誕生日 10


誕生日

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10


 明日からカーチュが船外機メーカーの講習会へ出かけるという日、わたしたちはいつものように夕飯を食べに行った。カーチュはあれから何も聞いてこない。親だけでなくカーチュにまで成り行きを見守られているみたいだ。 そう、わたし次第だって、決めるのはわたしだってまわりもわたしも思っている。カーチュだって。

「カーチュ、明日から名古屋で船外機の講習会だよね」
「うん」
「泊まりでしょ? 一泊?」
「うん。倉橋さんがホテル予約してくれたから」
「えー、もしかしてふたりで同じ部屋? ツインとかで。やだなー」
「別だと思うけど。だとしたら真希、泊まりに来る?」

 ……それって。それって。それって。

 カーチュはさらりと言ってなんともない顔をしている。
 今晩も一緒にご飯を食べて、でも次の日は講習会でカーチュは出かけなければならなかったからわたしは自分の車で帰るつもりだった。会社の駐車場まで送ってもらいカーチュが停めた車の中。

 キスだけじゃなくて。
 今が……その時なの?

 ドキドキを通り越した心臓を押さえてわたしは言った。
「仕事で行くんでしょ。なに言ってんのよ」
「それもそうか」
 あっ、納得しないで。
「あの、えっと、明日じゃなくて……今夜なら……いいよ」

 相変わらずカーチュの運転は静かだった。でも行先は喫茶店でもレストランでもない。
 車庫のように車1台ずつに区切られた駐車場の出口のドアを開けると狭い階段。その先の入口はひとつしかない。ドアを開けてそこが部屋だった。
 カーチュが先に入ってちょっと部屋を見回している。それから振り返った。
「いい?」
 この部屋でいいのかと尋ねたのか、わたしがいいのかと尋ねたのかわからなかった。うなずくしかない。だってラブホテルなんてわたしは初めてだ。
「シャワー浴びよう」
 そう言ってカーチュは浴室へ入って行った。

 歯磨きもしっかりして(こういう予備知識はちゃんとある)、カーチュの後にシャワーを浴びて出てくるとカーチュはベッドへ座ってペットボトルのお茶を飲んでいた。 こういうところにはバスローブが置いてあるのかと思っていたが、置いてあったのは普通のホテルや旅館にあるようなぺったんこにプレスされた浴衣。カーチュもそれを着ている。
 もしかしたらこれを着る人ってほとんどいないんじゃ……そんなことをわたしはぐるぐると考える。そんなこと考えなくてもいいのに。

「………… 」
 緊張で声が出ない。しゃべれない。カーチュの前で硬直したように突っ立っているわたしを
カーチュが見ている。
「寒いのか?」
「う……ちょっと……」
 カーチュがベッドの掛け布団をめくってもぐり込む。わたしの側をあけて。
「ほら」

 これからどんなことをするのか。
 知識はある。そりゃ山ほど。
 でもわからない。カーチュがどうするのか、どうなるのか。
 それがどういう感触なのか。

「あの……あのね、カーチュ」
 浴衣のひもが解かれる。
「ね……んん……」
 カーチュの唇にもう言葉が告げられない。カーチュがはだけた浴衣もみんな押しやる。

 カーチュの指で触られてびくっとする。太ももの内側を撫であげられて。
「あの、カーチュ、ちょっと待って……」
「ん?」
「あの、わたし、わたしね ……」
 必死で言おうとするわたしにカーチュは顔を上げた。でもカーチュに見つめられてわたしは逆に言葉が出なくなった。カーチュの胸に顔を押しつけて彼の顔を見なくていいようにしてやっと言う。
「わたし、初めてなんだよ……」

 カーチュが動かない。
 絶句、だろうか。この場合。
 彼が次の言葉を発するまでわたしにはその時間が百年くらいに思えた。恐る恐る顔を離して見上げたわたしにカーチュはにっと笑った。
「ふーん、そうなのか」
「だって」
 わたしはやや(ほんとはかなり)あわてて言う。
「今までそこまで好きになった人っていなかったし。かといって遊びでしちゃうのもなんだし。なんとなく、まあ、そんなふうにきてしまったというか」
 わたしは恥ずかしさと焦りでわけがわからない状態だった。こんな、こんな34にもなって処女だなんてカーチュは嫌なんだろうか。
「そういうカーチュはどうなのよ!」

 ……とんでもないことを聞いてしまった、と今なら思う。

「俺? 初めてじゃないよ。あ、もしかして初めてだって言って欲しかった? 童貞だって」
 どーてーっ?!
「なっ、そんなこと!!!」
「おまえって色気ないからな。まあ処女っていうのもうれしくないわけじゃない。こう言ってくれるともっとうれしいかも」
「……なんて?」

 カーチュはちょっと顔を寄せてわたしの目をのぞきこむようにして言った。ふたりとも裸で、なにひとつ身につけずに。
「ずっとあなたを待っていました」

 ぶはーっ!
 悪いけど笑ってしまった。中学を卒業して以来、存在さえ忘れていた時も長かったカーチュ。その彼に言われたら……。
「だから色気ないっていうんだ」
「あはは……ごめん、だって……」
 笑っているわたしにカーチュが腕を回していた。
「ちょっとは色気だせよ。俺のために」

 え……?

