彼方の空 4

彼方の空

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 その後、三生は美和の行きつけのショップへ一緒に出かけた。
 来月六月に行われる美和の姉の個展を見に来てと誘われていたからだった。美和は高宮さんも一緒にねと付け加えるのを忘れなかった。
「だって姉も母も高宮さんのファンだから興味津々なのよ。三生がわたしの友達だって言ったら、ふたりとも高宮さんの奥様にぜひ会いたいって。姉の個展なんてこじつけよ」
 美和はそう言って笑うが、白広社が美和の家の華道流派の仕事に関わっているのだから三生は白広社の社長の妻として行かなければならない。
「なにを着て行ったらいいと思う? 洋服、それとも皆さん着物なの?」
 三生が美和に相談すると、姉の個展はデパートが会場だからどんな服でもいいよと言われたが、三生は大学へ着ていく服のほかはスーツくらいしか持っていない。
「じゃあ、わたしの知っているお店に行こうよ」
 ブランドのショップを紹介してくれるという。連れて行ってもらった店は美和の洋服の趣味でもあるらしく上質な服が揃っていた。過剰ではないデザインと上質な素材の使われかたがされていた。
「これなんか三生に似合うと思う」
 美和がそう言ったワンピースを三生もいいと思って試着していると、いらっしゃいませと店員の声が聞こえてなにげなくそちらを見たらそこに高宮が入ってきたので驚いた。
「たか……雄一さん」
 高宮さんと言いそうになって言い直した三生に美和がくすっと笑う。
「こんにちは、美和さん」
 高宮が美和へ挨拶すると美和はもう本格的に笑っている。
「やっとふたりのツーショットが見られた」
「美和」
「だって」

「三生ったら高宮さんと結婚するまでそんなこと、ひと言も言わないし。いきなり結婚するからとか言ってすぐに結婚しちゃうし。驚かされたんだからこれはお返し。じゃあ、あとはよろしくお願いしますね、高宮さん。姉の個展でお待ちしています」
「美和さん、今日はありがとうございました。伺うのを楽しみにしています。家元とお姉様、お母様にもよろしくお伝えください」
 高宮が礼を述べるのを聞いて三生もとにかく美和へ礼を言った。

「美和が知らせたの?」
 美和が店を出ていくと三生から尋ねた。
「そう。会社に電話があってね。社長夫人の洋服をお見立てしますから見てくださいってね。おもしろいお嬢さんだ」
「仕事中なのに」
「今日の仕事はもう終わったよ。それより服を見せてくれないかな」
 高宮が少し後ろにさがり三生がどう? というように着ている服を見せた。胸元とウエストにあるタックがポイントになったシンプルなノースリーブのワンピースだった。布地はしなやかで程よい張りがあり、赤みの少ないブラウンの色が少し明るい三生の目の色に合っている。
「これにジャケットなら組み合わせがきくかなと思って」
「似合っている」
 店員が三生に白い七分袖のジャケットを着せかけているのを高宮は見ていた。じっと鏡の中の三生を見ている。
「宮沢さんがきみに会いたいそうだよ」
「え、宮沢? 宮沢さんて」
 不意に言われたので三生は聞き直してしまった。
「宮沢直人。CMクリエーターの」
「え……」
 振り返った三生に高宮は鏡から三生の顔へ視線を戻して見ているが、彼の表情はいつものままだった。

 宮沢直人。
 それは三生が一度だけやったことのあるモデルの仕事で、宮沢とやった雑誌の広告だった。
 それを高宮が知っていたのかどうかわからなかったが、三生はそのことを今まで彼に一度も話したことはなかった。

