窓に降る雪 7

窓に降る雪

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 次の週、高宮は成城へ向かっていた。
 成城に住む祖父の誠一郎から来るようにと連絡があったのだ。自分で車を運転して祖父宅へと着く。相変わらず大きな屋敷だ。祖母は3年前に亡くなり祖父はひとりだったが身の回りの世話をする住み込みの夫婦が一緒に住んでいる。
 雄一の父の修造はこの祖父の長男だった。白広社は大正時代に起こされた会社で最初は雑誌の広告などを請け負う小さな個人商店だったが、やがて新聞の広告なども扱うようになって大きく発展したのは戦後の高度成長期だった。新聞、雑誌、テレビと広告は爆発的な広がりを見せそれと同じくして白広社も大きくなってきた。 ただ大正期からの老舗でもあり堅実な経営を誇っていたので後発の広告代理店に抜かれはしたがそれでも業界では屈指の会社だ。祖父は白広社の3代目で雄一の父が4代目ということになるが、父の修造は雄一が中学1年生のときに病気であっけなく死んでしまった。まだ42歳の若さだった。
 祖父は後を継がせるつもりの修造が死んだ時、次男の英二を跡継ぎにすることを考えたが
英二はがんとして応じず、雄一を跡継ぎにしろと祖父に説いたのだった。まだ中学生の雄一は跡継ぎになれるかどうかさえわからなかったが、英二は雄一を幼いころから知っていたし跡継ぎのことも雄一にわかりやすく話してやりながら 雄一がおとなしいがしっかりしていることが英二にはわかっていた。なにより修造の妻、雄一の母の比佐子が政治家の娘でもあり、おおらかで明るいこの母親の力も大きいだろう。比佐子の長兄はすでに国会議員をしている。雄一が白広社を継いでも力になりこそすれ障害にはならないだろう。
 英二はとにかく雄一を大学卒業まではしっかりと教育を受けさせ、白広社は誠一郎が社長を続ける。雄一が跡継ぎとして会社へ入れば誠一郎が雄一の後ろ盾になるのだと誠一郎を納得させ、事実そうなった。英二は雄一が大学生になると自分の会社でいろいろなことを教え込み、社長秘書のようなこともさせて雄一を教育した。 大学を卒業するとまず雄一は英二の会社へ正式に社員として入社し、2年間みっちりとしぼられたのだった。
 雄一の母の比佐子は雄一が大学生の時にこれも病気で亡くなっていたのは予想外だったが、だからこそ英二は叔父として雄一を一人前にしたかったのだろう。
 やがて雄一は白広社へ専務として入ったが、これも叔父の教育と社長である祖父の後ろ盾がなければできないことだとそれは雄一自身が一番良くわかっていた。
 祖父は孫である雄一を幼いころからかわいがってくれたし、英二に鍛えられた雄一が社長に足りる人間だと判断して満足して社長を譲り自分は代表権のない会長職に退き雄一の後ろ盾であることは変わらなかったが会社のことにはほとんど口は出さなかった。

 その祖父から珍しく呼び出しがあったのだ。年に数回は祖父を自宅に訪ねたり、会社でも時々会っているのにわざわざ呼び出すのはいったい何だろう。
「やあ雄一、わざわざ呼んですまなかったね」
 祖父は雄一が部屋へ入って来ると自分も庭から上がってきた。八十歳を超えてはいてもいまだに趣味の庭いじりは続けているが濡れ縁から上がるのに雄一は手を貸した。
「このところ社へ行ってなかったから来てもらったが、ちょっと話があってね。そこへ座りなさい」
 誠一郎は住み込みの吉添さんの奥さんがお茶を置いて部屋を出て行くのを待って平たい表紙の写真を雄一へ差し出した。雄一が開くと明らかに見合い写真だ。洋服姿の若い女性がほほ笑んでいる。
「見合いですか」
「そうだとも言える。それはJ銀行の中村さんのお嬢さんだよ」
 雄一は静かに写真を閉じた。
「お前にはもうすでに話があっただろう。頭取から。断ったそうだな? この娘さんが気にいらんか?」
「いいえ、お嬢さんは写真を見るのも初めてです」
「おまえももう結婚してもいい歳じゃないか。わしももう八十を過ぎた。ばあさんのところへ行くのは時間の問題だろ。おまえがしっかりやってくれているから安心なんだが……。見合いで結婚したって悪いもんじゃなかろう、おまえの父さん母さんのように」
「他に好きな人がいるんです。見合いをする気はありません」
「ほお、そりゃ初めて聞くなあ、雄一」
「僕も話すのは初めてですから」
「別にうちの社はJ銀行に恩義があるわけじゃない。確かに仕事の付き合いはあるが……。
まあ、悪い話じゃないと思うがね。仕方がない、おまえがそういうことなら」
「すみません、おじいさん」
「今度、おまえの彼女を連れておいで。わしが死ぬ前になあ」
 そう言って祖父は笑ったが、三生が高校2年生だと知ったら祖父は腰をぬかすだろうか。

