庭の草陰 春2

庭の草陰

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 台所続きの板の間に座ってごしごしと頭を掻いた。
「卒業したのか」
「したよ」
 上がり端でかおるが手にした草をくるくると回しながら答えた。

「それで」
「それでって?」
 なんと言ったらいいのか。
 普段、しゃべらないからこういうときもうまい言い方が見つからない。



「お客かね」
 上がり端のかおるの向こうから声が聞こえた。ひょいと顔を出したのはとなりのばあさん。
「たけのこ」
「あ、でも」
「いいから、遠慮せんでも。ほら」
 ばあさんがかおるの膝の前にビニール袋を置く。ばあさんはかおるを見ていたけれど、かおるは笑いもせずにいる。

 かおるの前からビニール袋を取り上げて冷蔵庫に入れるとそのまま画室へ行った。
 音も立てずに立ち上がったかおるがついてきたが、かおるの鼻先で戸を閉めた。
「入ってくるな。ここは画室だ」

 部屋の壁に寄せて置いてある古いソファー。布張りの表面が少し擦り切れている。もっぱら昼寝用にしか使わないそれにごろりと横になる。
 かおるは締め出されても悪びれもせず、気にもせず、歩く向きを変えるように台所へ戻ったようだ。それとも庭か。

 外は晴れ。桜の散る午後。

 家の中はしんとしているのに、かすかな物音がするような気がする。いるというだけでかおるの気配がするような気がする。

 面倒なことになるに決まっている。考えるだけでうんざりする。
 帰れと言わなければならないのに。



 目が覚めると夕方だった。立ち上がって台所へ行く。
 台所続きの板の間にかおるはいた。テレビをつけてぼんやりとそれを眺めている。
 米を研ぎ、炊飯器で飯を炊く。醤油味の汁を作り適当に野菜や肉を入れて煮る。出来あがったそれを板の間にある小さな丸いちゃぶ台へ置く。ひとりぶん。
 食べ始めた俺をかおるは見ている。まばたきもしない。

 エサなんか与えないからな。

 食べ終わって片づけをしても、寝るために部屋へ入ってしまってもかおるは動かなかった。動かなかったのだろう。布団の上に横になりながら耳を澄ましてもかおるが何かをしているような気配は聞こえなかった。
 昼寝もしているのになんの苦もなく眠りへ引き込まれていく。かおるがいるのに、帰れと言わなければならないのに、眠くなる。なにもかもがどうでもいいように眠くなる。

 知らない人間にはにこりともしない。
 真っ直ぐな黒い髪の下の目をそらさない。
 そんな人に慣れない動物のように。

 なにも言わなければかおるは居着くんだろうな……。




 朝、部屋を出て台所へ行くと板の間にかおるが寝ていた。掛け布団にイモムシのようにくる
まって、丸まって。
 ゆうべの残りを温め直しているとうしろでかおるが動いた。むくりと起き上がりぼんやりとまわりを見ている。俺に気がついても何も言わない。

 黙って朝飯を食べ、片づけをして画室へ入る。
 することはなかったが、なんとなく紙を広げて下絵を描いているようなふりをしている。
 陽が射してきている。外は今日も晴れ。まだあまり明るくない部屋の中から見る庭は明るい光に草が輝いている。

 だんだんと陽が高くなるだけなにか言わなければという気持ちが萎える。言わなければならないという気持ちから目をそむけさせる。
 持て余す。きっと。
 だからなにを好き好んでと言えばいいんだ。こんな田舎、楽しいことなどありゃしない。
 こんなところに居着くんじゃないと。

 人には慣れないくせに逃げては行かない。
 そんな動物のようにするりと入り込んで居座る。
 それを許す人間を知っているに違いない。



 庭に面した縁側。
 縁側のガラス戸が小さな音を立てて開く。開いたところろから差し出されるように縁側へ皿が置かれる。握り飯がのせてある皿を持つのはかおるの手だ。
「昼ごはん」
 それは俺が炊いた飯なんだがな。
 まだ昼飯には早い時間なんだがな。

 皿から握り飯をひとつ取り上げて机の前へ戻る。ふぞろいでいびつな握り飯。どうやら塩をつけて握ることは知っているらしい。

 いつのまにか縁側に座って握り飯を食っているかおる。
 与えたわけじゃないぞ。勝手に食うな。

 まるでここが自分の家のように伸びをする。猫のように。

 桜が散りつくす。
 冷蔵庫にはたけのこが詰まっている。
 春はまだ終わらない。


2010.09.21

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