白 椿 19
白 椿
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19
「ひさちゃん、あたしの友達が純米酒を欲しいって…… あれ、どうしたの?」
「香織ちゃん……」
宮原の家へ顔を出した香織が久乃の様子がおかしいのに気がついた。
「久乃、それが終わったら和史を迎えに行ってね。もう4時よ」
久乃から目を離さないようにしている母が声をかけてきた。
「はい……」
「?」
香織はおかしいと思ったがその場は何げなくやり過ごすと宮原を出た。香織は家まで戻ると急いで保育園へと向かった。
「ひさちゃん、どうしたの? なんかあったの? 普通じゃないよ」
香織は保育園へ和史を迎えにきた久乃をつかまえて物陰へ引っ張り込んだ。
「香織ちゃん、町の人…… わたしのこと、いろいろ言ってるんでしょう……」
「ああ、あれ。ほっときゃいいじゃない。話の出所は堀川屋のばあさんよ。あのばあさん、昔っから底意地悪いっていうか。あたしなんて行かず後家って言われてるわよ。
ただでさえ若い人が少なくなっているこの町で若者の邪魔するようなことは言うなっていうのよ」
一気に言ってから香織は久乃のやつれた顔を見た。声を落とす。
「……なんか言われたの? 誰に?」
「お父さんが広田屋さんから言われたって……圭吾さんの両親の気持ちも考えろって……」
「ちっ、そうきたか」
「もう久保田さんと会うなって……でも久保田さんは、彼は仕事でアメリカへ行かなきゃならないのよ……1月から2年間」
「アメリカ!」
さすがに香織も驚いたようだった。けれどもすぐに真顔に戻った。
「あきらめるの?」
「あきらめないよ……そんなことできない。でも連絡することも出かけることもできないんだ。携帯もお父さんが壊して」
あれから街道保存会もやめさせられた。もう東京へ会いに行くこともできない。
「ちょっとあたしん家へおいでよ」
「でも、和史」
「お迎えはまだ大丈夫でしょ。ちょっとだけだから」
しかし香織が久乃の手を引っ張っていこうとしたところで声がした。
「久乃、帰るぞ」
「おじさん……」
久乃の父が保育園のカバンを背負った和史の手を握って立っている。
「おじさん、あんまりじゃない! ちょっとはひさちゃんの気持ちも……」
「和史の前だぞ、香織。それにおまえには関係ない。久乃、帰るぞ」
久乃がすがるように香織を見た。けれどもそれも一瞬で久乃は和史の手を取った。
「……もう!」
香織は怒ってそう言うしかなかった。
それでも香織は次の日の夜にもう一度宮原へやってきた。久乃の父や母がいる前で自分の携帯電話を久乃へ差し出す。
「これに久保田さんの東京の家の電話番号を登録しておいたから。街道保存会の会長さんに教えてもらったんだ。せめて1度くらい電話させてあげなよ、おじさん、おばさん」
香織はそう言って携帯を置いて帰っていった。
父の視線、母の視線。不自然にそらされる。
それでも久乃は香織の携帯電話を胸に抱くようにして2階へ行くと礼郷の家へ電話をした。たとえ父や母に話していることを聞かれてももうかまわなかったが、それでも両親のそばで電話はしたくない。
わたしはここから出ていけない。でも……
「礼郷、電話よ。宮原さんから」
姉の差し出した受話器。家の電話のほうにかかってきたことに驚きながらも礼郷は電話へ出た。このところ全く電話してこなくなった久乃にこちらから何度電話しても通じない。何かあったのだろうかと心配になってきた時だった。
「久乃、どうしたの? 電話が通じないから心配していたんだ。家のほうへ電話しようと思っていたんだ」
『ごめんね、礼郷。でも家には電話しないで……』
「久乃?」
『もう会えないの……』
「え? 会えないって、どういうこと?」
『ごめんなさい……』
「どうしたの? この前も言ったけれどアメリカには僕がひとりで行くから」
『でも、会えないの。ごめんね、礼郷……』
「どうしたんだ? なにかあったの、久乃!」
『ごめんなさい……』
こんな時でも電話でしか話せないのがもどかしい。
「久乃、僕がこれからすぐに時沢へ行くから。そうすれば」
『来ないで。……来てもらっても会えない……会えないのよ』
「久乃!」
『来ないで……お願い……』
小さな灯りがつけられただけの部屋へ入る。耳を澄まさなければわからないほどの穏やかな和史の寝息。
「うっ……」
固く握ったこぶしを唇へ押し付ける。眠っている和史を起こさないように。
「…………」
久乃は和史の布団の端へ突っ伏した。声をたてないように必死で顔を押し付ける。
礼郷。
どんなに好きでも……
どんなに恋しくても……
わたしは……
2009.05.10
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