クリスマスケーキ・イブ

クリスマスケーキ・イブ3の恋人たちのその後

目次


遅れてきたサンタクロース


 クリスマスに思いが通じて恋人になった。思いが通じて大好きだった人に好きだと言われて、寒さを吹き飛ばすような甘く濃厚なキスをされて。そしたらもう理性なんてどこかへ行ってしまった。ベッドの中で寒いのだか熱いのだかわからないような愛撫をされて、クリスマスは夢のような夜になった。

「好きといわれて、その日にやっちゃったと」
 だって。
「ヤル気満々だったっていうことよね、その彼」
 わたしだってそれでいいと思ったんだから。
「相手は店長であんたは店員。いわば部下。自分とこの従業員に手ぇつけといて、それでなに? 適当につきあっているっていうわけ?」
 適当じゃない。会えばちゃんと……。
「ほとんど会う時間がないのにやることはやってるのね。それってヤルためだけに会ってるって思われるわよね。それだってもう、ひと月も会ってないなんて」
 十二月は一年で一番忙しいんだってば。わたしだってそれくらい知ってるよ。
「がーっ。さっきからその男の肩ばかり持って。そんなに好きならなんでわたしなんかに相談してくるのよっ」
 そう言うと親友の美由紀は冷めたブラックコーヒーをぐびっと飲みほした。
「あほらし。要するにあんたはその男にハマっているってわけなんでしょ。だったら裸でベッドの中で男が帰ってくるのを待っているしかないでしょ。わたしをハメたのはあなたなんです、さあ、わたしにハメてくださいって」
 美由紀、そういう下ネタって。
「あんたはあの男が好きなんでしょ。今日、会いたいって言ったんでしょ。会ったら言葉でもっと話しなさいよ。相手の男が忙しさを理由にして会わないって言うんならおしまいだけど、会うって約束したんでしょ?」
 美由紀がわたしにぐいと顔を近づけてマジ顔で言った。
「さっさと約束の場所へ行きなさいよ。うだうだ考えているだけじゃ進展しないぞ」
 ……さすが美由紀、名言です。さっきの下ネタ以外は。
「わたしだってクリスマスに時間をさいてあんたと会ってんのよ。これから彼とデートなの。もう行くからね。じゃね」
 もう行くと言っていたけど美由紀はカフェから出て電車の駅まで一緒に行ってくれた。うだうだ、ぐだぐだなわたしをいつも叱ってくれる人なんだ、美由紀は。駅で美由紀と別れてわたしは彼との約束の場所に向かった。彼が予約してくれたホテルはレストランも有名な一流のホテルだった。ここは彼がパティシエとして修業を始めたところだそうで、ここから彼のケーキ職人としての歴史が始
まっている、とても意味のあるところなのだ。
 そんな大切な場所で会うことを約束してくれたけれど、もしかしたら苦労して予約してくれたのかもしれないけれど、今は素敵な一流ホテルに行くということにもときめかない。
「一年前、からだよね」
 電車の窓ガラスに映った自分に小さな声でつぶやいた。一年前、クリスマスイブの夜からわたしたちのつきあいが始まった。彼はケーキ職人で店の店長で、わたしは店員。かなわない片思いでも店長のそばで働けるだけで幸せって思っていた。それがクリスマスイブの日にミニスカートのサンタ服を着て店の外でケーキを売る係りをやらされて。おねーさんサンタなんてこれってもしかして店長の趣味? 足のきれいな人にやってもらいたいって、普段からわたしの足を見てたの? って疑惑が心に渦巻いたけれど、とにかく寒さをこらえて懸命に外での販売をしたら最後まで店長が残って待っていてくれた。寒さに震えた体をあたためられて抱かれしまった。勢いだったかもしれないけれど好きだった。店長のことがずっとずっと好きだったから。
 若くして独立して自分のお店を持ち、がんばっている店長。店長自身は雑誌やマスコミには取り上げて欲しくなかったらしかったのだけど、知り合いの人に頼まれて断りきれずとうとう雑誌の取材を受けることになってしまったのはわたしとつきあい始めてすぐのことだった。以来、店長の作る
ケーキの美味しさと店長自身のビジュアルの良さであっというまに売れっ子状態になってしまった。でも、それも一時的なことでしばらくすると店長は取材はほとんど断るようになっていた。イケメン
パティシエとか言われてケーキは二の次でテレビに引っ張り出されたのも嫌だったらしい。
「俺はケーキ職人だからね」
 パティシエと言われるよりはケーキ職人でいたい。店長はときどきわたしにもそう言った。店長がテレビや雑誌の仕事で忙しくなってデートする時間がだんだんと少なくなっていったときだったと思う。雑誌やテレビの取材攻勢がひと段落すると店長はそのころには新しいもうひとつの店をオープンさせようとしていた。自分の店がふたつになって、でも仕事に手を抜かない店長は二号店では厨房を今までよりもさらに充実させてケーキ作りは二号店のほうでおもにするようになった。二号店で外国製の大きなオーブンを設置して使うのが店長の目標だったらしい。店長のほかにも何人かのケーキ職人を使い、毎日ケーキを作る。新作ケーキの開発にも余念がなく、朝から夜まで忙しい。しかもお菓子作りは体を使う重労働で立ちっぱなしの仕事だ。
 わたしはと言えば一号店の店員だったからお店で店長に会うことは少なくなった。販売のチーフは信頼できる人だったけれど店長がしっかりと管理をしていて、そうはいっても店でわたしと顔を合わせたり気軽に話したりすることはほとんどなくなっていた。
 それでも店長なりに忙しくてもわたしと会う時間を作ってくれた。そう思うのはうぬぼれだろうか。真夜中にやっと会えて、店長のマンションの部屋で抱かれるのは嫌じゃなかった。会えば唇を絡めて、貪るように吸われればわたしの体も熱くなる。馴染んだ体は彼をすんなりと受け入れる。
「んんっ……、は……」
「そのかわいい声、たまらない」
 そう言って店長はわたしの体を揺らす。いつもは束ねている長い髪を解いてわたしの体に触れている店長はわたしの心を麻痺させる。確かにハマっている。店長にハマっている。
「あまり会えなくてごめんね……」
 店長がささやくように言って、わたしは何度も首を振る。店長に動かれながらそう言われても言葉が出ない。首を振ることしかできなくて、それは喘ぎになる。いつだってわたしの胸を、体の中を、そして心の中を店長が占めている。わたしだって店長からの快感を悦んでいる。
 だけど抱き合ったあとで店長は本当にあっという間に眠ってしまう。疲れているんだ。店長の寝顔を見ながらそう思ったことが何回もあった。
 抱かれるのも好きだけれど、もっと話をしたい。デートしたり他愛ないおしゃべりをして店や仕事のことも話したり、そしてお互いの家族のことも話したりして。そうやってお互いの時間を深めていくのだと思っていた。家族のことを話せば将来のことだって話すかもしれない。もし、将来も店長がわたしといてくれたら。ずっと一緒にいて、それが結婚という形になれたとしたら……。

