窓に降る雪 10

窓に降る雪

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10


 三生は宿題を終えるとクラスメイトや下級生たちがテレビを見ている寮のオープンスペースへ出て行った。
「三生、お茶しない?」
「うん。あ、もらったお菓子があるから持ってくる」
 高等部の2年からは生徒はそれぞれ個室が与えられている。
 三生がお菓子を持って戻って来るとクラスメイトの今日子がペットボトルの冷茶を注いでくれた。
「わー三生、これモロゾフじゃない。たくさんあるねえ、どうしたの?」
「父がもらったんだけど食べないからってわたしに送ってくれたんだ」
 三生がクッキーやチョコの缶のふたを開けてみんなに勧めながら見るとテレビはコマーシャルが流れていた。女の子たちはお茶を飲みながら次の番組が始まるのを待っている。次は歌番組だ。
「ねえ三生、こんどCDショップ行こうよ」
「うん」
 三生がお茶を飲んでいたコップを置いた。じっと画面を見る。そこに映っているのは……。
 薄い微笑を浮かべたアメリカの女優の顔。疾走する車。断崖のような丘の続く浜辺と広い空。女優の髪が風になびき……。
 CM? CM? ああ、CMじゃないの。落ち着いて、これはテレビ、車のCMだ……。
 しかしコマーシャルはあっというまに終わってしまった。 まわりの女の子たちはおしゃべりに夢中で別にCMも三生も気にしていないようだった。またコップを手にしてお茶を飲み終わると三生は今日子にちょっと部屋へ行ってくると言って自分の部屋へ戻ると大きく深呼吸した。明らかに意識しすぎだ。こんどあのCMを見ても表情ひとつ変えないと三生は心に誓っていた。

「三生、知ってる?」
 2日後、今日子と他の2人が三生の部屋に入ってきた。
「なに?」
「さっき寮長先生が話していたんだけど」
 三生は3人と一緒に自分のベッドに座りこんだ。
「三生、寮の学年リーダーでしょう、知らないの?」
「うーん、だからなんのこと?」
「今日、寮に雑誌の記者が来たんだって。なんか勝手に入ろうとしたみたいだよ。寮長先生が断ったらすんなり帰ったんだって。何だろう?」
「雑誌? 雑誌の記者だって?」
 三生は聞き返した。
「もしかして尋香かなあ」
 亜美が言うと沙希や今日子が顔を見合わせた。今、生徒で芸能活動をしているのは尋香だけだった。
「そうかもね。尋香にも知らせておいたほうがいいかなあって思って」
 今日子が三生に言った。そうか、この3人は尋香に言う前に三生にも言いに来たのだ。
「尋香かどうかわからないけれど、尋香にはわたしが話しておくよ。今日はバレエのレッスンへ行ってるんだよね」
 三生が言うと皆がうなずく。
「記者が寮まで押しかけて来るなんて何だと思う?」
 亜美が三生に尋ねるように言う。
「あのね三生、わたし尋香からちょっとだけ聞いたことがあるんだ」
 いままで黙っていた沙希が遠慮がちに言ったので女の子たちの視線が沙希へ集まる。
「フランス語で話している時に。尋香、付き合っている人がいるって。芸能人だって」
 沙希は母親がフランス人だった。
「付き合っている人? 尋香に?」
 三生はプライベートなことだとは思いながらも聞かずにはいられなかった。
「誰……?」
「名前は言わなかった。でも『シングル』のひとりだって」
「シングルぅ?」
 亜美と今日子が同時に声をあげてふたりともあわてて顔を見合わせた。
「シングルって」
 三生も当然そのグループを知っていた。名は「シングル」だが3人組の超人気グループだ。アイドルというには個性的過ぎたが次々とヒット曲を飛ばし、3人ともソロ活動もしている。ひとりはミュージシャンに専念し、あとのふたりはドラマや映画に俳優としても出ていてそれぞれ評価も高い。
「それってかなりやばいんじゃないの」
「大騒ぎになるよ。だって、あの『シングル』のひとりでしょお? 誰だろう、ハルキかな、トイかな? それとも」
「それはおいといて、三生、尋香の所属会社知っているって前に言ってたよね。尋香がつきあってること会社は知っているのかな。尋香なら言わないよね。でも……」
 沙希が亜美の言葉を抑えるように言った。三生は雑誌の記者と言われて自分につきまとっていた記者かと思っていたのだが思わぬことを3人から聞かされて、それも尋香のことだったのでぐっと気を引き締めながらすばやくあれこれ考えていた。
「とにかく『シングル』のことは絶対に内緒だよ。ひと言でも誰かに言ったら寮の全員に言ったのと同じことだからね。へたすれば尋香は退学だ。わかるよね」
 普段物静かな三生には珍しく言い方は厳しかった。
「これ以上何かあったら尋香が先生へ話すかもしれない。でもその前に寮内で噂になったりしたらややこしいことになる。私たちのほうからわざわざ尋香の噂を提供することになるんだよ」
「わたしは絶対に言わない。でも三生には言っておいた方がいいと思ったから。亜美と今日子も信用できるし」
 沙希がきっぱりと言ったので亜美と今日子もうなずいた。皆、中等部から生活を共にしている子たちだ。 一見世間から隔絶されているような寮の中で女の子同士というのはむずかしいものだが、沙希も亜美も今日子も、そして尋香もいわゆる帰国子女だった。中でも沙希は中等部に入学した時はあまり日本語が話せなかった。三生がハーフらしく見えたので英語で話しかけてきたのだが、 その時いっしょにいた尋香がフランス語ができるとわかって沙希はとても安心したのだった。それから三生が日本語の先生代わりになって尋香も一緒に沙希の勉強の手伝いをしてあげた。すぐに亜美や今日子も仲間になってフランス語と英語と日本語が飛び交うような友達になったのだ。
 4人はお互いに目を見合わせた。
「うん、そうだね。わかった。尋香にはわたしが言っておく」
 三生は請け合った。

