花のように笑え 第3章 8
花のように笑え 第3章
目次
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イメージキャラクター、これは受けなくてはならないのだろうか。自分にできる自信もない。 第一、わたしは一社員に過ぎないのに。仕事だからと言われてしまえばそうなのだが、やはり 瀬奈には抵抗があった。
「立花さん、総務から連絡です」
企画課で桂木と一緒にいた瀬奈へ内線が入って専務宛てに荷物が届いているというので瀬奈が受け取りに行った。桂木が企画課から戻ってきていたので瀬奈が荷物の箱を持って専務室へ戻る。箱は細長いダンボール箱で中に白い紙箱が入っている。
送り状の差出人は北海道旭川市の北興ナーサリーとなっていた。
「専務、北興ナーサリー様から荷物が届いております」
「北興、そうか、開けてみてくれる」
「はい、あ」
瀬奈が開けた白い箱からは薔薇の切り花が出てきた。箱の感じから花ではないかと思いながら開けたのだが、まだ開ききってはいない見事な三十本ほどのピンクの薔薇。桂木がデスクから立って瀬奈のデスクへ近寄って来た。
「きれいですね」
「飾っておいてくれるかな。実はこの会社から新しい薔薇の花を売り込まれているんだよ」
「この薔薇の花をですか?」
「いや、それは切り花として生産されているもので新しい薔薇とは違う。新しい品種は切り花用ではなくてまだ生産もされていないそうだから。国産麻の取引は実現しなかったが、その時の旭川の産物の企画販売会社から紹介があってね。
その新しい薔薇に付ける名前をうちのブランド名にしてはどうかということなんだ。うちが命名権を買うということなんだが、そうなったら私は洋服のブランド名でも面白いと思っている。たとえば」
桂木が箱に入った薔薇から瀬奈へ目を戻す。
「君がキャラクターのブランドなら薔薇の名前はセナ、とか」
「えっ……」
桂木がそんなことまで考えているとは知らなかった。瀬奈はイメージキャラクターのことはまだ何の返事もしていないのに。
「一度行ってみる必要があるようですね。立花さんも一緒に来るといい」
「え、あの、どちらにでしょうか?」
瀬奈のちょっと狼狽した様子を桂木は知りながら続ける。
「北海道ですよ。この北興ナーサリーへ行かなければ新しい薔薇は見られない。今は7月なのでちょうど咲いているそうですよ」
「でも専務、わたしはイメージキャラクターはできないと思います」
「立花さんは乗り気ではないということですか」
「わたしはモデルさんのような仕事は知りません。それに新しいブランドの立ち上げはとても大きな企画です。わたしのような素人を起用するのは冒険過ぎると思います」
「あなたを秘書にと言った時にもあなたは出来ないと言いましたね。でも今はこうして私の秘書をしてくれている。あなたにとってもチャレンジになる気がしたんだが」
瀬奈はこれ以上イメージキャラクターの話を進めてもらいたくはなかったが桂木はなかなか瀬奈の言ったことを受けてくれない。それでも瀬奈はやはりイメージキャラクターの仕事をする気にはなれなかった。
「わたしは専務がお許し下さるのでしたらずっと秘書の仕事をしていたいんです。やっと人並みに働けるのではと思えてきたところなんです」
「おや、立花さんは自分への評価が低いですね。もっとも」
桂木はデスクの前に立っていた瀬奈に座るように勧めた。
「あなたが私の秘書を続けたいと言ってくれるのは私もうれしい。遠藤君みたいにあなたと一緒に仕事をしたい、仕事を通じてでもあなたに近づきたいと思っている男が少なからずいることを知っていますか? 今のところは立花さんが私の秘書なので私の立場は圧倒的に優位なのですが」
聞きようによってはかなりセクハラものの言葉だったが桂木はさすがにさらっとした言い方でそんなことは感じさせない。しかし瀬奈は真由美の言ったことを思い出していた。社内では桂木がまるで瀬奈へ特別な感情を持っているかのような噂。
「あの、うかがってもよろしいでしょうか」
「何です?」
桂木は依然瀬奈と向かい合って座っている。いつもと同じ眼鏡をかけた穏やかな表情。これでは仕事の打ち合わせをしているのと変わらない。
「専務は……独身なのですか?」
「……あ、は」
急に桂木が笑いだす。笑いながら立ち上がる。
「あははは……まいったな。そこまで私は瀬奈さんにとって問題外でしたか」
「問題外?」
瀬奈のほうがあわてて聞き直す。
「つまり眼中にないと。瀬奈さんにとって私は男のうちに入っていなかったと」
情けないといった顔を見せて桂木が笑う。
「そんなことありません。……あ、いえ、その……」
答えに困るのは瀬奈のほうだった。桂木を男として見ていなかったかと問われてそうだと答えるのも違うと答えるのもどちらの答えをしても微妙なことになってしまう。
瀬奈は恋愛する気などなかった。そういったものとは関係なく働きたかったので今まで特に意識することもなかった。意識したくなかった。K&Kでは若い男性社員に誘われることもあったが、
桂木がそういうふうに自分を見ていたと知らされてから瀬奈は自分の鈍感さに腹を立てていた。
そういうことには近づきたくない、わたしは二度と……。
忘れていた感情が押し寄せる。顔色も変っていたのかもしれない。表情の変わった瀬奈に桂木はちょっと小首を傾げる。
「困らせてしまいましたか。それは申し訳ない。だがあなたは自分で気がついているのでしょう?