 そんなことを考え始めてしまうと自分が苦しくなる。それがわかったのは十二月は忙しくなりそうだから、あまり会えないかもしれないと言われたときだった。
 ひと月近くも会えないなんて。そう思うと体が冷えていくようだった。
「どうしたの」
 愛撫の手を止めて店長が顔をあげた。力なくかぶりを振るとゆっくりと店長がわたしの中から出て行った。柔らかなブランケットを体にかけられて涙が出そうになった。
「今夜の奈津美はちょっと違うね」
 店長に抱かれることが嫌じゃないのに。いつものように高まっていきたいのに。でも今日のわたしの体は言うことを聞かない拗ねた子どものように思う通りになってくれない。
 十二月は忙しいだなんて、九月だって十月だって十一月だってずっと忙しかったのに。クリスマスマスケーキの予約を開始するまでに新しいクリスマスケーキを考えて試作したりするのは通常の仕事以外の時間でやっていることだ。去年だって店長はそうしていた。それは店員のわたしも知っている。でも今年は……。
「俺が忙しいせい?」
「ごめんなさい」
 なにかあるとすぐに謝ってしまうのはわたしの悪い癖だ。
「怒らせてしまったかな」
 となりに来た店長がちょっと疲れたような声で言った。わたしは体を固くしてうつむいていたけれど、店長はそんなわたしに寄り添っても抱こうとはしなかった。
「俺だってもっと会いたいと思っている。一緒にどこかへ出かけたり、いろいろなことを話したいと
思っている。でもそれがなかなかできない。ごめん」
 静かなやさしい声とわたしの体をなでる手。
 こういうところが彼がただ抱き合うためだけにわたしと会っているのではないと思わせてくれるのに。
「奈津美の体が気持ち良すぎるからつい抱いてしまう。どうしようもない男だな、俺は」
 そんなこと言わないで。店長がどうしようもない男なら、その店長に抱かれて悦んでいるわたしはどうしようもない女です。
「仕事だから……しかたないです……」
 本当はそんなこと言いたくないのに、店長を困らせたくないからいい子ちゃんの答えしかわたしにはできない。
「奈津美がわがままを言ってもいいのに」
「え……」
「あなたはミニスカートのサンタ服を着せて外へ出しても仕事だからとがんばる。俺があまり会えないつまらない恋人なのに不満を言わない。なぜ?」
 なぜ? 好きだからです。どうしてそんなことを言わせるの? わたしはまだ片思いのままなんでしょうか。
 じっと見つめる店長の瞳はなにを考えているのかわからなかった。わたしにわがままを言ってほしいってことだろうか。そのときのわたしにはそれもわからなかった……。



