白 椿 2


白 椿

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「ここです」
 その女性に案内されて川上屋へ行った礼郷は感心してしまった。旧街道沿いの建物とは違った広い玄関の軒先へは杉玉が吊り下げされていた。中も広い玄関の中はちょっとした店舗を兼ねているらしく、壁際に専用の冷蔵庫が2台並んでいる。冷蔵庫以外にも一升瓶へ入れられた日本酒が台の上へ種類別に並べられていた。 川上屋というのは酒屋かと思っていたが、酒屋ではなく蔵元だった。
「へえ……」
 こんな小さな町に蔵元があるとは知らなかった。さっきの「大吟醸 宮原」という銘柄も東京では目にしたことがなかった。冷蔵庫を見ると大吟醸のほかにも純米吟醸酒、特別純米酒など何種類か並んでいたが、いずれも「宮原」「みやはら」という銘柄だった。ラベルを見ると宮原酒造とある。
「宮原というのはこちらの苗字だったんだね。それがお酒の銘柄にもなっているんだ」
「はい、そうです」
「じゃあ、僕も土産にしたいからその大吟醸を10本お願いできるかな」
 本数が多くなってしまったので帰りに車で寄るからと言って礼郷は和泉屋へ戻った。しばらくして会がお開きになると別れの挨拶をして父を乗せると宮原酒造へまわったが、宮原酒造ではさきほどのひさちゃんと呼ばれていた女性とその父親らしい主人も待っていて車を降りてきた父と挨拶をする。そして女性の腕には丸々とした赤ん坊が抱かれていた。
「和泉屋さん、このたびは東京からわざわざご苦労さまです」
「いえいえ、川上屋さんもご繁盛のようですね」
「息子さんですか」
「はい。まだまだ頼りないやつで。そちらは娘さんですか?」
「娘の久乃(ひさの)です。去年婿を取りまして家を手伝ってくれています」
「それは安心ですね」
 ひとしきり挨拶を交わし、簡単に近況などを話す。礼郷は今日はこんな会話ばかりだと思いながらも黙って聞いていた。田舎ではこうした挨拶は省略することはできないし、滅多に訪れない人間に対しては尚更にていねいに挨拶がされる。父は東京育ちでも祖父に連れられて子どものころから何度もこの町へ来ていたから見知った人たちも多く、 今は町を離れていても地元の旧家として親類も多い。つい話が長くなるが礼郷は辛抱強く待っていた。久乃もにこやかにそばにいる。ほどよいタイミングで久乃がお茶を差し上げましょう、と言ったのを父は遠慮して穏やかに久乃と抱いている赤ん坊を見た。
「いい顔をしている。男の子ですか?」
「はい」
「うちの跡取りです」
 そう言って宮原酒造の主人が顔をほころばせた。
「久乃さん、今日はご接待ありがとうございました。また大吟醸が欲しくなったらお願いしますから」
「はい、電話でも、あ、インターネットでもご注文を受けていますのでいつでもお待ちしています」
 久乃が小さなパンフレットのようなものを差し出す。そこには宮原酒造の商品の写真が載っていて住所や電話番号のほかにホームページアドレスというのが載っていた。
「ほう、若い人はいいですなあ。では」


「和泉屋さんて東京に住んでいるんでしょ?」
「ああ、あの家は先代から東京へ出ているからな」
「お父さんみたいに頑固な田舎者じゃないってことか」
「なんだ、そりゃ」
 今日、久乃が「街道保存会」の手伝いへ出たのは都合の悪くなった母の代わりに出たのだったが、若い人のメンバーが少なくて久乃も以前からメンバーにと誘われている。なんでもホームページを作ったりデジタルカメラで写真を撮ったりするのをやってくれる若い人が欲しいらしい。時沢町のような小さな町でも専業主婦をしている人はほとんどが年配の人だ。 久乃はまだ和史(かずふみ)が生れてから半年ほど、そして家業の手伝いをしているから外へ働きに出ていない。こういった自営業や家業を継ぐ若者も少なくなってきていた。
 あの人は、と久乃はさっき会った礼郷のことを考えていた。
 和泉屋の息子さん。すらっとした男の人。きっと東京で働いているのだろう、今風な毛先が不揃いな感じの、でも長すぎない髪形。きちんとしたスーツを着ていた。和泉屋さんの総領(跡取り、長男)でもあの人がこの町へ戻ってくることはないだろう、多分。
 今時、大学を出たらこの町へ戻ってくる若い人はほとんどいない。 だからここにいる人たちで頑張っていかなきゃならないんだけど。わたしも「街道保存会」のメンバーへ加わってもいいかもしれない。昼の活動を手伝うくらいなら和史はお母さんに見てもらうこともできるし……。



 それから1年後。
「時沢ですか?」
 礼郷は父の口から出た言葉にちょっと驚いた。
 肝臓を患っていた父は一進一退というところで療養を続けていたが、最近しんどそうな様子に礼郷や姉の孝子が何度も入院を勧めていたが、父は繰り返されるカテーテルによる治療を嫌がって孝子を困らせていた。しかし父が前よりも悪くなっているのは明らかで、主治医に呼ばれて孝子と礼郷が今後の治療方針の説明を受けていた。 治療方針を父へも説明し、これ以上悪くしないようにと礼郷が父へ言っていると父が時沢へ行ってそこで入院治療を受けたいと言い出したのだった。
「でも、時沢と言っても……」
「おまえは知らんだろうが、あそこの郡には時沢総合病院というのがあってな、あのあたりは昔から肝炎が多いんだよ。あそこは全国でも有数の肝炎患者の多い地域なんだ。本当だよ。だからあそこの総合病院は大きくはないんだが、専門の医者がいるらしい」
「でも、時沢でなくても東京にも」
「もうどこでも変わらないよ」
 どこか突き放したような父の言葉に礼郷は一瞬沈黙した。
「いや、田舎は田舎なりにいいところもある。ゆっくり療養してあせらずやりたいと思ったのさ」

「でも 時沢だったら付き添いも思うようにできないわ」
 父の言葉を姉に伝えると孝子は不安そうに言った。
「私は佑介さんや子どもたちもいるから東京から離れられないし。礼郷だって」
「父さんはその病院は完全看護だし、必要なら専門の付き添いの人を頼めばいいって言ってるんだ」
「付き添いの人か……うーん」
「休みの日には僕が見舞いに行くし、姉さんも大変だろうけど今回の入院は父さんの言うとおりにしてみたら。時沢からはちょっと離れているけどあの県の東部にはガン専門の県立病院もあるし」
「そうね……」
 姉も礼郷も知っている。父は病気が少しずつ進行しているのを。

 礼郷が調べると父の言うとおり時沢の総合病院には2年前まで東京の大学病院にいたガン治療で有名な専門医がいて、中央よりは遅れている地域医療としてのガン治療に取り組んでいるという。県立のガン専門病院とも連携しており、これならばと礼郷も父の時沢での入院を後押ししたのだった。
 


2009.01.29

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