副社長とわたし 27

副社長とわたし

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「瑞穂ちゃん、どうしたの。あの秘書の人、なんだって?」
「いいえ、なんでもありません」
 金田所長に尋ねられてわたしは自分の席へ戻った。三上さんも電話の受話器を耳に押しつけながらわたしを見ていた。

 それから常盤さんは部屋から出て行ったようだった。いつのまにかわたしが気がつかないうちに。






 社長室では父である社長が総務部長を前にしていた。ワンマンな父らしく総務部長をデスクの前に立たせている。
「総務のことに関しては時間がかかることは承知している。だが、総務だけでなく全社で仕事の能率化をすることで男女を問わず働きやすい会社にしたいという副社長の考えに賛成したから、この仕事を任せた」
「しかし、副社長は」
「そもそも」
 社長はこともなげに総務部長の話をさえぎった。
「副社長の総務を含めた事務系の社員のモチベーションの向上案が重役会議で了承された時に気がついてくれなくては困る。他の重役たちも少なからずそれを感じていたから了承されたんだ。その後に君が副社長の下でどういう改善を試みるか、時間は与えたつもりだ」
「それは……」
「副社長に安易に首を切るなとくぎを刺したのは私だ。だから君の異動も承認する。以上だ」


「昨日、急に同行をキャンセルしてきたのはそういうわけか」
「申し訳ありません」
「いままでサボっていたから部下になめられるんだ。わかったか」
「はい。勉強になりました」
「やけに素直だな」
 そう言って父は肩をすくめた。ワンマンな父にしてはざっくばらんな態度だった。

「お父さん」
「おまえが私をお父さんと呼ぶのも珍しい。なんだ」
「そろそろこちらのビルへ来ていただけませんか」
「おまえが来て欲しいと言うならな。専務たちにも言われているが、私もそう思っていたところだ。それにおまえがねずみと言っていたその人物、おまえをやる気にしたのはどういう人物なのか会ってみたい」

 ……ねずみ。大切なねずみ。
 決して離れては欲しくない。

「ええ、ぜひ会って下さい、と言いたいところなのですが、今回の件では俺の不甲斐なさで彼女を怒らせてしまいました。まだ許してもらえないと思います」
「彼女?」
 父である社長が聞き咎めた。
「おまえは見合いの話は頭から取り合わないし、おかしいと思った。なんだ、そういうわけか」
「そうです」
「おまえももう三十だ。いつまでもぐずぐずしているな。この会社を継いでいくなら結婚もして本気でやっていくことだ」
 父の言葉に立ち上がった。
「はい。ではお言葉に甘えてそうさせていただきます。これから彼女のところへ行ってきます」
「え? おい、孝一郎!」






 週末で金田所長や三上さんが仕事を片付けている。あれから金田所長も三上さんもなにも言わなかったし、わたしも黙って仕事を続けていた。
「瑞穂ちゃん、今日の仕事は終わりそうかな」
「はい。終わると思います」
「じゃあ、残業はなしにしよう。週末でクリスマスだし、三上君も早く帰りたいだろうから」
「ウッス!」
 答えたのが三上さんだったのでわたしはちょっと笑った。金田さんは三上さんを理由にしていたけれど、もしかしたら仕事が終わったら稲葉さんが来たわけをわたしに聞きたいのかもしれない。金田さんはいつもひとりで留守番をしているわたしにそういうことも気にしてくれる。

 所長、心配かけてごめんなさい。
 でも、わたしはどう言ったらいいのだろう。常盤さんのこともあるのに……。

 その時だった。ノックの音が聞こえたのは。
 ノックの音がして、ガラスの向こうに常盤さんがいるのに気がついた。ひと目でわかる。

 ドアを開けたわたしを常盤さんは見下ろしていた。いつもの三つ揃いのスーツに、そして表情も穏やかな副社長の顔だった。でも、どうしてここに?
「これは、常盤副社長」
 金田さんが席から立ち上がると常盤さんは金田さんへ向き直った。
「お邪魔します。じつは当社の社員のことでこちらの山本さんにお話ししたいことがあるのですが」
 それは……島本さんのことで?
「山本さんと話させていただいてもよろしいでしょうか」
 常盤さんの様子は変わりない。でもこの人、もしかして……怒っている?

