誕生日 9
誕生日
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9
次の日の朝、わたしはしっかりカーチュのプレゼントしてくれた腕時計をしていた。迎えに来てくれたカーチュは別になにも言わなかったけど。
「おっやー、田代さん彼氏の車で出勤?」
早めに会社へ送ってもらったのに伏見さんはもう出勤していて間が悪い。皮肉っぽく言われてしまった。
「まあ、そういうこともありますから」
これでも30オーバーの女として余裕のあるふり。
「いいねえ、送り迎えしてくれる彼氏がいて」
小うるさい性格の伏見さんは相手にしない。会社で独身の男は今や伏見さんだけだけど、はなからわたしには関係ないもの。
「真希ちゃん、昨日の誕生日どうだったあ〜」
「べつに」
「え〜〜、デートしたんじゃないのお」
昼休みのせっちゃんの突っ込みは予想していなかった。
「ご飯食べに行ったよ」
「いやん、それだけ?」
せっちゃん、あなた人妻になって言うことが大胆になりましたわね。
「昨日が真希ちゃんの誕生日だってこと、倉ちゃんが神田さんに教えておいたのよぉ。余計な おせっかいだったかもしれないけど、ごめんねえ」
せっちゃんは謝ったけど、別に怒る理由もないよ。
「ううん。ありがと、せっちゃん」
キスしたことは内緒だけどね。
カーチュのくれた腕時計に何度も目を落とす。ものすごいブランド物なわけはなく、そこそこな物だったけど仕事で普段使いするのにちょうど良いデザイン。これなら指輪と違って気がつかれないし、でも会社員のわたしは毎日身につけられる。仕事中も一緒、みたいな気分だろうか? いやー、照れるけど。
それからカーチュは頻繁に送り迎えをしてくれるようになった。会った後は必ずわたしを家まで送ってくれるカーチュ。次の日の朝には迎えに来てくれる。
これって「恋人」っていうのだろうか。わたしたちは「恋人」状態なのだろうか。そう考えるのもなんだかヘンなんだけどわたしは考えられずにはいられない。カーチュは時々別れ際にキスをする。わたしの家の前に止めた車の中だったからほんの短いキスだったけれど。
もしかしたら……。
わたしにも春が来たかもしれない。今頃そう思うなんてズレているかもしれないけど、わたしはカーチュとつきあっているという確信も自信も今まで持てなかったんだ。
両親は不気味に静かだった。何も言わない。休みの日にわたしが出かけても、平日に帰りが遅くなることがあっても。神田さんとはその後どうなっているんだとかうるさく聞かれるかと思ったが、母でさえもなにも聞いてこない。父も母もじっと成り行きを見守っているらしい。でもこれはこれで妙なプレッシャーなんだけど。
それでも休みの日に会う人がいるってのはいい。電話をしてきてくれる人がいるってのがいい。今まで真っ白で、せっちゃんが結婚してから遊んでくれる人がいなくなってしまったわたしのスケジュール手帳が予定で埋まっている。カーチュと会う予定で。
「見合いなら3か月くらいだってさ」
「へ? なにが」
4月の終わり頃。日曜日に会ってその帰りにカーチュが何を言っているのかわからなかったわたしは相当なお気楽者だと思われても仕方ない。
「つきあってから結婚を決めるまでに」
うそっ、そのデータどこから?
「そんな早いわけないじゃん。……それにわたしたちまだそんなにつきあってないよ?」
さすがにカーチュがあきれた顔をした。
「そろそろさあ、決めてもいいんじゃないの」
「えっ、なにを?」
わざとボケたんだけどカーチュには通用しなかったみたい。
「あのなあ……またおまえの家へ乗り込んでもいいのか。こんどは結婚の日取りを決めに」
「え、あ」
カーチュならやる。この人、段取りをすごいすっ飛ばし方をする。というより世間の柵(しがらみ)とか浮世の義理とかそういう諸々がめんどくさくなって行動へ出るらしい。カーチュらしいけど。
でも、でも、でも……。
「もうちょっと……もうちょっと待ってくれる? 両親にはちゃんと自分から話したいから」
別に引き延ばしをしているわけじゃない。
意識したくないけれど頭から離れないことがある。
わたしは友達が恋愛話を話す時も聞き役だ。聞き役に徹して、でもほどほどに返したりしていた。怪しまれないように。そもそも自分の恋愛体験をあからさまに話すような友達もいなかった。でもまわりの子はいつのまにかしっかりとそういうことを経験していたらしい。わたしは男の人とも普通に話せるし、
男の人を拒否しているわけでもないはずだ。でもいかんせん地味なのに違いないと思う。
せっちゃんと会社の昼休みにご飯を食べながら話していても最近はせっちゃんに突っ込まれてばかりのような気がする。
「真希ちゃん、その後神田さんとはどうなの〜」
親にこういうことを聞かれたら今のわたしには答えられなかったかもしれない。でも、今はせっちゃん。
「うん、つきあってる」
「神田さん、いい人だよね。顔は置いといて。でもわたしもそうだったけど、なんかこう決め手が欲しいんでしょ?」
「そうねえ。カーチュって空気みたいっていうか。一緒にいても気をつかわなくていいんだけど」
「いいじゃない、そういう男のほうが疲れなくて。むこうから具体的な話なんて出ないの?」
「……って、いつ結婚するとか?」
「そうだけど、ずばりプロポーズはあったの? 真希ちゃん!」
はあ。カーチュからは意思表示は出ていると思うんですけど。
「真希ちゃんは神田さんと結婚してもいいって思ってる?」
「うん、まあ、なんとなく」
「ふーん」
せっちゃん、わたしがなんとなく尻込みしているのがわかったのだろうか、ここで最大級の爆弾をかましてきた。
「真希ちゃん、結婚には体の相性っていうのも大切よお。わかってる〜?」
ひえーーーっ、人妻せっちゃんの鼻血の出そうな言葉。
「だってね倉ちゃんなんてね、バツバツバツがバツバツバツで、マルマルマルがマルマルマルなんだよお〜」
……せっちゃん、自分で伏せ字してくれなくていいです。
そうなんだよね。自分でもわかっている。
カーチュと結婚してもいいかもって思っている。具体的に話を進めてもいいかもって思っている。でも……。
わたしは男の人の経験がない。キスだってカーチュと初めてした。せっちゃんの言う「体の相性」を確かめるなんて、そんな芸当わたしにはできないんだ。だって経験ないんだもの。
ここにきて足踏み状態の理由を聞かれて「処女のためらいです」なんて言えるわけない……。
えっちしたくないわけじゃない。だからってさっさとバージンを捨てたいというのは残念ながら もう通り過ぎてしまった。なんて遅れているのか、わたし。
カーチュはこんなわたしをなんと思うだろう。あきれるだろうか。あまりのズレ具合に。そう思われたら何よりへこむ。
一番のためらいはそこなんだよね……。
2009.03.27
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