あなたがなんとなく恋愛とか、男女の付き合いを避けていることを。まわりの男たちが独身だろうとあなたには関係ないのでしょう。たぶんあなたは自分で意識しているはずだ。あなたの中に固い石のような異性を拒むような何かがあることを。
そのくせあなたはとても柔らかだ。姿だけでなく控え目なのにしっかりとそこにいる。それがあなたが本来あるべき姿なのでしょう。そんなあなたが抱えているものは何なのですか」
こんなことを言われるとは思ってもいなかった。
ずっと上司として尊敬してきた桂木。桂木が男女の機微に全く関わらないとは思っていなかったが、節度ある大人としての態度を保っていると思っていた。
「なぜ専務は急にそんなことをおっしゃるのか……わたしは今まで専務がそういうふうに考えていらっしゃることに気がつきませんでした」
「それはあなたが気がつかないようにしていたからではありませんか?」
瀬奈はうつむいて桂木から自分の表情を隠した。今日の桂木から言われることは予想外なことばかりだ。
「あなたにはまだそれに答える準備ができていないようだ。あなたがイメージキャラクターを受けてくれるのならそれに賭けてみたいと専務である私は思っている。きっと成功するでしょう。しかし私は仕事だけにあなたを生きさせてしまうようで、
だからイメージキャラクターを受けてもらう前に言わずにはいられなかった。私は部下としてだけではなく、あなたの女性としての生き方を考えずにはいられない。これが私の正直な気持ちです。イメージキャラクターの件は北海道出張が終わったら結論を出しましょう。よく考えてもらえますか」
もう桂木は何事もなかったように上司の顔に戻ってしまっていた。
考える時間を与えてくれるというのだろうか。
イメージキャラクターを受けて、桂木の好意を受けてわたしの生き方を変えろということなのだろうか。
いままで避けてきたことが押し寄せてきてるように感じた。が、しかし北海道出張は既に決められていて宿泊先と飛行機が予約されていた。瀬奈はともかく手配を確認して桂木から渡された北興ナーサリーに関する資料を読み始めた。
ナーサリーというのは植物の育種園や育種業者をいうのだということは瀬奈も急いで調べて知った。北興ナーサリーでは薔薇の育種のほかに別会社で造園や園芸関係、そして地元の農家と提携して薔薇の切り花栽培の研究なども行っているという。
送られてきた薔薇はそういうふうに生産された薔薇だという。桂木が言っていた新しい薔薇についても写真と説明が添えられていた。
「きれい……」
写真を見て瀬奈はつぶやいた。
送られてきた花屋で売っているような切り花ではなく、庭に植えられているような薔薇だった。うっすらとピンクがかった白い花びら。派手派手しい感じではなかったが清楚な花なのにどこかハマナスのような原種の薔薇のたくましさを感じさせる、そんな花。
『この薔薇は旭川市内の個人宅に以前から植えられていたもので実生のものだが交配親などは不明。北海道に自生するロサ・ルゴサ(ハマナス)の変異種である白花種のロサ・ルゴサ・アルバの系統の自然交配と思われる。発見者の森山聡によって当社の育種部門で新しい品種であることが確認され』
発見者……。
森山……聡……?
2008.10.25
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