 金田さんが困惑しているような様子がわかった。三上さんも立ち上がって見ている。
「常盤副社長、うちの山本がなにかご迷惑をおかけしましたでしょうか。私どもが出張でいないあいだになにか」
 副社長は、いいえ、そうではありません、と言うとわたしへ振り返った。
「瑞穂さん」
「……はい」
「総務の島本さんのこと、どうして話してくれなかったのですか」

「当社のことなのだから、そういうことはすぐに言ってくれないと困ります」
「でも、わたしはトーセイ飼料の社員です。三光製薬さんの社内のことに口出しすることはできないと思います」
「言ってもらわないと私が困ることでも?」
 そう言った常盤さんはやはり怒っているようだった。
 そう、わたしは常盤さんに不利なことだとわかっていたのに彼に言わなかった。

「瑞穂さんには言って欲しかった」
「わたし、自分が口出しして咎められるかもしれないと思って黙っていたんじゃありません。わたしはわたしなりの理由で黙っていたのであって……」
「瑞穂なりの理由ってなんだ?」
 常盤さんの口調が変わった。

「僕も瑞穂が間違っていたとは思わない。むしろ瑞穂には迷惑をかけてしまったと思っている。だが、これ以上僕をまぬけな男にしないでくれ。総務の島本さんのことを知った時の僕の気持ち。瑞穂が島本さんのことを知っていて言えなかったことに気がついて自分を殴ってやりたいくらいだった。 もうあんな思いはさせないでくれ、お願いだから。それとも僕が恋人を悩ませて、それに気がつかないような男だと、そんなふうに思っていたの」

「えっ、えっ、えーっ!!!」
 部屋に響き渡った大きな声は三上さんの声だった。
「恋人って瑞穂ちゃんのこと? それはつまり、常盤副社長と瑞穂ちゃんはつきあっているっていうこと?」
「そうです」
 平然と答える常盤さん。



 ……どうして、この人は。
 なんで、こんなところで。なんで、そんなことを。

「あの、なぜ、ここで、そんなことを」
「瑞穂」
「……はい」
「僕と結婚してほしい。そうすればもう他人行儀な考え方はしなくていいだろう? これはプロ
ポーズだよ、瑞穂」

 プ……、プロポーズ……。
 それは、それは……。

「返事を聞かせて、瑞穂」
「そ、そんな、急にそんなこと言われても」
 にこっと笑った常盤さん。ちょっと待って、怒っていたんじゃないの?
「今、ちょうど父がこのビルに来ているんだ。紹介したいから一緒に来て」

 えっ! 父?
 父って、三光製薬の社長?!

「ちょっと待って下さい。急にそんな、三光製薬の社長さんに会うなんて」
「社長であっても僕の父親だ。僕の結婚したい人に会ってもらうのだから、かまわない」
「えええっ」
 孝一郎さんがまたにこっとほほ笑んだ。綺麗すぎるその顔で。
 この顔、彼のこの顔、前にも見たことある。
 確かエレベーターでわたしに手を差し出した、あの時と同じ……。

「あっ、あなたは、あなたはどうしてそうなんですか。わたしの、わたしの都合は考えないんですか。わたしはまだ、なんにも答えてませんっ!」
「じゃあ、答えて」
「いまここで答えられるわけないじゃないですか、急にそんなこと言われて! なに考えているんですか」
 わたしはこれ以上ないってくらい腹が立った。
 この人はいつもわたしの気持ちを翻弄する。わたしが今まで悩んだのっていったいなんだったの。胃が痛くなるかと思ったのに、人の気も知らないで!


「やっといつもの瑞穂らしくなった」
 そう言って常盤さんはすっと近づくとわたしの頬を手でなでた。金田さんや三上さんがいるのにダメ押しするようなその行動!

「……なにするんですかっ!」
「ひどいなあ、その言いかた。でもそういうところも好きだ。じゃあ、返事を待っているよ」
「す…………」
 何を言っても無駄だよ、とでもいうように常盤さんはわたしの額にすばやくキスをすると後も振り返らずに出ていってしまった。
 見ている金田さんや三上さんの唖然とした視線。そしてふたりよりももっとわたしが唖然としている……。
「なんだか」
 あきれたような表情のままの三上さんがつぶやいた。

「瑞穂ちゃんと常盤副社長って、恋人っていうよりもライバルみたいだね……」


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