 三生は土曜日の休みにひとりで市の図書館へ出かけた。学校からは歩いて15分程だ。一人用の机の前へ座って1冊本は広げていたが頭の中はこの前高宮の言っていたことを思い返していた。
 高宮は亡くなった父親の代わりに白広社を継いだと言っていた。 彼には大きな責任を背負っているという気負いは感じられなかったが、会社がすべてという生活が何年も続いているという。今まではあまりに忙しかったから少ずつ自分の時間も持ちたいとも言っていた。
 中学生の時に将来は会社を継ぐことを決められてしまうということはどういうことなのか三生は考えていた。勉強か仕事か、高宮さんにもなにかやりたいことがあったのかもしれないと三生は素直な気持ちで彼に同情した。 今はまだそれを彼に尋ねることはできなかったが、三生は高宮が会社では決して見せない顔をわたしに見せているのかもしれないと感じていた。 他人の敷いたレールの上とはいえ彼にそれだけの度量がなければそのレールの上を走ってはこれなかっただろう。そういう意味では高宮はやはり会社を率いるにふさわしい人間なのかもしれないが、若い社長にはささえてくれる古参の重役や信頼できる部下はいても当然のことながら同僚もいなければ社内に友人もいないのだろう。 若くして社長になった苦悩など感じさせない高宮だったが。
「だから君が私と会ってくれるのがうれしいんだ。三生といると楽しい」
 彼はそう言っていた。
 早くまた高宮に会いたい。三生はこの頃考えるのはそればかりだ。
 図書館に来たついでに高宮へ電話をしてみようと思う。やはり寮から電話をするのはかけにくかった。寮の電話はボックスになっていたが、どうしてもまわりの目が気になってしまう。
 公衆電話は館内にもあるだろうかと考えながら本棚の間を歩いているとDVDやビデオのコーナーに目がとまった。この図書館ではDVD、ビデオ、音楽CDの貸し出しも行われているし、個室の視聴覚室でビデオを見ることもできた。1本のビデオを手に取る。
 「午後の微笑」、アメリカ映画だ。ビデオの箱の写真には主演女優の顔がある。しばらく迷っていたが三生は視聴覚室の使用許可を得てビデオデッキにビデオカセットをセットした。音はヘッドホンで聞く。個室の視聴覚室はドアが閉められていたがドアには窓がある。 三生は意識的に窓からは顔をそむけるようにして座っていた。このときどうしてこの映画を見る気になったのか三生自身にもわからなかった。普段は映画など見ないのに。

 ……都会で働く一人暮らしの女性がふとしたきっかけで老女と暮らすことになる。恋人もいる彼女には老女はわずらわしい存在で老女のペースに振り回される。 やがて老女が資産家で家族もいることがわかり女性は老女を家へ帰らせるが、なぜかまた老女は彼女の部屋へ戻ってきてしまう。じつは老女は余命いくばくもなく……。

 三生は映画の中の秋のセントラルパークを、そこを歩く老女と女性を見つめていた。どうしてこの映画を見る気になったのだろう。手に取るつもりもなかったのに。画面の中のコート姿のふたりの女性。 女性が老女へ話している。『私にだって田舎に両親がいるのよ。もう何年も会っていないけど……』
 その女性の顔、ブラウンの髪と薄茶の瞳、三十代の女優だが役柄上落ち着いた感じだ。以前、なにかの授賞式にこの女優が出席しているのをテレビで見たことがあったが、その時は華麗なドレス姿だった。まったく印象が違う。
「キャスリーン・グレイか……」
 その女優の名をつぶやいてみたが、ふいにビデオを止めて巻き戻し始めた。バッグを取ろうと立ち上がるとドアの窓の向こうで人影がさっと離れた。
「?」
 不自然な感じがして三生は部屋を出ると早足で図書館の出口へ行ってみたが誰もいない。子供でもいたのだろうか。戻ってビデオカセットを取り出して返却するともう一度本棚の間を歩いて何気なく本を眺めていた。その時ちょうど本棚の間から向こう側の通路を歩く男の姿がちらっと見えた。 いつか父の受賞パーティーのホテルで近寄って来た男、雑誌記者と名乗ったその男に似ていた。
 三生が本棚の陰から図書館の出口を見ると、案の定その男が出て行くところだった。 さっき三生が映画をみているのをあの男は見ていたのだろうか。ドアのところの人影はあの男だったのだろうか。三生は嫌な感じがした。このまま学校へ戻っても大丈夫だろうか。この前は高宮がいてくれたが今日はひとりだ。歩いて帰らなければならない。まだお昼だから大丈夫だと思うけれど……。
 不安を振り切るようになるべく早足で歩いて学校へ戻るとちょうど外出して帰ってきたシスターのひとりと行きあった。もう学校が見えている。
「先生、こんにちは。お出かけでしたか」
「あら、吉岡さん。あなたも?」
「はい、市の図書館へ」
 そう言いながら三生はすばやくあたりを見た。
「どうかしましたか?」
「あ、いいえ。何でもありません」
 あたりには誰もいなかった。
 寮へ戻って高宮に電話をするのを忘れてしまっていたことに気がついたが、しかしこれからは学校の外で電話をすればいいのだ。放課後に学校の近くのコンビニや商店へ買い物へ行くくらいなら寮長先生に申し出て簡単な外出許可をもらえばいいだけだ。つきあっている彼のいる子は皆そうしているのかもしれない。 それにしてもあの記者が学校のそばにいたことが気になった。学校をなるべく出ないようにした方がいいとは思ったが三生はまだ深刻には考えていなかった。


2007.09.17

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