「雑誌の記者?」
 聞き返しながら尋香はあまり驚いた様子ではなかった。
「ふうん、そう、わかったわ。社長にも言っておくわ」
 尋香はそっけないほどの態度で言った。
「三生、ありがとう」
 尋香の態度は予想していたが、きれいな顔であまりに落ち着き払って言われると三生でもさらりと流してしまいそうになる。でも「心あたりは?」なんて尋香に尋ねようとはしない。三生は尋香のその美しさに隠された頑固な強さを知っていたからだ。尋香が付き合いたいと思っているなら他人に口出しされてもやめるわけがない。 校則で男女交際が禁止されていても尋香には関係ない。
 まあ、わたしにも関係ないけれど、と三生は心の中で苦笑した。
 しかし尋香が3日前にT企画から帰ろうとするとビルの玄関の前でいきなり取材を受けたと話しだすと三生の視線がきつくなった。
 キャスリーン・グレイの新しいCMをどう思うかと聞かれたという。テレビ局の女性芸能記者のようだったという。正式な取材ではなかったから尋香とマネジャーはノーコメントで通り過ぎたが今日、T企画の若林社長が変な噂を聞いたという。瑠璃(尋香の芸名)がアメリカ人女優のキャスリーン・グレイと何か関係があるという噂だった。
「関係って?」
 尋香が尋ねると若林が言うにはどうやらキャスリーン・グレイはかつて日本人と結婚していて子供がいるらしい。その子が瑠璃なのだという。
 尋香は笑ってしまった。若林も笑っている。尋香の母はモダンダンスのダンサーで日本人だ。公表はしていないが、どこからそんな噂が出たのだろう。
「だから寮に来た記者のことも単なる誤解なのよ。ばかばかしい」
 尋香は笑ったがふと目の前の友人を見て尋香の顔から笑いが消えた。
 三生の冷静すぎる顔。それはまるで凍りついているようだった。何の反応もない。
「三生……」

「尋香、あなたの彼の事をどうこう言う気はないけれど芸能ニュースで騒がれるようなことは避けたほうがいいよ。この学校を卒業するつもりなら。慎重にすると約束してくれる?」
 三生は尋香にとなりに座るように手招いた。寮の三生の部屋のソファー代りのベッドの上だった。尋香はたった今、三生の口から出たことに押されるように無言で三生のとなりへ腰をおろした。
「約束してくれる?」
 三生にもう一度言われて尋香はさっきまでのいやに落ち着いた態度とはうって変わって心配そうに三生を見ながらうなずいた。
「でも三生、わたしのことよりその雑誌の記者のことは」
「大丈夫」
 三生はさえぎった。
「わたしには父もいるし。大丈夫だよ」
「それなら高宮さんに相談してみたら? 高宮さんならきっと」
「高宮さんには関係ない。そんなことできないよ」
 きっぱりという三生に尋香は黙った。
 尋香におとらず三生も自分のやり方でやるらしい。お互いその点はわかっていたが、いつもは落ち着いて頼りがいのある三生が何だか悩んでいるように見えた。
 三生だって高宮さんと付き合っているのが学校にばれたら困るのにわたしの心配ばかりしている、と尋香は思わずにはいられなかった。


2007.09.22

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