……。
意地悪。
意地悪孝一郎。
わたしを知っている指。
敏感なところを探し当ててすべるように何度も動く指に体が震えてそれが彼にわかってしまうようで恥ずかしいのに、いいえ、きっと孝一郎さんにはわかっているはず。カーペットに顔をつけて隠すことしかできない。小さな音をたてながら彼の指だけが往復する。
「……いじ、わる……」
うしろからかぶさるっている体を通じて彼が声を出さずに笑ったのがわかった。
「いじめる気なんてない。ベッドへ行こう」
耳に吹き込まれるささやき。
背中に響くような彼の声にふるっと震えると身体を起こされた。
もう彼はわたしになにもさせてくれなかった。
何度も続くキスに声が出そうになると舌が深く絡んで言葉を禁じられてしまう。そそぎ込まれるように息が絡む。
「……あ」
唇が離れても彼の手は離れない。言葉にさえならない。
「なに?」
そう聞くのに彼はやはりわたしにはしゃべらせてくれない。唇は離れたのにわたしを開く指を感じて。
「瑞穂の唇もここも、すごく熱い」
意地悪。
彼はやっぱり意地悪。
ありったけの非難をしたいのに彼の楽しいような顔は確信犯すぎて、わたしが言葉で言ってもまるで歯が立たないみたいで。
「……は」
孝一郎さんが声を殺してうめいた。わたしが手を伸ばして彼自身に触れたから。孝一郎さんの硬く張り詰めているものが手の中にある。そっと手を動かす。
「仕返しかな?」
少し眉を寄せた孝一郎さんがかすかに笑う。快感に耐えているような表情で見下ろしている。
そうだよ……。
わたしをこんなにして。もう、わたしは……。
「……ん、あっ」
かがみこんだ彼の激しいキスに思わず声が上がる。
「手を離して。もうもたなくなる」
そう言って枕元へと伸ばした孝一郎さんの手を遮るように邪魔をした。
「い、や」
「……瑞穂、怒っているの?」
ちょっと顔を離した彼が心配そうに尋ねた。
「ごめん、俺が悪かった?」
そうですよ。でも許してあげる。
「……そうじゃなくて……」
「なくて?」
「それ……いらない、から……」
わたしの言った意味がわかったらしくて孝一郎さんがわたしの目を見ている。
「いいの?」
こく、とうなずく。少し驚いたような孝一郎さんの表情にわたしの顔のほうが赤くなる。
「瑞穂……」
彼との境界が溶けていく。
瑞穂、瑞穂、とわたしの名を呼ぶ彼の声が繰り返されるたびに体の中から響いてくる。
「愛して、いる」
彼が言うたびに熱いものがあふれてくる。彼をもっと求めたくて孝一郎さんの頭を抱きしめる。わたしの胸に唇をつけたまま動きを止めた彼の鼓動が声にならない吐息とともに体の中から伝わって広がっていく。
「これで本当の夫婦だね」
まだ彼がそこにいるかのようにしびれている体を抱き寄せられて孝一郎さんの手がわたしの体をなでている。肩や、腕、そして腰。いとおしそうになでられて頬へキスをされると、初めて彼をそのままで受け入れたわたしの体が緩んでいく。
結婚式の前のふたりだけの契約。
そうせずにはいられませんでした。神様、ごめんなさい……。
終わり
あとがき 目次
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