副社長とわたし 28

副社長とわたし

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28


『……怒っている?』
「怒ってます」
『返事は聞かせてくれないの?』
「怒っているのにどうして返事ができるんですかっ!」

 わたしは翌日の土曜日もそして日曜日も孝一郎さんと会わなかった。何度もかかってきた孝一郎さんからの電話に携帯電話の電源を切ろうかと思ってしまったほどだ。

『じゃあ瑞穂、会って話そうよ。そしたら』
「会いません!!!」

 孝一郎さんに会ったら、会ってしまったら、わたしに勝ち目はない。彼の顔を見て、それだけでわたしは勝てないのに、彼に抱き締められたりしたら……絶対に勝ち目はない。孝一郎さんはきっとそれがわかっているんだ。

「もう寝ます。電話してこないでくださいね。おやすみなさい!」
『みず……』

 びしっと言って本当に寝た。明日の月曜日にはまた顔を合わせることになるんだ、と思いながら。
 
 孝一郎さんがふざけていたとは思わない。
 うれしいような、でもなんと言ったらいいのか。
 だけど金田さんや三上さんがいる前でプロポーズだなんて、どうしてそういう状況を作るのか? って聞きたいくらい。
 孝一郎さんにプロポーズされたことでなんだかまわりのすべてをひっくり返されてしまったような気分だった。

 だって、わたしだって女なんだから。好きな人からのプロポーズを喜びたいのに。
 もう少しプロポーズにふさわしいところでしてほしかった……。


「おはよう」
「おはようございます」
 出社したわたしへ孝一郎さんはごく自然に挨拶してきた。この人特有の静かににこっとした顔だった。でもわたしは目をそらしてしまった。
「あのー、お取り込み中すみませんが」
 三上さん!
 廊下をこちらへ歩いてきた三上さんがなぜか頭をかいている。
 べつに取り込んでなんかいません。そう言いたかったけれどわたしは営業所の部屋へ逃げるように入ってしまった。
 孝一郎さんは何事もなかったように副社長室へ入っていった。稲葉さんがそばにいて何か話しているいつもの朝の様子だった。

 金田所長も部屋へ入ってきた。
「おはよう。瑞穂ちゃん、もうファックス見た?」
「いいえ、まだですが」
 金田さんがファックスのところへ行って土日のあいだに送られてきていたものを取り出した。
「あー、これこれ。石上水産からの例のやつ」
「石上水産さんというとあれですか」
 三上さんも金田さんが持っている紙をのぞきこんでいる。

「えっ、今日ですか?」
 すっかり忘れていた。毎年、年末になると取引先の石上水産さんからお歳暮が送られてくる。今年は営業所が東京へ移転したからどうなるのだろうと思ってはいたけど、ファックスはその連絡だった。
「うん、えーと今日の午後三時の時間指定で配達だって書いてある」
「じゃあ、それまでに仕事を片付けます」
「悪いね。瑞穂ちゃん、三上君」
「いいえ!」
 三上さんとわたし、声をそろえて答えた。





「稲葉」
「はい」
「向かいの部屋はなにをやっているんだ?」
「さあ」
 さっきから瑞穂がぱたぱたと部屋を出入りしている。今までにないことだったので気になって見ていた。
 金田所長も部屋の中でなにやらしている。瑞穂と金田所長がなにか話していたと思ったら瑞穂がまた部屋を出ていった。
 ――なにをしているんだ?





 配達指定時間まではまだ二時間ある。でもわたしはこのビルではこういった荷物の受け取りは初めてのことだったので早めにビルの一階にある搬入口へ行った。
「トーセイ飼料ですが、荷物の受け取りのことはこちらでよろしいですか」
「トーセイ飼料さん? 何の荷物ですか」
 このビルでは三光製薬総務部のビル管理部門が荷物の搬入搬出に関わることを管理していて、搬入の際のチェックの業務は外部の警備会社に委託している。
「本日の午後の時間指定で当社宛ての配達があるのですが、生鮮品なので受け取りがすぐにできますようにお願いできますでしょうか」
「生鮮品? なんでしょうか、それは。大きな物ですか?」
「えっと、大きめのスチロール箱三個口です」
「でもビルへ入れる荷物は搬入時に不審物でないかどうかチェックしなけりゃならないんですよ。きまりですから」
「はい、もちろんです。チェックが済みましたらすぐに引き渡しをお願いしたいのですが」
「そういうことでしたら総務部の担当へもその旨を申し出ておいてください。トーセイ飼料さんの荷物が着き次第チェックするようにしておきますので」
「ありがとうございます。では総務へ行ってきますので」
 早めに確認して良かったが、やはり総務部に行かなければならなくなってしまった。

「配達はわかっていたのでしょう。そういうことは早く連絡してもらわないと困るのですがね」
 総務でかなり待たされた後で、管理課のグループリーダーらしき男性ににべもなく言われた。
「すみません、休みのあいだに連絡が入ったものですから」
「荷物はチェックしますので引き渡しは夕方でいいですか」
「すみません、生鮮品なんです。ですから、チェックをしてすぐに引き渡してもらえるようにお願いしたいのですが。必要ならチェックにはうちの所長が立ち会いますので」
「搬入のほうには連絡してありますか。急に言われても嫌がられるのですがねえ」
「はい、搬入チェックの担当のかたには先ほど伝えたのですが、総務のほうにも伝えておくようにとのことでしたので」
「搬入の誰に言ったんですか。仕方がないなあ」
 なんだかむかっときた。こちらの担当の人に先に言っておくべきことだったかもしれないけれど、この担当の人、仕方がないとか言っていてちっとも事を進めてくれない。どうしてだろう。

「どうかしましたか」
 声がかかってびっくりした。わたしのうしろにはいつのまにか孝一郎さんがいた。
 わたしと話していた担当者が驚いている。副社長が現れたことで総務中の視線がわたし達のほうへ集まっているような気がしたけど、でも今はそれどころじゃない。
「あの、ちょっと荷物の受け取りを」
「荷物? 総務で管理はしているはずですが、さっきからどうしてここで手間取っているのですか。なにかむずかしい事柄ですか」
 さっきからって、見ていたの? 常盤さん。
「トーセイ飼料宛ての荷物を搬入のチェックが行われたらすぐに受け取りたいとお願いしていたのですが」
 わたしの答えたのを聞いて常盤さんが奥にいた総務の上席課長のほうを見た。あの総務課長だ。
「総務課長」
 言われた総務課長が一瞬顔をそむけるようにして、でもすぐに無表情に戻って立ち上がった。わたしたちのいるカウンターまで来るとその無表情な顔で言った。
「では搬入には係から連絡しておきますので、下で受け取ってください」
「あ、はい。ありがとうございます。お手数おかけしますがよろしくお願いします」
 一礼して総務のフロアを出た。常盤さんが黙って一緒についてくる。

 荷物が届くまでまだ時間があったからいったん営業所へ戻ったけど常盤さんも一緒だったから、これじゃわたしが副社長を従えているみたいで、なんだか。
「あの、さっきはありがとうございました。助かりました」
 先週のことはなんと言ったらいいのか迷っていたけれど、総務でのことは上へ上がるエレベーターの中でお礼を言った。
「いや。うちの総務は相変わらずだな」
 常盤さんは何かを考えているふうだった。
「あの、副社長はどうぞお部屋へお戻りください。お忙しいのでしょう」
「でも荷物が来るんでしょう? 手伝おう」
「大丈夫です。これはうちの荷物ですから。三上もいますので」
「……そう?」


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