 会えないのがつらくて。電話もほとんどかかってこない。時々メールがくるだけ。
 会いたくて。でも、会えなくて。
 話がしたい。でも話せない。一号店に来て仕事をする店長を目で追うだけ。
 そんな十二月だった。何度も何度も電話しようか迷って、でも、できなくてメールにしようかと考えたり。でもやっぱりせめて声だけでもいいから直接言いたい。やっぱりわたしはうだうだのぐだぐだになってしまった。
 待っているのがつらくてしかたがない。会えないのがつらい。会いたい。何度もひとりで泣いてとうとう電話をしてしまった。もうだめかもしれない。でもこれだけは……。
「会いたい。クリスマスの日にはどうしても会いたいんです。会ってください」
 言えた。でも言ってしまったら答えを聞く怖さが待っている。クリスマスの日に会いたいなんて、最悪のことを言っているのかもしれない。イブだってクリスマス当日だってケーキ屋は一年で一番忙しい。
『いいですよ』
 あっさり答えた店長の言葉にわたしは聞き返してしまった。
「いいんですかっ? だってクリスマスですよ。クリスマスなんですよ」
 わたしの言いたいことが通じているのか。ああ、だったら会いたいなんてどうして言うのか、わたしは。
『わかってますよ。じゃあ当日、待っています』
 後日送られてきた店長からのメールにはホテルを予約したことが書いてあった。会えるのは真夜中になってしまうけれど、先にホテルで待っていて。ちゃんとふたりの名前で予約しておいたから、と。

 ホテルの窓から見える都会の灯りはツリーの星のようだった。あの光のひとつひとつの下で恋人たちや家族がクリスマスを楽しんでいる。わたしも仕事を終えて来たからもう真夜中近いけれど、彼はまだ来ない。大きなベッドに服のままでごろんと横になって暗くした部屋の中を見ていた。 ひと月も会えなくて、そのあいだ、彼に会いたくてたまらなかった。会って抱きしめてくれていたらこんなぐだぐだな気持ちにならなかったかもしれない。今日会うことを約束したのに不安だったからその前に美由紀に会って話を聞いてもらった。やっぱりわたしは店長が好き。店長にハマっている。 完膚なきまでに美由紀に言われて、わたしはいったいどうするべき? いつまでもぐだぐだな自分でいたくない。好きだったら美由紀が言った通りベッドの中で裸で待っていればいいんだろうか。こんな素敵なホテルで抱かれて、そしたらもうだめになっても思い出が残るはず。そのくらいの思い出をもらってもいいよね……。


