誕生日 5
誕生日
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5
せっちゃんの新婚旅行のお土産はブランド物の香水だった。これはわたしがリクエストしたもの。値段もあまり高くないものをリクエストしたからまあ妥当なお土産だろう。新婚旅行はパラオでふたりでスキューバしてきたという。いいなあ、新婚さん。
「ただいま」
「真希、ちょっと」
会社から帰ってきたら父に呼ばれてコタツへ座る。目の前に置かれた白い封筒。これはもしや……。
わたしはこの前ヤケのように母へ言った言葉を思い出した。
今度、お見合いの話が来たらその人と結婚する……。
いや、まさか、お母さんはお父さんへそのことを話したのだろうか。
父はそんなわたしの考えていることなどかまわずに白い封筒を指差した。
「それを読んだらよく考えて返事をしなさい。会ってすぐに断るんなら会わないほうがいい」
「……はい」
父の言葉にはかすかに怒りがこもっている。
…………
そのお見合いはすごく良い条件だった。わたしより2歳年上の人で、県内でもトップの高校を出て東京の大学へ進学したという。しかも官庁に勤める公務員だ。長男だけど東京に住んでいるからとりあえず親との同居はない。こんな話、いったいどこから出てきたんだろう。
はっきり 言ってお見合いすればするほど相手のレベルは下がる。いいものから売れていくのは野菜も 人間も同じだ。男だって女だって……。
でも外見や条件はいまいちでも、せめて気の会う人とって考えているわたしは甘いのだろうか。
そこへ、ここへきてこの条件。写真は真面目そうな眼鏡をかけた人。台紙のついた大げさなお見合い写真ではなかったが、プロによって撮られたクリアな写真だった。無地の背景、きちっとしたスーツ姿の上半身。
……この人と会うってことは、話を半分承諾したのと同じなのだろうか。会ってみなきゃわからない、なんていう理屈はもう通じないのだろうか。いや、待て、向こうが断る可能性だってある。ありすぎる。だってこの条件だよ……。
「あれ、真希ちゃん、どしたの?」
ため息をつくわたしに倉橋が机の向こうから顔を出した。
「なんでもありません」
昨夜父から白い封筒を渡されて、一晩考えると父には言ってある。でも写真と身上書を見て結婚を決めろと言われているのと同じような気がしてわたしは朝からため息しか出ない。
決めたくない、ではなくて、決めようがない、なのだ。
倉橋から注進があったらしくせっちゃんがわたしの机へ来た。
「お見合い? 真希ちゃん、嫌なら断っても、会ってから断っても仕方ないじゃない。無理なことしてもうまくいきっこないって」
それをうちの両親へ言って欲しい。それでも自分で言わなきゃならない。その日、家へ帰ると夕飯は両親とわたし、無言だった。黙って食べている父と母。嫌だなあ。もう嫌だよ。
「お父さん、昨日の話だけど」
父がお茶を飲み始めてやっとわたしが口を開く。
「もしも、だけど、あの人と結婚したら東京に住むってことだよね」
「そうだな」
「会ってみなけりゃわからないけど、でも会ってみる……」
「そうか」
母は何も言わない。
もうわたしにはお見合い自体を断ることはできない。
さっそく1週間後に会う段取りが組まれる。相手の人は土日を利用してこっちへ帰ってきてくれるという。
「ちょっとは明るい色の服を着て行きなさいよ」
そう母に言われてへこむ。
やっぱり写真通りの真面目そうな人だった。背は低かったけど。身長が157pのわたしと同じくらいだ。お互いの仕事のこととか家族のこととか、あたりさわりのない話をする。話をした感じではあまり堅苦しいものはない。
「あのう、杉村さんはどうして地元でお見合いしようと思ったんですか?」
わたしは恐る恐る尋ねてみた。
「こういうことは縁っていいますから。僕は別に出身地にはこだわらないですけど、たまたまこちらの親戚が世話をしてくれたので」
「はあ、そうですか」
「田代さんは東京は嫌ですか」
「……嫌です。田舎者ですから」
「そうですねえ、たいていそういう理由で断られますねぇ」
そう言われても返す言葉がない。真面目できちんとした人。良い条件。でも身長が低いのが ネックなのだろうか。今までもこうして理由をつけて断られているのだろうか。
世の中ってうまくいかないものなんだ。男も、女も。
お互いピンとくるものがなければ。
顔でも身長でもない。たぶんこの人もそう思っているのだろう。ただの「真面目な人」と感じるだけではだめなんだ。でもわたしにはその「ピンとくる」というのが初対面でくるものなのか、何回か会っているうちにくるものなのかわからない。少なくとも初対面の人には今までピンときたことはなかった。
でもこの人にはあまり嫌だという気持ちもなかった。良いという気持ちもなかったけれど。お互いに気の進まない雰囲気、あきらめているような。お見合いもここまでくるとなんだか哀しい。
「……あの、すみません。東京にお住まいなのはわかっていたのに、東京は嫌だなんて言って」
「いえ、いいんですよ。それが本当に嫌な理由なら」
「すみません」
最後まで杉村さんは真面目な態度を崩さなかった。
「真希ちゃん、どうだった?」
お見合いの翌日、例によってせっちゃんが聞いてきた。
「だめだと思う。むこうも乗り気じゃなかったし」
「まだわからないじゃない。でもわたし、真希ちゃんが東京へ行くなんてことになったら寂しいわあ」
「もお、まだ決まってない話をするのはやめてってば」
だけど、その日会社から帰ると杉村さんからは丁重にお断りをいただいたと連絡が入っていた。正直言って男の人のほうから断られたのは初めてだ。
「やっぱり中央官庁に勤めている人ってはなあ」
父はわたしが断られたと思って気をつかったのか、わけのわからないことを言っていたがわたしには断られる予感があった。むしろむこうから断ってもらったことがありがたいくらいだった。あっけないくらいだったけれどやっと気持ちが軽くなった。ともかくこの話は終わった。終わったんだ。
また別の話が来るかもしれない。でもそれまではまたお気楽トンボだ。もうどうなるものではない。縁があれば誰かと出会える。なければ出会えないだけ。
わたしは初めて「開き直り」という言葉もいいものだと思った。
……そんなわたしだったが、まさか3日後にお気楽トンボも真っ青なことが待っているとは思っていなかった。
2009.03.01
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