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庭の草陰 夏6
庭の草陰
目次
6
やっと八月が終わり相変わらず暑い日々だったが、俺は黒く塗りつぶした紙を庭へ出して焼いた。紙はあっというまに燃えて黒い燃えカスは多くはなかった。それを雑草の中へ撒くともう何もなかったかのように土へまぎれていった。
「信さん、いますか?」
玄関から聞こえた、あの声は城島だ。
玄関へ行くと城島ともうひとり男が立っていた。城島と同じように背広を着た五十歳ほどの男だったが知らない男だった。
「信さんの絵をこちらの今泉さんの奥様に買っていただいたことがあるんです」
奥様……?
「私は妻が城島さんから絵を買っていたことは知らなかったのです。買ったという絵も私は見たことがなかった。妻があなたの絵を買っていたということを知ったのは妻が先月に亡くなった後のことです」
今泉という男が話し出したが、城島を見るとこの男特有のにこやかな顔でいる。
「奥様の涼子さんは三年ほど前にうちの画廊で信さんの絵を見て気に入られたようですよ。買っていただいたのは冬の山の絵と、この近くの川の風景を描いた絵と、木炭の粗描画、それから黄色い花畑を描いた油絵です」
城島はさらりと木炭の素描画と言ったが、それは男女の絡み合う絵のことだ。木炭でしか描かないからそれしかない。
それを知っているのか知らないのかわからないが、今泉に視線を戻すと話を続けた。
「それらの絵は娘の部屋にありました。実は妻が亡くなったあとで娘が家出をしてしまいましてね。娘の部屋を調べたらあなたの絵と、それと城島さんの名刺が一緒に出てきたのです。たぶん妻が娘にその絵を与えたのでしょう。
私は再婚だったので妻と娘は血はつながっていなかったが仲がよかった。妻の涼子はまるで歳の離れた姉妹のように気むずかしい娘の友だちのようになってくれて絵も教えていたようだった。だから、もしかしたらと思って城島さんにお尋ねしたのです」
涼子。
今泉涼子。
じゃあ、この男は……。
今泉がていねいに頭を下げた。
「娘がご迷惑をおかけしました。何日もお世話になったそうで」
「娘さんというのは」
「薫です。こちらでご厄介になっていたと城島さんからうかがいました」
かおる……。
「娘も家に帰ってきましたので明日は妻の四十九日の法事が行えます」
かおるの父というその男は、娘がひとり暮らしの男の家に何日もいたというのに怒っているふうでもなく、淡々と礼を述べて帰っていった。
野良じゃなかったのか。
ちゃんと家があったのか。
おまえは涼子と一緒に来たのか。
涼子を連れてきたのはおまえか。
そして一緒に帰って行ったのか。
……八月は魂が帰ってくる季節。
野辺にも。川岸にも。道にも。
わたし、あなたに会いたかったの。
それは涼子の声か、かおるの声か……。
城島はあれきり仕事の話は持ってこない。
九月になっても暑い日が続いていたが、さすがに中旬を過ぎると朝晩が涼しくなる。そして八月は旧盆だったのにもう九月の彼岸が来ている。
また草の伸びてきている庭を見ながら画室で下絵の整理をした。
秋草を描こうかと思う。葛も入れよう。木の梢さえも這い上る強健な草だけれど、七草のひとつだ。ここらには桔梗やおみなえしのような風情のある花は咲いていなかったが、ススキや葛のような雑草だけでもいい。それから……。
畑や田んぼのふちに並ぶように赤い花が咲いている。
暮れていく夕方の薄闇の中で、赤い花は浮き上がっているように微動だにしない。
群れて咲く、強く赤い花の色が夕闇にも溶けない。
家の近くの道でそんな彼岸花を見ていた。
「わたし、モデルになってやろうか」
ふいに声が聞こえてきた。
ゆっくりと立ち上がって声がしたほうへ向き直った。そこには高校の制服らしい白いブラウスを着た女の子が立っていた。
「……なにしてんだ」
「信こそ」
道で通りがかったかのように、かおるは気楽な顔つきだった。
「そんなにじっと見ていたら彼岸花に取り込まれてしまうよ」
言われて足元の赤い花を見下ろした。群れて咲く、赤い、赤い花。
どこまでも続く赤い花の道だった。
「そうだな。この花にはそんな力がある」
「だよね」
かおるは学校のバッグをひとつ肩にかけていて、その姿はいかにも高校生なのだが白いブラウスとチェックのスカートはあまりかおるには似合っていなかった。
「またおまえに引き戻されたな」
「だからここにいてもいいでしょ?」
唐突にかおるの言ったここ、というのが俺の家のことだと気がついた。
「馬鹿言うな」
「また家出してきちゃったから」
「……おまえ」
「わたし、変わり者なんだ」
かおるは相変わらず気楽な顔だった。
「だからこう言われても信じちゃったの」
あなたと信ならきっとうまくいく。
あなたと信はどこか似ているもの。
それをかおるに言ったのは……。
姉妹のように、ふたりは内緒の話をするように顔を寄せる。
秘密を打ち明けるように。
きっとそれは……。
「だめだ」
「信」
「ここに来たかったら冬休み、いや、卒業したら来い」
ひらっと輝いたかおるの眼の色はなんだ。まだ子供っぽさの残る表情はやはり高校生だ。
「いいな、ちゃんと学校が終わったらだ」
「にゃあ」
かおるはうなずいて、そしてひと声鳴きながら、笑った。
生い茂る雑草の中からやって来た、かおる。
草の葉陰からひょっこりと顔を出した猫のような、かおる。
猫が笑うときっとこんな顔をするに違いない。
終わり
2009.09.29
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