「きみに話したいことがあると言っていた」
 やはり高宮は知っていたらしかった。
「でも、なにを」
「それは彼から聞いてみるといい。きみと直接話したいそうだから」
 宮沢は三生の大学の先輩で以前も大学に現れていた。だから宮沢は三生に直接話すこと
だってできるのにどうしてわざわざ高宮へ先に話したのだろうか。
「白広社の仕事に関係のあることですか」
「いや、会社には関係ない。そうじゃなくて専制君主と言われてしまったから」
「え?」
 意味がわからない。三生が問い直しても高宮はそれ以上説明してくれなかった。三生が着替えて出てくると高宮が支払いを済ませていた。
「あ、それは」
「いいんだよ。必要なものだし、三生がきれいでいてくれたら私はうれしいのだけれどね。三生はこういう服も似合う。一緒に出かけるのが楽しみになってきた」
 美和の姉の個展は会社関係と言えなくはないが、高宮がそういう言いかたで三生が負担に思わないようにしてくれているのが感じられる。結婚してからほどなく白広社のおもだった人たちには会社で挨拶をしたが、それ以外の会社関係の付き合いに三生が出て欲しいと言われたことはまだなかった。 高宮はそういうことは必要最低限でかまわないと考えているらしかったが、これから少しずつそういったこともあるだろう。
「あの、ありがとうございます。うれしい」
 車の助手席のドアを開けて三生を乗らせた高宮が運転席へ座る。三生はまだ宮沢に会うかどうか答えていなかったことを思い出した。
「宮沢さんが会いたいというならいいですけど」
「そう伝えておこう。きっと明日にでも大学へ行くと思うよ。彼のことだからね」



 高宮の言った通り、宮沢直人は翌日には大学の構内で三生が出てくるのを待っていた。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
 宮沢は気楽な口調で話しかけてきた。
「元気そうだね。吉岡さん、じゃなかった、高宮さんか。結婚したんだよね。おめでとう。ところで時間ある? ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだけど。どこかでお茶でも。まさかほんとに聞いてもらえるなんてなあ」
 二年前と同じせっかちで強引な宮沢だった。
「急いでいらっしゃるようなので、お話ならここで。お茶ならあそこに自動販売機がありますよ」
「あー、相変わらず素っ気ないなあ」
「相変わらずなのは宮沢さんも同じかも」
「言うなあ」
 宮沢が真顔に戻った。
「三生さんてそうだよな。真面目でお堅いふうなのにそんなこと言って、みょうに大人だ。どうしてかなあ」
 三生は答えなかった。答えようがない。
「ロジャー・バンクスっていうアメリカの映画プロデューサー、知っている?」
「知りません」
「大物だよ。彼が手がけた映画のタイトルを言えば吉岡さんだってきっと知っている。その彼から三生さんに会ってみたいって話が来ているんだ」
「会う? あの、会ってどうするんですか」
「彼はきみをアメリカで女優にしたいって言っている」
「まさか、そんなこと」
 即答で答えた三生に宮沢は苛立ったようだった。
「信じられない? でも本当だよ。きみさえその気なら」
「そんな気ありません。それに女優ってそんなに簡単にできることじゃないでしょう」
 モデルだって女優だって才能だけでできるものではない。見えないところでの努力があってこその才能だし、その努力を厭わないのも才能だということも三生は知っているつもりだった。
「きみにならできるよ」
「できないし、したいとも思いません」
「どうしてそう決めつけるの。自分に可能性があるならそれをやってみたいって思わない? 試してみたいって思わない? あの時のように」
 宮沢は情けないような言いかただった。困っているようにも見えたが、三生ははっきりと言った。
「わたしがしたい仕事は別のことです。結婚もしたし、今は他のことなんて考えられません」
「きみは本当に気が付いていない? きみがどんなものを持っているのか俺にだってわからない。でもそれを感じる。きみを初めて見たときにそう感じた」
「わたしは感じませんけど」
「嘘だ。きみだってわかっている。自分の持っているものを」

 そうかもしれない。そういうことを言われたことがある。
 でも、この人はわたしの母のことを知らない。わたしの母がキャスリーン・グレイだってことを。赤ん坊だったわたしよりも女優の仕事を選んで父と別れた事を……。

「とにかくお断りします。わたしがしたいことはそんなことじゃないですから」
「じゃあ、なに?」
 宮沢はしつこかった。
「結婚して安穏に暮らして。相手があの高宮社長なら文句はないだろう。でもそれでいいの? きみにはチャンスがあるのに目をそむけている」


2010.11.18

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