 もう一度キス。今度はやさしく、だんだんゆっくりと深いキスになる。
「おまえが処女でよかったよ」
 ほんとに……?
 こんな世間に乗り遅れている女でも……?

 カーチュの手がわたしの胸にかかる。持ち上げられるようにされた大きくはない胸。先端は緊張で痛いほど固くなっている。カーチュがちゅっと先端へキスをすると唇へ含んだ。
「うわ……」
 胸の感覚に気を取られていたけれどカーチュの手はだんだんと下がってきている。わたしの膝にかかり足を広げられると彼の手が入り込んだ。

 初めて触られた。あそこに。
 カーチュの指がゆっくりと動いている。なんだか動き回られているみたいだ。1本の指が差し込まれたけど、でも痛いというよりは違和感というか。
 ゆっくりと、ゆっくりと彼の指が動いていく。何度も往復する指。時間をかけてくれていることはわかったけれど。
「緊張してる?」
「う……」
「気持ちいい?」
 答えられないよ……。
 カーチュの指が抜かれて少しの間があく。

「たっ……」
 痛いという言葉にもならなかった。
 痛い、痛い。いったーい!!!

 さっきまでの指の感覚がうそみたいだった。カーチュは何も言わない。カーチュが入っていると頭でわかっていてもあまりに痛くてその感覚がわからない。
「……つっ、あ……」
 言葉にさえならないわたしにカーチュは動くのもやめている。でもカーチュがわたしのほうへかがみ込んで来て思わず叫びそうになった。ぎゃあああっ、動かないで、痛い……。
 キスされたからその言葉は出せなかったけど、彼が唇を離すと思わず涙がにじんだ。
「ごめん、痛いよな。でもちょっとだけ動かさせてくれ」
 カーチュは本当にちょっと動いただけだったけどその痛さにまた思わず声が出た。
「痛っ……!」
「悪いな」

 そうは言ってもカーチュは止まらなかった。でも少しでもわたしの痛みが少ないように彼がゆっくりと動いてくれているのがわかる。初めてのその感覚に体が緩んだように感じたがまだ痛い。それでも最後に一瞬彼の動きが激しくなったのがわかった。 押し付けるように動きを止めてから大きく息を吐くカーチュ。もうわたしの痛みはじんじん状態だ。痛いものは痛いんだから! やっとゆっくりと彼が離れていく。

 手で目を隠していた。涙を見せないように。
 カーチュが中にいる時ほどではないけれどまだ痛い。また彼に抱き寄せられて手をどけられるようにされてキスされた。
「これでもう処女じゃない」
 わかってるよっ!
「血が出ているけど大丈夫?」
 え! あ! カーチュの指が目の前にかざされて、血がついている。
 ぎゃー、シーツにも……。

「なんか疲れたみたいだな」
 車に乗るとカーチュはそう言ってわたしの頬を撫でた。
 そりゃ疲れましたよ……。
 やつれたような顔だったのだろうか。体の痛みがまだ残っていた。とても自分では運転できない気がして家まで送ってもらい、カーチュが車を降りずに窓ガラスを下げた。
「じゃあな、明日出かける前に迎えに来る」
「うん……」

 自分のベッドへ横になりながら今日のことを思い出す。ホテルの部屋へ入ってからのことを何度も何度も。そしてやっとうれしさがじわじわとこみ上げてきた。

 初めて触られた。
 初めて裸で触れ合った。そして彼が入ってきたあの感覚。それは痛みとイコールだったけれどもそれはしかたがない。まだ火照っているような痛みが彼を受け入れたことが現実だと告げてくれている。

 だんだんと痛みが薄れるにつれてわたしはにやにやしてしまうような、恥ずかしげもない興奮で眠れなかった。

 ああ、えっちしてしまった。カーチュと。
 えっちしちゃったよ……。

 世の中の恋人たちは、いや、初えっちをした女の子はきっとこんなふうには考えないはず。

 明らかにわたしはえっちしてしまったという事実に興奮していた。暗い部屋のベッドの中でにやにやしていた。
 ごめん、カーチュ。カーチュだからだよね、もちろん。でも顔がにやけても許してね。
 ああ、今、ひとりでよかったよ……。


2009.04.02

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