「奈津美」
 名前を呼ばれて目が醒めた。いつのまにか眠っていたらしい。うつぶせのわたしの体に手が触れている。彼のあたたかい手がわたしの体を撫でるようにシーツをずらしていく。肩に背中に手が這っていくのを感じる。
「こんなふうに待っていてくれるなんて」
 ああ、やっぱり。今日も抱かれるだけ。薄く目を開けてベッドサイドの時計を見た。時計はもう十二時を過ぎている。クリスマスが終わっていた。でも来てくれるだけでもいいの。
 半分目覚めていない頭でぼうっと考えながらあおむけになった。やっぱりわたしの前には店長がいる。どういうわけか店長は普段は着ないスーツを着ていた。二号店で明日の仕込みをしていたんじゃないの……?
「好き」
 そうつぶやくと唇に軽くキスをされた。
「好きよ。だから店長も……」
「それって誘っているの?」
 そうです。好きで好きでしかたがないから、誘っているんです。最後にわたしを抱いて……。
 突然、ぱっと灯りがつけられた。どうして!
 あわてて起き上ったら目の前で笑っている店長と目が合った。
「今日は先に大事なことを言おうと思ってきたのに、裸で待っているなんて反則がきつい」
 は、反則?
 店長がベッドサイドに片膝をついてシーツから出ているわたしの手を取った。
「結婚してください」
 いま、なんて。
「結婚してください。ずっと一緒にいて欲しいから、結婚してください」

 手を握られたまま、ぱちぱちとまばたきをしても目の前の店長は消えなかった。
「目が醒めた?」
「は……い」
「返事は?」
「は……い」
「それはオッケーだよね。この状況からすると」
 店長が笑いをこらえた顔でわたしを見ている。わたし、ベッドで裸だった!
「メリークリスマス。もう十二時を過ぎてしまったけれど、これはプレゼント」
 そう言って店長がケーキの箱を差し出した。おしゃれな黒い箱の上には金と銀のオーガンジーのリボンがダブルで掛けてあり、真ん中の結び目のところに小さな光が光っている。
「リボンを解いて」
 言われるままにリボンの端を引っ張るとリボンがほどけた。結び目にあった光を店長が手に取ってわたしの指に通した。きらめく石を光らせた指輪だった。
「受け取ってもらえますか」
 それはプロポーズ。だけど。
「今年はがんばったから新年からはもっと奈津美に会えるよ。今まで待たせてごめん。俺だって会いたかったんだけど、二号店を軌道に乗せるまではって思っていたから……奈津美?」
 店長が顔を近づけてわたしの目を覗き込んでいる。わたしは悲劇のヒロインでも健気なヒロインでもなく、ただの思い込み女だったってこと? そう思うと怒涛のような恥ずかしさが押し寄せてきた。
「……うっわー、わたし、裸で、プ、プロポーズされて。なんて、なんて……」
 わたしのしたことってなんだかとってもいやらしい気がしてきた。さらにシーツの中へもぐりこもうとしたら彼に抱き寄せられた。もう彼はベッドの上に乗っている。
「寝ぼけていた? それともなにか思い込み? 現実に戻ってきたみたいだね」
「いえ、これはですね!」
 ぐだぐだの思い込みから引き戻されて、ものすごく恥ずかしい。
「奈津美をそこまで思い詰めさせてごめんね。だけど俺のところに戻ってきてくれたんでしょう。俺
だって待っていた。じゃあ、そういうことなら遠慮なく」
 そう言った店長に文字通り遠慮なくぐだぐだにされた。心ばかりでなく体も。美由紀を恨むしかない。好きなら裸でベッドで待ってろ、なんて言うから。でも、わたしは店長がそばにいてくれないとダメなんです。心がダメになってしまわないようにつかまえていてほしい。

 クリスマスの十二時を過ぎて遅れて来たわたしのサンタクロース。
 持ってきたプレゼントは最高だった。

お・わ・り

2011.12.23
 
クリスマスケーキ・イブ 拍手する

  目次

Copyright(c) 2011 Minari all rights reserved.